不法滞在者であっても殺されないよう保護する義務が国家にはあるし、永住者であっても選挙権はないんだから、国民以外に現金給付するのおかしい論も税金払ってるんだからもらって当然論も単純にすぎるわけですよ。市民としての地位とそれに結び付いた権利義務は多様かつ多層的だとしか言いようがない。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) April 8, 2020
という話は2010年の「配慮の範囲としての国民」という論文でしてあるのでご興味ご関心の向きはどうぞ。いやもちろんそこで直接の対象になっていたのは現金給付じゃありませんけどね。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) April 8, 2020
どうすれば読めるか、という肝心なことが抜けているので調べてみた。
増刷
中野剛志(編)『成長なき時代の「国家」を構想する:経済政策のオルタナティブ・ヴィジョン』(ナカニシヤ出版、2010)がもう増刷になったそうです。おや。この本には私の原稿(大屋雄裕「配慮の範囲としての国民」)が収録されているのと、巻末の座談会(「第III部 討議 『経済政策のオルタナティブ・ヴィジョン』をめぐって」出席者:中野剛志・松永和夫・松永明・大屋雄裕・萱野稔人・柴山桂太・谷口功一)にも出ているので、本当は12月の記事で書くべき話だったのですが多少補足しておきます。これがどういう本かというのは冒頭にも解題があるのですが、まず典型的にはGDP増加率で測定されるような経済成長の実現のみを経済政策の目標にすることは適切なのかという問題意識が編者である中野剛志さんなどにあり、まああまり適切ではないだろうという見通しがあったわけですが、それは特に日本の場合は将来の人口減少が予測されているなかで総生産だけを増やすというのは非常に難しいだろうという見込みがあるからだし、先進国を通じてみても状況は似たところがある。まあそれでもやはり総生産大事なので移民政策とか手を尽くして成長を実現するべきなのか、それとは違う考え方(オルタナティブ・ビジョン)があり得るのかという話で、後者の可能性を探るために組織された研究会に従来経済政策を論じてきたのとはぜんぜん違う層の若手研究者が集められたわけです。さきほどの座談会の面子を見てもわかるように政治思想とか法哲学とかまああまりお金の話に縁のなさそうな分野が多く…