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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 報道、記録、文化のために

全巻50%還元中の「ガラスの仮面」、むかーし論じた文章があるので推薦代わりに載せておく

ひとことでいえば平成一けた年の文章でしたよ。
よく保存していたもんだ、俺。そしていまでも開けるwordも大したもんだ。


とにかく、おそらく本日で終わるのかなあ、続くのかなあ。ガラスの仮面の50%還元。
今回が初みたいなもんなのか、定期的にセールされているのか、そしてもっと待てば100円とか55円とかで売られるのか…それは分からない。

だが、自分は買いそろえた。君たちも好きにしろ。

ガラスの仮面 1

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ガラスの仮面 49

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ただ、老婆心で言わせてもらえば、たぶん自分も下の文章のような経路がなかったら「ガラスの仮面」を、「夕方によく再放送されてたアニメ」ぐらいの感覚しかなく、目にしようという機会も動機もなかったろう。
特に男性はそうであろうから、この機会に例えば1~3巻ぐらいまで購入してお試しする、というのもあるんじゃないか。


ああ、アニメと言えば内容を知るにはサブスクに作品があれば、だが
アマゾンプライムビデオは有料、

U-NEXTはラインナップになかったね


(前部分(略))
そもそも筆者がこの作品を読み始めたのは、よくこの雑誌でも名が出る、「偉大なる」呉智英氏の推薦による。高校生の時著作を読んで以来、彼を「グル」として絶対的帰依・・・はしないけど(笑)
大きな信頼をもって、彼の推奨した本は一応読んでみることにしている。そして、そのお陰で幾多の名著に巡り会う事ができた。その呉氏が少女マンガの中では殆ど唯一絶賛をしていたのが、この「ガラスの仮面」だったのである。

彼の「ガラスの仮面」論は文庫の11巻・解説に詳しいが、その他の原稿で彼はなんと「北斗の拳」と共に!このマンガを論じている。どこに共通点があるのか!


と思うのも当然だが、彼は「近代的教養が足かっぱらわれる」と表現している。つまり人生の矛盾とか絶対的倫理の不在とか実存的孤独とかごはんですよのフタが開かないとか、そういうこまごま
とした事を描くのが近代文学としたら、これらのマンガはそれ以前の、とにかく「おはなし」の荒々しい面白さをのみ極めんとし、また極めたというのである。(面白い事に、評論家・中島梓(SF作家・栗本薫)のデビュー評論「文学の輪郭」に通じるものがある。そして2人が仲が悪いのも、また面白い)


 しかし、面白い「おはなし」ならば我らの世代にも、幾つもの傑作が産まれている。果たして、それらに比すべきものかどうか・・・半信半疑ではあったが、とりあえず読んでみて---実は読面白くなければいいな、と思っていた。そうすれば少女マンガとは今まで同様距離を保てると思ったのである。しかし世の中、そうは上手くいかない。これはどうも、やはり面白かったのである。
そういう訳で、呉氏の導きのもとガラスの仮面を愛読することとなったのだ。(実はもう一人の師、「親愛なる」浅羽通明氏の導きで桑田乃梨子という人の作品も読むようになった)

※つまりこの当時、少女漫画化はこの2作家プラス「動物のお医者さんちびまる子ちゃん」ぐらいしか読んでなかったようだ



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■あらすじ・・・平凡な少女、北島マヤは、かつての大女優・月影千草にその才能を見いだされ、演劇への道を開かれる。月影は、かって自分が演じ、今では自分が上演権を持つ「紅天女」の後継者を探していたのだ。そしてもう一人、天才と呼ばれた姫川亜弓がいた。
 まだマヤが新人の頃から、亜弓は彼女の才能を見抜き、自分の終生のライバルをそこに見いだす。マヤは芸能界の陰湿な陰謀や、「紅天女」の上演権を狙う大手芸能プロの妨害の為になかなか評価されなかったが、本能的な演技力で、大女優への道を歩み始める。その支えとなったのが、ライバル・姫川亜弓と劇団の仲間、そしていつも匿名で花を送る「紫のバラの人」であった。しかしその正体は、仕事と感情の狭間で動く、大手芸能プロの社長だったのである。幻の紅天女を演じるのは、マヤと亜弓のいずれか?紫のバラの人の正体をマヤは知ることがあるのか?病重き月影は何を彼女らに見るのか?・・・物語は続く。
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 しかし、不思議なことに、この物語に妙な懐かしさを感じたのである。この既視感はいったい何なのであろうか?少し考えて思わず笑ってしまった。これは梶原一騎の世界ではないか!
よくも悪くも「男の世界」のみを書き続けた作家の作品と少女マンガ中の少女マンガが似てるというのは、喜ぶべき事なのか悲しむべきことなのか?田嶋陽子あたりに聞いてみたい気もする。


