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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

猪木のもう一つの顔「怪しげなビジネスに手を出す」…その語り部だったジャン斉藤渾身の追悼文を見よ!【記録する者たち】

ズンドコから見た我らが英雄アントニオ猪木

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斉藤 追悼記事で猪木さんが美化されてるわけじゃないですが、やっぱり猪木さんってダメな部分を含めて面白い方だったので、ズンドコ方面も振り返りたい。……(略)アントニオ猪木のイメージって世代によって違うと思うんですよ。猪木さんの全盛期の試合をリアルタイムで見ていたのって40代後半がギリギリでしょう。よく知らないファンが大半だと思うんですよね。
(略)
斉藤 (略)…ボクはどの時代の猪木ファンかといえば、プレイヤー時代もそれなりに好きだったんですけど、引退後のフィクサー期が本当に面白かったんですね。猪木さんを中心に魑魅魍魎が跋扈する世界が刺激的で。

――まあ、新日本帝国が崩壊していくわけですからね。

斉藤 同時に猪木さんが永久電機とか発明や事業にのめり込んでいる姿も最高だったんです。手前味噌になっちゃいますけど、ボクが所属していたカミプロって、引退後の猪木さんのキャラクター形成において重要な役割を担っていたところがありまして。カミプロからダーク猪木や実業家・猪木の面白さを知った読者も多いと思うんですね。何か事件や問題が起きたときに「さわってねえんですよ」と無責任に言い放つ無責任な言葉をクローズアップしたり。

――猪木さん周辺や新日本からすれば「余計な報道をするな!」って感じですよ(笑)

そう、紙プロ独占みたいなアレだった。


「されど わが紙プロkamipro)の日々」を懐かしく思い出す人もいるのではないか…

猪木のビジネス方面もいじってネタにした紙プロ


このあと書きたいと思っているのだけど、本当にオリジナルの紙のプロレススタッフが作ったといえる「猪木とは何か?キラー編」でも、”国会議員の猪木”に話を聞くインタビューがあるが、そこで語られているあれこれが、あまりにもアレすぎて、なにひとつ評価できない代物だったりするしね。今から読むと捧腹絶倒…してられねえよ!「日本の国会議員」が言った言葉として、あちこちに記録されてるかもしれねーんだよ!!



個別に見ていこう。ちなみに1万2000字、この記事はある。

アントニオ猪木のズンドコを代表する永久電気

国立競技場『Dynamite!』直前のやつかな。世紀のイベントについてのコメントを聞くために記者が大集合したんですけど、猪木さんは開口一番「皆さんに大事なお知らせがあります。ついに永久電機の会見を行ないます!」って吠えだしてみんながズッコける

アントンハイセルというバイオテクノロジー事業に猪木さんがお金をつぎ込んだから、と言われてます。実際にハイセルで借金を背負ったのは間違いないんですが、当時の話って何が本当かはわからないんですよね。それとはべつに新日本社内で内部不正があった

アントンリブだけは成功してたんだけども、そこはハイセルの借金返済のために売却して。悪いことは重なるもので、お金を管理していた経理の人間が1億2億ぐらいを持ち逃げ

「私は自殺しようと思った。 借金地獄に家族だけは巻き込みたくなかった。しかし美津子は女優だったし、否応なく巻き込まれてしまうのはわかっていた。借金は、もうどうしようもない額になっていた。一介のプロレスラーがどんなに頑張って稼いでも、絶対に返せない金額だ。私は掛け捨て保険に入ろうと思った。私が死ぬことで解決できるなら、死ねばいい。それが倍賞美津子に対して私に出来る唯一の思いやりであり、最後の愛情…(略)」(『猪木寛至自伝』)※文庫ではアントニオ猪木自伝、に改題されているようだ


猪木さんは議員になったあとも借金問題に苦しんで。なにしろ借金取りが議員会館まで現れるぐらいですから。その借金は都知事選立候補の件で解消

猪木さんのパチスロが大ヒットしてシリーズ化されて、コマーシャルにも出る。当時はパチンコバブルで動くお金は億単位だけど、猪木さんの手元にはそんなにお金が……とはいっても日本の定宿はホテルオークラで、けっこう散財

この永久電機のビジネスはもともとは破壊王に持ち込まれたんですよ。それはそれで破壊王らしいエピソードなんですけど、いつのまにか猪木さんのところに回って

猪木さんが心酔していたのは政木和三という方で。アトランティス語をしゃべり、自動炊飯器、自動ドア、格安テレビ、エレキギターを発明…

猪木さんは永久電機以外にもサンゴの養殖やイルカ牧場にも取り組んで

斉藤 明らかに怪しかったのは「絵の暖房」ですよ。絵から暖かい空気が出ると。

――怪しいどころじゃないですよ(笑)。

斉藤 それを佐川の会長さんにも見せたそうです。「会長、絵から暖房が出るんですよ」って。会長は困惑……

まあ、そういうわけで、アントニオ猪木はとりあえず議員とか、東京都知事にしない方が良かったね、と思いませんか? これらに公費だって使われたかもしれないんだから。


こういう猪木がズンドコ事業発言をしてた「成田会見」は、メディア多数派が”談合”して、猪木のイメージにそぐわない発言をカットしてた。部外者の紙プロだけが、その談合に加わらず記録に残した【全文革命】

