きょう、大阪でトークショーがあったらしい。ちまたで話題の反緊縮論で、その旗振り役の松尾匡氏らが語ったらしい。

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※ここを開けば、ツリーとして最初から最後まで読めます
薔薇マークキャンペーン on Twitter: "「『反緊縮!』宣言」ブックトークinジュンク堂三ノ宮駅前店なうです… "
このうちの一部の、山本太郎論を反響を含め紹介。
別のツイートで分かるが(下参照)質問者は菊池さん(kikumaco)だったようだ
質問「「そろ左派」読み。私もこれだと思いました。薔薇マークにも熱狂した。でも私はこれだと山本太郎が出てくるだろうと。私は彼を非常に否定的に見ている。人権という面から。リベラルとはなにか?松尾先生は一度はっきり言うべきだ」
— 薔薇マークキャンペーン (@the_rose_mark) 2019年6月8日
松尾「まず薔薇マークは経済政策で見ています。その上でヘイトなど個人の尊厳を犯した場合はダメとしています。で、緊急的な話のときには善きサマリア人の原則でいってます。善意で行った時は考慮しない(マークをつけることにプラスもマイナスもない)としています」
— 薔薇マークキャンペーン (@the_rose_mark) 2019年6月8日
三宮のジュンク堂で反緊縮のトークショーを聴きました。質問時間があったので、薔薇マークが山本太郎を認定することについて質問。松尾さんは「よきサマリア人」の原則に沿ってセーフとの意見でしたが、もちろん僕は納得していません。でも、松尾さんの考えが聞けたのはよかった
— kikumaco(6/23神戸Big Apple) (@kikumaco) 2019年6月8日
僕は山本太郎がかつての放射能関係発言を撤回しない限り信用に値しないと考えていますので、薔薇マークとは距離を置き続けます。反緊縮には賛成です
— kikumaco(6/23神戸Big Apple) (@kikumaco) 2019年6月8日
山本太郎氏の放射能デマ。善意はあるかもしれないが、そこには良識も誠実さも無い。善きサマリア人の法なぞを適用するべきではない。有害な活動家支援のための単なる方便でしょ。
— kokiya (@kokiya) 2019年6月8日
福島の農産品を指して「100ベクレルは放射性廃棄物と同じ」という放射能デマで東京都の有権者67万人を騙して国会議員になっちゃった山本太郎氏が「善きサマリア人」ですかそうですか。
— 3pF (@3pF) 2019年6月9日
「善きサマリア人」とは言い得て妙ですね! ぼくもそういう受け取りかたをしたいと思っています。山本太郎さんを支持します。 https://t.co/YCMaYqy0dO
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2019年6月8日
薔薇マークキャンペーン支持も山本太郎支持も僕はしないが、それでも松尾匡さんには先の提言する。それは松尾さんが薔薇マークキャンペーンに僕らへの誹謗中傷やめるように言ってたり、またリフレで一致してるから。まさに核心。
— 田中秀臣 (@hidetomitanaka) 2019年6月3日
だが薔薇マークキャンペーン利用して誹謗中傷してくるのは匿名ばかり。
「善きサマリア人」とは聖書の話そのものではなく、最近言われる『善きサマリア人”の法”』の話と思われる。
ja.wikipedia.org
善きサマリア人の法(よきサマリアびとのほう、英:Good Samaritan laws、良きサマリア人法、よきサマリア人法とも)は、「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法である。誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人(バイスタンダー)による傷病者の救護を促進しよう、との意図がある。
ちなみに聖書そのものは
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/nakashibuya/Lucas/L067130224.html
0:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
って話なので、なにゆえ「結果的に失敗」という含意が入ったのかよくわからんのだが……