それはともかく、例えば星一徹の大技「ちゃぶ台返し」と月影千草がマヤの母から送られた心尽くしの着替えと手紙を「家庭はジャマだ」といって燃やしてしまう場面を、またジョーと力石の関係をマヤと亜弓の関係を比べれば、理解して貰えるだろう。某少年週刊誌のモットーも、「友情・努力・勝利」だそうだ。何でも話がこのコンセプトに沿うと、アンケートの結果が跳ね上がるので自然とそうなったという。そしてこの3つ、完全に「ガラスの仮面」にもあてはまる。ただ、彼女らの友情は「名人、名人を知る」という友情である。そして勝利を目指す闘いは、弾も拳もとばない、それ以上に緊張感に満ちた世界での闘いである


筆者の好きな逸話にこういうものがある。江戸時代、ある一流の能楽者が将軍に招かれ、御前でひとさし舞った。
皆、その見事さに見惚れるだけだったが、その場にいた柳生ナントカ守が、前を通った瞬間、鋭い一喝を飛ばした。将軍が驚いて後日訳を問うと、舞に隙の無いのに驚き、真剣勝負のつもりで見ていたら僅かに目の前で乱れたのでそこを狙ったと述べた。能楽者も呼んでみると、ひそやかな殺気を感じつい乱れた。お恥ずかしいと答えたので将軍はいたく感心し、2人を褒め讃えたそうである。 

※この場面を梶原一騎小島剛夕が漫画にしているが、梶原らしく「実はこの裏で…」という捻った趣向である

斬殺者 能と隙 柳生
斬殺者 能と隙 柳生 梶原一騎


 これである、これ。攻めも攻めたり、守りも守りたりというか、竜虎相撃つというか、名人同士にして初めて判りあう境地の闘いと芸。

ガラスの仮面にはこういう「名人伝」を思わせるような話に満ちている。例えば、マヤと亜弓が初めて出会う場面を見よ。産まれて初めてパントマイムで「小鳥が逃げた」場面を演じろと言われたマヤはただ立ち尽くすだけの様に見えた。あざけりの笑いが飛ぶ中、次の亜弓は見事に演じ、小鳥を鳥かごに入れる所まで演技してしまう。

口々に亜弓を褒め、マヤの悪口をいう仲間に彼女は冷ややかな目を向け、「わからない?彼女は小鳥が逃げた事に本気で困ってたのよ」

ガラスの仮面 パントマイムと小鳥 「本当に困っていたのよ」

これに限らず、以後の対決でも2人は譲らぬながらも好対象の演技を見せる。落語の文楽志ん生の関係を思わせるではないか。



そういえば、名人芸ということでは漫画で「寄席芸人伝」(小学館)という傑作がある。「ダメおやじ」「レモンハート」の古谷三敏の作で、雪山の落語の為にわざと遭難するとか、そばを食う身振りで近所のそば屋を売り切れにさせたとかの伝説的なエピソードが人情味豊かに描かれている。特に7巻「耄碌常之助」は涙無しでは読めないし、「破礼噺花蝶」はかつて中野翠が「低俗こそ我が敵。通俗こそ我が味方」と啖呵を切ったような、芸人のあるべき反骨精神とは何か?を考えさせる噺、いや話だった。(寄席芸人伝とガラスの仮面の類似性に気付く奴ぁいねえだろう、と思ってたら夢枕獏が言ってた。何かくやしい。) 

というわけで、正統少女漫画「ガラスの仮面」は実は最も少女漫画から遠いものだったのです。

(後略)