もう一回、有田哲平本から紹介するね。「道場」という章から。
…UWFの道場では安生洋二さんが強いと言われていたし、Uインターでも「道場では金原弘光と桜庭和志が強い」という話が出回っていましたが、実際のところは何も知りません。
それと同じように、以前は「道場では藤原が最強」という表現をよく見かけました。雑誌でも活字にされていたのを見かけた記憶があります。今考えると、当時はその情報をどう処理していたのでしょう?「道場で最強」とされている藤原選手は、実際のリング上では、蔵前国技館大会の第3試合あたりで外国人にブレーンバスターで負けていたりするんですよ。それをどうとらえればいいのか?道場ではコーナーポストや場外がないので、そこが違うということか?当時のプロレスファンの頭の中はどうなっていたのでしょう?道場では藤原が最強、をみんなどう思っていたの(有田哲平)
ヤロウ、タブー中のタブーに…じゃねえや、たしかに!というかこの部分も、同じこと思ってた、である。
そもそも当時、自分は「テロリスト」で藤原喜明がテレビ画面に出る前に……どうだったのかな?イラストだなんだで、藤原喜明の名前は知ってた気がするな。パキスタン遠征云々も見たはずだし。
で、たしかに「道場で強いんなら試合でも強いはず」「強いならチャンピオンになるはず」みたいなことは、こどもだから疑ってなかったはず。
どう処理したか・・・・といえば、やっぱり野球やサッカーのようなガチスポーツ的な視点として「ここ一番の勝負にはよわい」「緊張して力を発揮できないタイプ」みたいな説明に納得してたんじゃないかな?
試合を見ても、全然そういうタイプに見えなかったことは置いといた気がする(笑)
本来的には、以下のような矛盾に突き当たっておかしくないんだよ。
……テレビ朝日から新日の役員になった人が年俸を査定したら藤原喜明の額が非常に抑えられて、藤原が不満を述べたら
「君は試合であまり勝てないから仕方ないだろう」。
聞いた藤原が「じゃあわたくしが、木村健吾さんや藤波辰爾さんをリングで完全に倒したらギャラが上がりますかね?」
「そんなこと、ちょっと無理でしょう?」
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その後「UWF」の誕生と、変化によって「プロレスには、本当に実力があるのにチャンスに恵まれずに高い地位を与えられない(試合の筋書きがあり、そこで負け役をする、とまでは把握してない)選手たちがいる」というのは”公式ストーリー”になった。そこからはカール・ゴッチ伝説とも混交して、余り迷わなくなった気がする。
ところで、藤原喜明が猪木の気まぐれアイデアによって「テロリスト」になり、テレビにも登場して個性派脇役になった直後に、因縁の相手として長州力との対戦が組まれて…その時「リキラリアットを脇固めで切り返す」というスポットを用意し、そしてそもそも脇固め…今や英語では「フジワラアームバー」だ……をテレビに登場する技にした、その藤原の「テロリストブレイクからUWFの主役になるまでの短い期間」、あれがすごかったんだ、ということも思いだした。
ときに、有田本の面白さとして、そういうプロレスのあれこれを「芸人/お笑い」の世界の体験談やセオリーと比較して語る部分もあげたい。
上の文章の直後に、こう続く。
僕たち芸人の世界にも同じようなことがあります。「楽屋キング」という存在です。以前は、TV番組の収録でも芸人の楽屋は大部屋でみんな一緒でしたが、特にここ10年ほどは状況も変化し、芸人同士が楽屋でワイワイやることがあまりなくなりました。
れに、僕らが先輩格になったこともあって、楽屋で芸人同士が笑わせ合うという場面もほとんど見なくなりました。楽屋は準備をする場所、ゆっくりする場所ということになっています(本来そうなんですが)。でも、そこでも面白いと思わせたいという猛者がいるんです。
僕らの世代で言うと、人の楽屋に「何してんの?」と入ってきて、そこで全力を出していたのが古坂大魔王です。当時は「底抜けAIR-LINE」というトリオのメンバーでしたが、彼は本当に楽屋でも一生懸命でした。「ものまね王座決定戦」という番組があって、若手は朝から呼ばれてリハーサルをしていくんですね。それが終わっても、夜の本番までの時間が長いんですが、その間、古坂はずーっと芸人を笑わせていました。で、本番は疲れ果ててうまくしゃべれないんです。
「楽屋なのによくそこまでやるよな」とも思っていましたが、僕らやネプチューン、爆笑問題など同世代の芸人たちは、おそらく口を揃えて「楽屋で一番面白かったのは古坂だった」と言うはずです。その後には「でもアイツ、本番では何も出せないんだよな」
この「古坂大魔王」がのちの…となっていく。