INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「報道のコモディティ化」「youtubeジャーナリズム」とは? コロナ危惧し引退の琴貫鐡『貴闘力youtube』で激白。


f:id:gryphon:20210111110620j:plain
貴闘力チャンネルでコロナ引退力士が激白

www.youtube.com
コメントもたくさんついた。



ちょっと感動している。
なにがか、というと。コロナ引退そのものじゃない。


何度も紹介している細野不二彦電波の城」の一節だけれども


であろうな、と。
今さっきのやりとりなんだけど


※これはtogetterのコメント欄の文章の一部なので、全文を載せます

Rogue Monk @Rogue_Monk
10分前

これ写真撮影という「専門技術」をメディアが独占できなくなった好例で、そうして陳腐化すると報道という職業はコモディティ化して昔のような指導的な地位は守れないのよね。
togetter.com


昨年、「youtube(動画配信)が物語内に登場した漫画作品リスト」を作成してみました。2021年は、完全に普通の風景となりましたので、もう追加の必要はないでしょう。だからこそ、「動画配信」が社会に登場する経緯が分かる、けっこうおもしろい資料になったと思う。

m-dojo.hatenadiary.com

…で、ほぼ元祖に近いと言っていいのが、2011年、ロシアの有名小説を現代日本に舞台変換し描いた「罪と罰」クライマックス。
その時に感想書いている

細野不二彦「電波の城」と落合尚之「罪と罰」をまとめて紹介。テーマは「報道の裏をかく」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

落合尚之罪と罰」が次号で最終回。その一つ前で「ネット生中継」が重要パーツに。「権力の妨害を避けて情報を広める」方法として。

アクションで異彩を放っていた、ドストエフスキーの古典を翻案した漫画「罪と罰」が次号で最終回を迎える。
この作品や、イブニングのアルセーヌ・ルパン漫画や股旅物漫画(小林まこと)を含めて「古典作品の翻案・漫画化」についてひとくさり論じたいところだが、それは後日に。
 
この作品では、翻案した際のアイデアとして「組織的な少女売買春(援助交際)」が登場し、それに権力者も関わっていたため、とある冤罪被害者が発生、主人公は罪を免れてきた…という設定。
だもので、真実を公表したくてもできないというシチュエーションだ。
しかし最終回一つ前のお話で、これを打ち破るツールとして「ネット生放送番組」が登場する。

・真相を暴くに足る証拠はある。証言者もいる。
・だが、最初に「あの殺人事件の真相」などと告知すると権力や暴力が潰しにかかる。
・そこで「何かが起こる!」といったあいまいな表現で告知する。
・最初にそれで興味を持って視聴する人は少数だが、見ていくうちに重要性が伝わる。
・「みなさん、どんどん広めてください!」と番組中で煽る。加速度的に視聴者は増える。
・翌日はまがりなりにも公のメディアでも記事になる。さらに広まる。

実際の「sengoku38」の海保映像流出の経緯を見ても、相当にリアリティは感じた。こういう形でこれから暴露や告発がなされることも、実際に遠くない将来にはあると思う。

そう、その1年前には、本格的に内部告発で、既存メディアをスルーし、告発者が直接ネット、ソーシャルメディアを使うという大事件「尖閣事件映像流出事件」が発生していたのだ。
最初期の話なので、そのことに対する衝撃も大きく「なぜメディアに持ち込んでくれないんだ」「ぜひ、内部告発はメディアに!」というぼやきやPRも活発に。

m-dojo.hatenadiary.com

そのニューヨーク・タイムズは3カ月をかけ公開の是非を検討し、記事を掲載した。こう振り返れば隔世の感がある。米国で、日本で、国防や外交、治安関係のデータが匿名の何者かのマウス操作一つでネットに暴露される今日だ。情報漏えいもお手軽になったものだ▲尖閣映像を流出させたと海上保安官が名乗り出た。政府の情報管理の甘さが批判される一方、情報漏えい者を英雄視する声まで出た事件である。政治的な情報謀略も、愉快犯的情報犯罪も、公益にもとづく内部通報も、みな似通った顔つきで登場するネットの世界だ▲(毎日新聞「余禄」より)

大石泰彦(メディア倫理) 「戦前を思い起こさせる」
(略)…民主主義社会ではジャーナリズムが政府を監視する役割があり、情報の取り扱いのプロであるジャーナリストを通じて社会に訴えるべきだった。
ただ映像だけが流れるネットでは、受け取る側は感情に流れやすい。ジャーナリストによる見極めや十分な解説が加えられた情報の方が正しく判断ができる。取材への協力は正当な行為であり、ジャーナリズムも取材源として守るという形が望ましい。

togetter.com

もちろん、新聞テレビより野性味のある「週刊誌」も、自分達を通じて「告発」をするよう、そのニュース価値を持つ人には常に働きかけている。
それが成果を、最近でも挙げている。

2016年の週刊文春

2016年の週刊文春



しかしそれでも、「コロナが怖いので角界を引退する。場所の開催を強行し、出場拒否を認めない協会の姿勢には不満がある」という、ニュース価値がいま現在、天井知らずの高さであろう人物が選んだのは、プロのメディアの場ではなく、なにかとかつて話題を呼んだ貴闘力の、youtubeチャンネルであったと。(もちろん、それと並行して、あるいはこの動画をきっかけに大手メディアへの今後の出演もあり得る)


これは「角界」にタブーがあるから、という面もあるのだろうか。


ま、去年もダイヤモンドプリンセス号のコロナ検疫体制に対して内部告発した岩田健太郎氏も、たぶん「敢えて」youtubeを選んだのでありましょう。
m-dojo.hatenadiary.com

その延長線上にある話だが、

とりあえず、これがつまり「報道のコモディティ化」なんだろうな、と。この言葉「報道のコモディティ化」も、ひとつのパワーワードとして記録しておきたい。
さらにいま即興で「youtubeジャーナリズム」という言葉も考えました。これも記録。