こんな連載が少年マガジンで始まったのです。
今日発売マガジン7号新連載『なれの果ての僕ら』、担当しています。よろしくお願いします。
— ハシモト@マガジン編集部 (@wmhashimoto) January 15, 2020
『骨が腐るまで』の内海八重さん、約2年ぶりの連載です。
「自分で考え、自分で背負え」
事件は52時間で解決した。12人が死んだ。
閉ざされた教室で何があったのか。
サスペンスです。ぜひマガジンで。 pic.twitter.com/yU8o9hpmJA
人間の本性を暴いていく52時間のサスペンス「なれの果ての僕ら」マガジン新連載https://t.co/W8UgnDyuag pic.twitter.com/vZeBPcaGQm
— コミックナタリー (@comic_natalie) January 15, 2020
一読してみましたが、
「ああ、デスゲームものだな、さて…(最後まで読んで)デスゲームだ!!!!」
という、感想にもなってない感想でした。いや、ある意味あちらの勝ち、こちらの負け。
第一話に限って言えば、ほんとうにこってこての、最初から最後まで「どこかで見たことあるな」な設定と、展開でした……が、それで批判してるかというとちょっと違う。
あんまり典型的すぎて、「これは、デスゲームものを初めて誰かに紹介したり、説明しようという時は、この作品になるかもしれないな…」と、そんな、典型的すぎて王道のど真ん中を行くような、そんな感覚を感じたのですよ。
これって、「ぼくだけがいない街」を最初に読んだときの感想に似ている。あれだって、時間ループものの基本設定と、それにまつわるアイデアは出尽くしたぐらいに数多くそろった中で登場し、最初から最後まで「初登場のアイデア」みたいなものは感じられなかったけれども、逆に言うとそういうアイデアの山からベストのものをチョイスして、綺麗なフォームに整えて提供していただいたがゆえに、アニメ、映画、この漫画がすごい!ランキングなど大成功を収めたではありませぬか。
第一話だけでいうのもなんだし、実はこのあと、あっとおどろく新機軸や超絶アイデアが待ち受けているのかもしれないけど、少なくとも現時点での感想では、
「ものすごくベタで、既視感のあるデスゲームもの。だけど、それゆえに、これまでのそういうジャンルの集大成のような、一番整ったデスゲームものの王道、代表作品になるかもしれない」
というものです。
特徴としては、最初に事件の概要、結果を書いている…ということ
引用した1P目のそのあとには、事故調書あるいは新聞記事的な、事件概要を無味乾燥に述べる記述がある。そこで事件の規模や犠牲者の数、主犯の名前などが列挙される。そこから遡って事件を描写……という展開も、今まで見たことが無いかといえばあるんだけどさ、ただ、これをやっちゃうと結末は変えられないからねー。そういう点では物語は最初から最後まで基本的にコントロールされて、きっちりと描かれるんじゃないか、と思います。
登場人物は高校生(16歳)。「少年マガジン」に連載されることの意義
デスゲームもの……って福本伸行を起用して『賭博覇王伝 零』とかやったけどね。ただ、今回の作品はデス”ゲーム”のゲーム性というより…これもお馴染みの設定だけど、そのゲームで「勝つ(生き残る)ためには、ほかの誰かを犠牲にしなければいけない」というルールが顔見知りの友人、クラスの仲間の中で課され……、必然的に裏切りや暴力や友情や自己犠牲が(わっかりやすい形で)噴出する、というね。
元々デスゲームものの、日本での現在のブームの源流と誰もが認めるだろう「バトル・ロワイアル」もそうだったけど、たぶん、本当に思春期まっさかり、学校生活そのままの状態でこういう作品に接すると、自分のクラスの人間関係やいわゆる『スクールカースト』と、オーバーラップさせるものがあるのではないか。だからこそ特別なものが生まれるかもしれない…ので、ほかの青年誌などに載るより、まさにど真ん中の「少年マガジン」に載ることに大きなインパクトがあると思う。
かつて少年チャンピオンに藤子不二雄A先生が「魔太郎がくる!」を連載し人気になった時、本当にお遊び企画で「あなたの『うらみはらさでおくべきか…』を教えてください!」という募集をしたら、ホントにシャレにならない投書がごっそりときて、A先生は「これはヤバイ…」と直感、内容はマネできないように幻想的なものになり、実写化企画もすべて(今に至るまで)断ることにしたんだとか。
デスゲーム、その起源と拡大と
デスゲームは定義も設定もそれほどがっちりとはしてなく、起源を探ろうとするとだいぶ難しいんだとか。
だから、厳密な系統図作りはあきらめて、日本ではやはり「バトル・ロワイヤル」から大まかなブームの系譜を認定した上で、そこから外れたもの、それより先のものを捜していけばいいのかとも思う。
もうその時代のことを知らない人も多いかもだけど、実は初登場の時に、こんなスキャンダラスというかレジェンド的なドラマがついていたのだ。
…中学生達が殺し合いを強いられるという内容。第5回日本ホラー小説大賞の最終候補に残ったものの、荒俣宏、高橋克彦、林真理子ら審査員からは、「非常に不愉快」「こう言う事を考える作者が嫌い」「賞の為には絶対マイナス」など、多くの不評を買い、受賞を逃す[1](選者の1人が後に書くところによると、最大の落選理由は作品的に落ちるからであり、しかし、おもしろいから売れるだろうと、別の場で語り合っていたとされる[2])。 その後、雑誌『Quick Japan』初代編集長の赤田祐一が誌面で「尋ね人」の広告を出し、高見とコンタクトを取ることに成功。1999年4月に太田出版から刊行され、先述の事情と共に話題を呼ぶ。2002年8月には最低限の修正(ミス部分など)を施した上で文庫化され、幻冬舎より刊行された。
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そういう点で、それよりずっと前…の話になるが梶原一騎原作の「カラテ地獄変」は、黒梶原とも言われるバイオレンスでサディスティックな作風に、作者お得意のカラテアクションを交えたものだけど、なんかやっぱり「お互いに裏切りを誘発させるようなゲーム、ルール」みたいなものを不必要なほど(笑)登場させていた気がするなあ。たしか、「ナチの拷問に屈した経験のあるフランスの元レジスタンス実業家」が「自分だけではない、人間と刃弱いものなんだ」と信じて安心したいがために、拷問や裏切り誘発を繰り返す、みたいな展開もあって、デスゲームものをこの辺の系譜から紐付けてもいいのかもしれない、と今思った。
ただ、ほんとにシャレにならないほど胸糞悪い話が続くので、カラテ地獄変は自分も流し読み程度だわ。一説には、作画するほうも精神の負荷に耐えられず連載をギブアップした、なんて噂もあったほどで…(さすがに噂だろうとは思うが)
そういうのにいやんなったら、肩の凝らないセルフパロディものがいいかもしれない(笑)
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