本日、2020年4月10日のモーニングショーで、「コロナ差別」を取り上げていた。
それはこんな話題。
愛媛県新居浜市の市立小学校が、東京や大阪など感染拡大地域を行き来する長距離トラック運転手の二世帯に対し、子どもの自宅待機を求めていたことが市教育委員会への取材で分かった。要請を受け、新一年生を含む子ども三人が八日の始業式と入学式を欠席した。
市教委は七日に市内の全小中学校を通じ、春休み中に感染拡大地域を訪れたかどうか各家庭に問うアンケートを実施。運転手の家庭から「仕事で感染拡大地域に行ったが登校していいか」と学校に問い合わせがあった。学校側が市教委に相談すると「リスクが高い」と回答され、二週間の自宅待機を要請し、保護者も了承したという。
欠席した子ども三人の体調に問題はなかった。八日に保護者が勤める運送会社から「職業差別につながるのではないか」と指摘があり、学校側は九日以降の登校を認め、保護者に謝罪した。
高橋良光教育長は取材に「家族や本人が健康なら登校してもらうべきだった。市教委と学校で十分に考え方を共有できておらず、迷惑を掛けた」と…
基本、その後緊急事態宣言が出された日本国内の感染拡大地域(大阪、兵庫など)を、家族が仕事で頻繁に訪れていても、「体調」に問題が無ければ、出席などを拒む理由はない。これが「本人」の「海外渡航」ならばもちろん違う基準なのだから。これが不適切だとみなされ、行政が謝罪したのはよくわかる。
そして、そこから運送業、「宅配業のひとたちの差別経験談」になり、
「運送業者の皆さんに失礼」という大合唱になったのだが…
そこで出てきたパネルの画像をキャプチャできた。いまテロップがかかっているが、右上部分にはっきりと「コロナ差別」と書かれている。
上の画2枚はわかる。
「いきなり消毒スプレー」を本人にかけるのは、非礼というだけでなく暴力的な所業だろう。
だが…
「その(業者の持ち込みの)ボールペンは触れない」「汚いものをさわるように荷物を受け取る」となると。
おはようございます。今日はこれから宅配??の仕事です。物量が多いはずだし、なにより感染が怖い…。色んな荷物触るし、一日100人以上と対面するし…ドア前に置き配もっと周知されて欲しいな。あと配達員のボールペンも色んな人触るから自前か印鑑を用意して欲しい。とにかく怖い。。
— いちり??????UberEats?? (@trickstareclip1) April 4, 2020
実はこの話、パネル画像ははっきし「コロナ差別」とあるんだけど、コメンテーター(玉川徹氏)の発言は期せずして軌道修正になっていた。
記憶で再現すると「荷物を(家から少し離れた場所に)置いてもらって、それは自分で取りに行く。そういうのをもっと一般化したほうがいい」
「こちら(荷物を受け取る側)が感染していて、配達員に移す可能性もあるんだから」
とね。
実際に、それはそうなのだ。人と人の接触が、今現在は少なければ少ないほどいい。だから、ボールペンは自前のを用意しておき、自前のを使う。
これ自体は差別か? いや、医学的合理的な判断に見える。
そしてまた、上に書いたように「もし自分が配達員からウイルスを移されるたら嫌だ、おぞましい」ではなく「もし自分が感染していて配達員さんにウイルスを移したら申し訳ないから」ということもあるかもしれない。
おそらくは、行為自体はそういう点で中立的であっても、口調や視線や言動、そういうもので、差別感が表現されていたのかもしれない。それは現場ではわからない。
そしてまた「(濃密な)接触の拒否」は、衛生学的には正しいが、差別感情の発露と見分けがつかないことも、たしかにある。海外において握手やハグやキスの拒否が、このコロナ騒動以前はどんな意味を持つかを考えればよく分かる。
「宅配便で、業者のボールペン拒否」とは、そういう部分を持つ難しい問題であるとは思う。広く言えば当ブログが以前から追っていた「医学的・科学的合理性が、時に民主主義や人権と衝突したら」という話の一部でもある。
とはいえ、難しい話であるからこそ、「差別」とパネルで断定してしまうことに危うさを感じたので、記録しておく次第です。
あと実務的には、やはり口調にしても態度にしても、丁寧かつ敬意を持って接すれば、同じ行為でも自然に受け入れられる許容範囲は高まるのだろう、とは思う。