「麒麟がくる」最終回でした。
だけれども、最終回を含めて終盤・・・・・・・・・織田信長が、明智光秀と対立する場面って、ほとんどといっていいほど必然性が無かった気がするんですわ。
饗応の「膳がちがう」というのは、明智をわざわざ饗応役にと、もてなされる側なのに指名した徳川家康に対する牽制?
四国攻め、光秀に何も連絡なしで?
光秀に「足利義昭を殺せ」と命じる?
どれもこれも、あまりに必然性が無いだろう。
必然性が無いのは、「光秀をいじめることを楽しんでいた」、ならばそれなりに説明がつく。
しかし、だとしたら、やっぱり不要不急のことで家臣を追い込んで反乱を起こさせるとしたら、信長の頭が悪いことになる。
別にいじめる気とか毛頭なく、単純な損得計算の結果だとしたら、その計算は大幅に狂ったのだからやっぱり信長の頭が悪くなる・・・・・・・・。
本能寺の変は説明がつかないことが多いのは事実だし、
その結果から逆算して「よほど光秀はひどい目にあったにちがいない」というのは江戸時代から続く発想だけど、それにしても腑に落ちない感じでした。