すでに著作権が終了している、幣原喜重郎の書。 唐代の詩人、汪遵(おうじゅん)の「長城」から材を取った。
秦長城を築いて鉄牢に比す
蕃戎敢えて臨洮【氵兆(とう)】に逼らず
焉んぞ知らん万里連雲の勢
及ばず尭階三尺の高きにそして書では 「日本国憲法第九条注釈」と添え書きしているという(画像参照)。
- 作者:笠原 十九司
- 発売日: 2020/04/17
- メディア: 単行本
- 作者:幣原 喜重郎
- 発売日: 2015/04/23
- メディア: 文庫
これは
2019年の憲法記念日(の前後?かも)に、毎日新聞の記事で読んだ。
同記事の切り抜きを確認すると
・書は幣原が、同内閣の副書記官長(内閣官房副長官に相当)を務め、その後参院議員を務めた木内四郎に贈った。
・80年代には雑誌などで紹介されていたが、その後所在が不明となっていた。
・千葉県在住の歴史家、大越哲仁さんが木内の遺族の家から発見した。
とのことである。
さて漢詩の意味だが、
・秦は遊牧民族の侵入を防ぐため、鉄の牢のような頑強無比の万里の長城を作った
・異民族たちは、確かに都市に迫ることはできなかったろう
・しかし、皆知っているだろう、雲に連なるかのごとき、壮大な万里の長城の防衛力も
・古の聖王、堯が宮殿の土台をたった三尺の高さに留めた、その質素清廉な政治姿勢が世の平和を保つ力に及ばなかったことを。
………みたいな意味でいいのかな?(正直2段落めがよくわからん)
…と、かいた後ここを見つけたが、だいたいは合っているようだ。
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壁で囲んだ キングダム
モヒカンヒャッハー進撃防ぐ
だけどウォールの分厚さよりも
清い政治が 民守る
- 作者:井伏 鱒二
- 発売日: 1994/04/05
- メディア: 文庫
この「堯階三尺」、高校時代の漢文の教科書には載ってなかったけど、先生が個人的に教えたかったのか、プリントを作って説明していたのでよく覚えている。
自分はそのころ堯舜を、諸星大二郎か何なのか、神話的・民俗学的な対象として捉えていたので、印象に強く残っていた…
その一方このエピソードは「あんまり超自然的じゃなくて理に落ちてて、ちょっと等身大的な王様でおもしろくないなー」と思ったんだよな(笑)
でもそんな学習も、こうやって今役立つとは(笑)
ちなみに毎日新聞のでは塩田潮氏がコメント。
(略)…幣原は平和主義以上に天皇制存続に必死で、そのためには日本を警戒する国際社会に「戦争をしない国」を表明するしかないとマッカーサーと合意したのだと思う。掛け軸は「9条は皇室護持のためだ」とほのめかしたものとも解釈できる。
みもふたもねー。なるほど、堯は王であり、「土台が僅か三尺の高さの宮殿=ほぼ無防備で、それが逆にその地位の安全を保つ」という含意ね…
さらに余談。「万里の長城と秦滅亡」を詩にしたこんな人たちもいた
晩唐からぐっとくだって近代。
「坂の上の雲」にも登場するエピソードだ。
「坂の上の雲」に登場する好漢で、後に旅順港沖で戦死する廣瀬武夫がロシア公使館付武官だったころのこと。彼が上官の八代六郎(後に大將・海軍大臣)とサンクト・ペテルブルグの路上を歩いていると、突然八代中佐が「萬里長城不禦胡(=萬里の長城胡を禦がず)」と吟じ、これを30歩の間に17文字にせよと彼に求めた。曹丕と曹植の七歩詩を気取ったのだろう。ただし、一介の武弁に向かって七歩以内で詩を作れというのは可哀想だと思い、30歩に譲歩した点が後に侠將と呼ばれた八代らしいところだ。ところが広瀬は、即座に「盗人をわが子と知らで垣つくり」と川柳で応じ、二人は多いに意気投合したという。
https://www.toyo-sec.co.jp/china/column/yawn/pdf/r_120.pdf
さらに余談 幣原は「支那」用語問題にも深い関係を持つ
検索の途中で寄り道で見つけたんだけど、大いにおもしろかったですよ。ただしPDF
第二次幣原外交期における中国の国号呼称問題
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=33976&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1