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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「日本語は百数十年探しても、親類の言語が不明。今後も見つからないだろう」とされていた(高島俊男)。だが、ついに発見?

この記事を読んで当方、たぶん人一倍おどろいた。

日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表

日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日本時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。

【写真】歴史見つめ…100歳

 日本語(琉球語を含む)、韓国語、モンゴル語ツングース語、トルコ語などユーラシア大陸に広範に広がるトランスユーラシア語の起源と拡散はアジア先史学で大きな論争になっている。今回の発表は、その起源を解明するとともに、この言語の拡散を農耕が担っていたとする画期的新説として注目される。

 研究チームはドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心に、日本、中国、韓国、ロシア、米国などの言語学者、考古学者、人類学(遺伝学)者で構成。98言語の農業に関連した語彙(ごい)や古人骨のDNA解析、考古学のデータベースという各学問分野の膨大な資料を組み合わせ……
news.yahoo.co.jp


なぜ、おどろきが人一倍だったかというと、以下のような文章を読んでいたからだ。


……世界で現に話されている言語は何千もある。だいたい三千から六千のあいだぐらい、と思ってよかろう。
数が漠然としているのは、一つには調査がゆきとどいていない地域(アフリカとかオーストラリアとか)があること、一つには、ある言語とある言語とを、別の言語とかぞえるか、方言と認めるかによって大きな差が生ずるゆえである。
まったく通じなくても方言、ということはいくらもある。たとえば近いところで、琉球語(沖縄で話されていたことば)は、かつては日本語とは別のことばと考えられていたが、いまでは日本語の一方言とされている。
逆に、フランス語とスペイン語とイタリア語とはあとでのべるように姉妹語であるから、言っていることはおよそ見当がつくそうであるが、別の言語とされている。
ともあれ、そのように世界には数千種の言語があって、日本語はそのなかの一つである。かりに、世界の人口を八十億とし、言語の数を四千とすると、一つの言語を話す人の数は二百万人ということになる。無論実際には、何億という人が使っている大言語(多数の人がとている言語)もあるし、ほんの数万人が使っているだけ、という小さな言語もある。

なかにあって日本語は、一億をこえる人が使っているのだから、世界でも指折りの大言語の一つである。

世界の何千という言語をしらべて、これをいくつかの親類集団に整理する作業が、主としてヨーロッパの学者によっておこなわれている。
たとえば、フランス語、イタリア語、スペイン語ポルトガル語ルーマニア語は、わりあい近い時代にラテン語から出で分化した、ごく縁の近い姉妹語である。まとめてロマンス語と言う。英語、ドイツ語、北欧諸語は、まとめてゲルマン語と呼び、これも兄弟語である。そしてロマンス語とゲルマン語とは、いとこくらいにあたる近縁の言語である。これらをふくめて、インドからヨーロッパにわたって分布するあまたの言語が、皆もとは一つの祖先から出た親類とされ、「インド・ヨーロッパ語族」(印欧語族)と呼ばれている。


そういう大家族もあるのに、日本語は、親類の言語が一つもない。かつては、「アルタイ語族」(トルコ諸語、モンゴル諸語、ツングース諸語等)に属すると考えられたこともあったが、いまでは否定されている。なお「諸語」とは、親類関係にある複数の言語、ということである。また、アイヌ語と類緑か、と考えられたこともあるが、いまでは否定されている。また、朝鮮語と親類か、と考えられたこともあるが、いまでは否定されている。最近では、インドの一地方で話されているレプチャ語と親類、ととなえる学者もあったが、賛同者はなかった。いま、これもインドの一地方で活されているタミル語と親類、と主張する学者がいるが、賛同者はいない。


かように、過去百数十年にわたって親類さがしが熱心におこなわれたが、見つかっていない。今後も多分見つかることはないだろう。日本語は孤立した言語なのである。


ただし世界には、孤立した言語も多い。なかで最も有名なのは、フランスとスペインの国境あたりの地方で十万人が話しているバスク語だろう。これは、周囲が全部印欧語族なのに、ポツンと一つだけ「系統不明、親類なし」なのが珍しいので、著名なのである(梅棹忠夫『実戦・世界言語紀行』岩波新書〉によればバスク人の大部分は国境のスペイン側に住んでいる。現在はスペイン語を話している人が多い、とのこと)。


なお日本語は、日本国内ではどこでもこれが用いられており、日本以外ではどこにも日本語を使っているところがない、という点でも世界にあまり例がない。

(後略)

以上は、2011年に刊行された、故高島俊男氏の、この本からである


学問は日々進歩し、「今日の不可能は、明日の可能である」(ツィオルコフスキー)であることは承知だが

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今日の不可能は明日の可能である 栄光なき天才たち「宇宙を夢見た人々」ツィオルコフスキー

それでもあの碩学が、「今後も見つかることが無いだろう」とひと昔前(ほんとうに10年前だから、ひと昔だ)に語った言葉が、今回覆されるなら、大いなるロマンです。

ただ、これまでも「やったか?●●語が日本語の起源で間違いないか?」と思われたところから、あっさりそれが覆されたのも事実。
今後の行方にまずは注目する。