ジャン斉藤氏が、これだけ詳細な長文記事を書けるのは「成田会見」や「永久電池お披露目」の場にいた、歴史の証人だからだが、見逃せない問題がある。

斉藤 当時の猪木さんはアメリカに住んでまして、日本とアメリカをファーストクラスで行ったり来たりしてたんです。で、アメリカに帰る前は成田空港のVIPルーム、もう20~30人ぐらい入れる大部屋が使えていた。そこで猪木さんがくつろぎながら記者会見をやってたんですよ。記者会見というか懇親会。成田空港に集まった記者は10名くらいかなあ。そこで猪木さんの独演会が始まるんですけど、話が発明やら政治情勢とか脱線しまくるんです。プロレスの話もするんですけど、抽象的な内容でまとまりがない。それだと記事にしづらいし、媒体によって内容が違ってくることも起こってしまう。

――「どっちの内容がホントなんだ?」ってなっちゃいますね。

斉藤 それに書けないこともあるでしょう。ある人が亡くなったときも「○○が殺したんだろう」ってブラックジョーク的に口にしたら、さも猪木さんが真実を語ったみたいに伝わったこともあったし、けっこうデリケートな場だったんですよ。トラブルにならないように会見後はマスコミが集まって、記事の方向性を話し合って決めることがあったみたいなんですよね。

(略)

斉藤 で、成田会見が終わって、記者がみんな集まってる輪にボクも加わろうとしたら、ある記者が「おまえはくるな」みたいに手で払いのけられたんですよ。

――カミプロの人間がまたぐんじゃないと(笑)。

(略)
斉藤 …怒りが収まらなかったから、こっちは好き勝手書いてやるってことで、みんながスルーしていた発明の話から始まり、猪木さんのキツイ新日本批判もそのまま載せることにしたんです。どういう局面だったか忘れたけど「テレ朝、死んじまえ!」とか。


いやー、なんともなんとも、いかにもありそう。アントニオ猪木は当時は議員でないから良かったし、どうしたってプロレスメディアは「ケーフェイ」の問題もあり、ウチとソトに分かれる…だが猪木のそのメディア好きや、森喜朗二階俊博よりひどい「言っちゃいけないセンサー」の故障ぶり(よく考えりゃ同年代に近いか)によって「そのままだったら問題・ズンドコ発言になりまくり」なコメントが量産される……それを守っていたのは、なんとなく身内意識ができた記者仲間の忖度・談合でした、というねぇ。



それに逆らって?猪木のズンドコをズンドコのまま掲載した紙プロが正義か?ジャーナリズムか?といえばもちろん、また違うけど(笑)、たとえば正義でないものの「悪と悪のせめぎ合い」も、多数あれば結果的に益するものもある、ということだと思う。


結果的に「猪木の怪しげなビジネスや発言」を今こそ、の秘話で報じるメディアもたくさんあるが、どんなにその記者がすぐれていても、継続と蓄積にはかなわない。鈴木エイト氏のようなものだな(笑)、結果、ジャン斉藤のこの記事が、猪木追悼記事ランキングの中でも1,2を争うものになったではないか。


紙プロ記者を排除する側」だったかどうかはわからないが、別の記者の、成田会見回想記。

アントニオ猪木さんが定例の「成田会見」で明かした南極プロレス…元担当記者が悼む

 ……猪木さんは一時期、空港とセットだった。1か月に何度も日米を行き来し、そのたびに会見を行った。通称「成田会見」である。

 「きょうは何ですか?」が決まった第一声。さらに両手を広げ「何でも聞いてください」。毎回、あ然とした。通常、会見は発表することがある時に行われる。だが、成田会見では一度としてなかった。どう面白い話を聞き出すか。テーマがないからこその焦りと緊張、そして勝負だった。猪木さんの言葉は難解で、真意が分かりにくい時もある。何度も通って、人となりまで勉強した。今思えば刺激的で、ぜいたくな時間だった。

 質問がなかなか出ない時は逆質問がくる。「ハワイに歯科医がいないのはなぜだ」。絶対いるから誰も答えられない。「みんな『歯はいい』ってな。ダーハッハ」。大好きなダジャレで和ます気遣いだった。

 話はプロレスにとどまらない。サンゴ礁の保護とか、「岩から石油を取る」なんてのもあった。ちんぷんかんぷんだった。それが「シェールオイル」だと分かったのは、技術が確立された数年後のことだった。不評だったアリ戦は、総合格闘技の礎となった。タバスコが人気になる前に輸入権を手放したこともそう。リング内外で目の付け所が違うのだが、時代の先を行き過ぎる人だった。

news.yahoo.co.jp


と同時に、もし数年、十数年の差によって、「猪木の成田会見」にyoutubeが持ち込まれ、たとえばYOUTUBERが突撃会見参加してたら(猪木のことなら「ユーチューバー?おもしれえじぇねぇか」と認める可能性大。相手が小金を持っていたらほぼ確実(爆笑))…これらの発言はいやおうなく、世間に拡散していた。記者の忖度も遠慮も無効化。


これがいわゆる「全文革命」であります。


※「全文革命」という概念の解説
m-dojo.hatenadiary.com





自分は2007年に「記者会見をそのまま撮影して、ネットで動画として流せば、それだけでコンテンツとして楽しめるものにもなるし、ニュース的な価値も高いのでは?」みたいな記事を書いた。

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この当時はあくまで「未来予測」「仮説」だったのだよ。今、普通にどこの小さな団体でも、記者会見動画をUPしようと思えば可能だし、実際にいろいろ挙がる時代になっているのも不思議なものだね……



残念ながら、猪木の成田会見はこの「全文革命」に間に合わなかった。いま、せめて撮影データや音声データを持っている人は、その貴重なデータを散逸させないで保存するように祈るのみです(了)




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