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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「プロフェッショナル 仕事の流儀」(21日)前に、藤子・F・不二雄先生について語っておきたいことども。(「コロコロ爆伝」など)

タイトル番組の放送予定については
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131012/p6
http://b.hatena.ne.jp/articles/201310/16586
の通り。

この番組でもいろいろと語られるだろうけど、自分も、おもいつくままに。

「自分のこと」「創作秘話」は、ホントは嫌がってた。

手元にある、コロコロコミックの歴史を証言でつづった「コロコロ爆伝」から。

定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 ~ 「コロコロコミック」全史

定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 ~ 「コロコロコミック」全史

嫌がられたのはね、『ドラえもん誕生』というドラえもんができるまでの話を頼んだ時。結局、藤本先生は…作品の裏話とか、どうやってできたかとかは子供たちには関係ないってう思いがあったみたい…
ドラえもんができたのは22世紀で、と、そういうのならいいんですけど、漫画の舞台裏を見せるというのは嫌がられました。でも言い方は『イヤだ!』とかではなくて『う〜ん、ちょっとその〜マンガはマンガでいいんじゃないかな〜』という感じでした。
でもオバQにも『オバQ誕生』があるし、ドラえもんの誕生もあれば収まりがいいじゃないですか。それで『じゃあ1回だけ描きましょう』って書いてくれたんです。それを、もう何度も何度も使いまわしているんですけど(笑)『1回だけですよ、「コロコロ」だから描くんですよ』って。

自分はこれが最初にのった貴重本を持っているが、ぼろぼろになりまくって古本的な価値は無いな。
「マンガはマンガでいいんじゃないかな」というF先生のそのダンディズムにも胸が熱くなるのも事実。だけどその分、評伝や研究書が少ないという不満は非常にあって…
作者の意思に反した企画をごり押しする、というのは悪役編集者の定番ではあるが、そうやってくれた編集部の無理押し、無茶押しによる作品で、われわれはその遺産を有難く楽しめるという…。
 
この本については、こちらが詳しいです

「定本コロコロ爆伝!! 1977-2009『コロコロコミック』全史」発売!
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20090602

30で川崎市に家を建てる、リア充成功者

オバQ創作秘話」ともいえる「スタジオ・ボロ物語」は藤子・F・不二雄全集「オバケのQ太郎」11巻に収録されている。、

藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎 (11)

藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎 (11)

そして同作は昭和39年(1964年)…まさに東京オリンピックの年で、トンキン湾事件が勃発した年の1月9日朝からはじまる。
午前9時 川崎市生田
隣り合わせの家から一緒に出勤する

藤本弘「昭和8年12月1日生まれ」。

安孫子素雄「昭和9年3月10日生まれ」
つまり…30歳で家を……一戸建てを……。 かつて、マンガ家はね……。というかふつうに、その漫画家の中でも、オバQ前でもすでに人気者だよなあ。

だから来年が「オバQ誕生50周年」です。

大いにもりあげましょう。

道楽で会社を作ってしまうアレなひとたち。ガイナックスどころじゃねーぞ。

スタジオ・ゼロがあみだくじで社長を決めた、とか、給料日には役員が自分の財布から費用を出しあった、とかいろんな伝説があるけど、そこに付き合わされた労務管理事務所のひとの心境たるや。

趣味の延長で会社を作るというのも結局、恒産無ければ恒心なしで、それだけ懐に余裕があった、という点を無視はできないだろうけど、それはそれとしてやっぱりなかなか感覚が違う。昭和30年代の話だからね。
こういうところで発想を飛躍できなければ、やはり漫画界で成功なんかできないのかもしれないですのう。

今、たとえば社会学者の古市憲寿氏も、気の合う友人と会社を作って、そこの役員になっている(講談社のノンフィクション雑誌「g2」で以前載ってた)。そっちは収益をあげてて、古市氏の学問を助けていることは違うけどな。


藤子・F・不二雄先生名言集(後輩漫画家たちとの対話。※箴言風に表現を変えています)

藤子・F・不二雄のまんが技法」より。

藤子・F・不二雄のまんが技法 (小学館文庫)

藤子・F・不二雄のまんが技法 (小学館文庫)

「困ったことをいっぱい考えなさい。たとえばマッチの火をつけると願いが叶う道具なら、風で火が消えるとか、泥棒がマッチを盗むとか」
 
「背景をちゃんと描いておけば、語りつくせない部分も語れる」
 
「(伝説の締め切り破りの)恐怖感はいまだに残っている。家に帰ってもベッドだと寝すぎてしまうから、ソファに毛布で寝ている」
 
「マンガは頭の中にあるものを出す。出すためには本や映画など入れていく。エンジンと同じで爆発させるには吸気がなければいけない」
 
「デビューして1カ月で苦しくてしょうがない? 自分だって20数年やってて、いまだに苦しいですよ」

 

のび太のと竜の騎士」自作自伝など(「まんが技法」より)

これは
から。多少文面は短縮する際にわかりやすくしています

「じつは連載三回目ぐらいまで、それを善玉にするか悪玉にするか極まらなかったのです。それでも、ストーリーのつごうで出さなくてはならなくなったので、この先どっちになってもいいように、とシルエットでかきました」

 
「恐竜人たちが自らのタイムマシンを作っているというのは、連載真ん中あたりで思いついたアイデアです。行き当たりばったりに描くためには、逆にオセロや碁で二手、三手先を読むようにするテクニックが要るのです」
 
ひたすらおもしろい小説を読み、おもしろい映画を見、おもしろい話を友達から聞くのです。そうこうしているうちに、自分の中に、おもしろさの素のようなものがたまっていきます。それをどう効果的に読者に伝えるかというテクニックは、・・・また平凡な言い方になりますが、これはもう、ひたすら描くしかないのです。

F先生が書いた幻の小説。「平家物語」をF先生流に解釈した、上・下巻の作品だった…

もう一回、コロコロ爆伝に戻って。証言者は伊藤善章氏。

ワープロを買ったんです。すると先生が「これは便利ですねえ」って打ち始めて…(略)平家物語」ってタイトルなの。
内容は、「その家は、平屋だった」で終わり(笑)。
 
亡くなって4〜5年経った時に奥様が見つけてきてねえ。
平家物語・上」。
「その家は平屋だった」「屋根の上は 雲だった」。終わり(笑)
さらに
平家物語・下」。
「平屋の下は地球だった」。終わり(笑)。
この茶目っ気っぷりはねえ、最高だなと思って……(後略)

かわぐちかいじの「ジパング深蒼海流」は、この藤子・F・不二雄版「平家物語」を超えられるだろうか…(ちがうだろ)。

予告。ジャンプvsコロコロ、ドラえもんvsドラゴンボール

この「コロコロ爆伝」で面白かったもうひとつの箇所は、同書の作り手が、当時の編集者に話を聞くうち「コロコロコミックのライバルはコミックボンボンだと思ってたけど、どうも違うようだ。コロコロのライバルは、一貫して『少年ジャンプ』だったんだ!」と気づくところ。そして、なんとドクター・マシリトこと鳥嶋和彦氏に話を聞きに行っている(笑)。
マシリト博士いわく
「世の漫画家で天才と呼べるのは手塚治虫藤子・F・不二雄、そして鳥山明の3人だけでしょう」……。
この、実は対比されざる「コロコロvsジャンプ」戦争については、藤子・F・不二雄氏もおおいに絡んでくるのだが、別項目をつくるべきかと思うので後日。