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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「少数派ではなく、多数派のために」という政治スローガンについて

「少数派ではなく、多数派のために」という政治スローガンを掲げて、人気を上昇させた政治勢力がある。
アメリカのドナルド・トランプ? フランスの国民戦線ルペン?…いいえ、英労働党です。

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for the many not the few 少数派ではなく、多数派のために(イギリス労働党

まあ、語感と字面が、或る意味で、政治的に別の方向性を示す様に見えるのが面白い、というだけで理路は分かるから、一種の小ネタなんだけど、これは真面目に議論もされてるのね。これを知ったのは、今、「いわゆるアベノミクス」の政策のひとつとみなされがちな金融緩和による経済成長の重視を、いわゆる「左派」も主張しようという議論を本にまとめて話題になった、この本からでした。
だいぶ話題にはなった印象があります。話題になり過ぎて、主張の概要はだいたい、本を読む前にネットで読んだ記憶があるなあ、となってしまったが、今の時代それは多少はやむをえまい(笑)
だからこそ、本を読むときはこれまで以上にデティールが重要になる。

ここのP155 、156

松尾 (略)…マイノリティやジェンダーの問題とか、かつて批判された点を乗り越えたうえで、より高い次元で「階級」とか「経済」とかいう視点を取り戻さなければならないのだと思います。これが僕がレフト3.0と言うことの意味なんですけど。


ブレイディ 二〇一七年の総選挙の時の国労働党のマニフェストのタイトルは「For the many not the few(少数者のためでなく、多数者のために)」だったんです。もちろん、この多数者というのはデヴィッド・グレーバーが言った「一パーセントと九九パーセント」の軸における少数者と多数者なんで、少数のエスタブリッシュメントではなく、その他の多数の人びとのための政治を、ということなんですけど。
以前、松尾さんにこのマニフェストを見せた時に、「こんなことを日本で言ったら叱られるかもしれませんね」とジョークをとばされてて、「え、なんで?」と思ったんですよね(笑)。


松尾  日本では少数者って言ったら、だいたいマイノリティのことを指しますし、多数派と言ったら主流派アイデンティティのマジョリティのことを指しますからね。


ブレイディ そういう風に解釈すると、そりゃアイデンティティポリティックス的には非常にヤバい意味になっちゃいますよね。そう言われた時、日本はまだそれだけけレフト2.0が強いんだな、と改めて感心しました。

マジョリティ、マイノリティ という言葉と THE MANY 、THE FEW という言葉に語感の違いとかがあるかもしれないが、そういう話も出てこないから違うのかな。


まあ、とにもかくにも、日本で「多数派と少数派」という言い方とする時、「多数派の善良で貧しく割を食っている庶民と、少数派の富裕な特権階層」というイメージより、少数派=LGBTや障害者といったイメージの方が、おそらく強いだろう。
上の引用文に出てきたレフト2.0、とは、労働組合によって賃上げや雇用が第一の目標だった「レフト1.0」から、ある種の「文化左翼」として、少数民族や性差別などの「アイデンティティポリティックス」を重視する「レフト2.0」になった、という話。それも踏まえたうえで、もう一度経済を重視する「レフト3.0」が必要だ…というのが同書のスタンス。ちなみに、上のスローガンをかかげた英労働党のコービンやアメリカのサンダースは「世代的にはレフト1.0で、そのまま止まって古いことを言い続けていたら、時代が一周してウケるようになったという側面もある」そうな。