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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ドイツでの「保育園の騒音は騒音ではないと定義する」って”解決”法、評判なので再論/除夜の鐘は?選挙カーは?豚小屋の悪臭は?

これ、いま22万ちかくリツイートされている。

保育園と騒音問題は結局「祖国(公)への忠誠」と「自己犠牲」の問題かもしれぬ - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160413/p1

どうしようかな、どうせリンクを張ってもほんの一部の人しか飛ばないから、再度文章を丸ごと貼り付けてもいいのだけど、あれ膨大だしな…よし、重要部分だけ抜粋するか、



以下の文章は、元の文章からの抜粋短縮版です。全部読みたい人はhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160413/p1 へ

…元記事は消えているけど、ブクマが残っている

隣に保育所、迷惑ですか 騒音・送迎車…各地で建設難航:朝日新聞デジタル 2014/06/03 07:16 s
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/DA3S11169628.html

の記事がある。

ここにぼくはこうブクマしていた。

物理的に音が大きいなら、「うるさい」は自然な話なのよ。その話と「保育園には意義がある」という話は別物で、その得失をトレードオフして周辺に耐えてもらうのは、また別の取引が必要。軍事基地の騒音と同様に。

あー、にてるなあと思ったのは

https://c-1012.bengo4.com/1110/n_533/
公職選挙法上、選挙カーの「音量」の規制はない

保育園は重要。だから音を出しても「騒音」とは定義しない。

選挙運動は重要。だから同上



なるほど、理路はもっともだが…ただ、そこで空気が振動して生まれる「音」の「物理的な存在」には、1ミリの変化もないわけだがのう(笑)。

こういうのはどこまでできるのか。養豚場や牧場って、おいしいぶたさんやうしさんを育てる社会的意義があるじゃないですか。ごみ処理も重要じゃないですか。だからそこからの糞やごみのにおいは、「悪臭」と定義しない……ってやったら、それで「はい、問題解決」となるのかってなあ。定義を変えれば物理的事実も変わるとしたら、それは陰陽師並みのコトダマだよ。言葉は「呪」だよ。


じゃあ、どうするかといえば、周りが我慢するっていう話になる。

そこで表題なわけだが、待機児童問題はすでに国家的問題である。ゆえに保育園周辺住民には、祖国(公共)のための崇高なる自己犠牲が求められる、ということ……というか、方向性としてはそういう話じゃないですか。四文字でいえば「滅私奉公」ですよ。

もうすでにブクマの方向性はそっちが多数派だし。

http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160411-00000094-mai-soci


そして、上の記事をかいた後
「除夜の鐘がうるさいとクレームが付き、取りやめる寺も出ている」というニュースが報じられ、その時にTV番組のコメンテーターが「除夜の鐘がうるさいなんて奴は、日本から出てけばいいんだよ」というコメントを語ったのである。

『除夜の鐘がうるさい、なんて人は日本から出てけばいいんだよ』(TBS ひるおび!「除夜の鐘クレームで自粛」の話題で) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20161216/p5


あ、保育園のアレと同じだな、と思った次第です。

養豚場についても、こんな記述のある本を読んだ。

糞尿処理は農家さんたちにとって切実に悩ましい問題なのだ。全国の養豚農家が糞尿処理とにおいの問題に悩み、周囲の抗議を受け、より人のいない山奥へと豚舎を移転させるか、廃業に追い込まれてきたのだ。
(「飼い喰い内澤旬子

飼い喰い――三匹の豚とわたし

飼い喰い――三匹の豚とわたし

「化学工場の悪臭よりはいい」
「迷惑ではありません 豚が大きくなって、糞を出しているのを見るのは好き」(※いるか、そんなやつ?)
「そもそもぶたの糞はコントロールできない 臭いを出すなというのが無理な話」
「どうせ死んだら、においもない世界に行くんですよ」
と答えるのが、先進国なのか、どうか。


フィンランドは子供を徹底的に「静かにしろ」としつけて、騒音問題を回避している

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/13/children-in-finland_n_8554530.html

保育士は、多少の歓声はそのままにしておくが、耳をつんざくような大声は、「叫ばないで!Älä kilju(アラキリユ)」と言って止めさせている。長男が保育園に通い始めた時、初めてこう光景を見て驚いていたら、「ああいう声は嫌よねぇ、耳がキーンとなるもの」と保育士が眉をしかめて寄ってきた。近所迷惑を配慮してというより、一緒にいる保育士の耳に耐えない声を出すのはやめさせているらしい。
(略)
静かだなぁと思っていると、移住してから知り合った日本人のママ友も「フィンランド人の子供達は覇気が無い」と不思議がっていた。「どこに出かけてもうちの子供たちの声が一番大きい」と恥ずかしそうに明かした日本人の友人もいる。他にも「フィンランド人のママは、電車やバスの中で赤ちゃんが泣きだすと、人差し指を口の前にあてて『シーッ』をする」とか「『泣かなくていいのよ、もうすぐ着きますからね』とひたすら語りかけている」とか「それでもダメなら、おしゃぶりかミルクをねばり強く与える」「抱っこは最終手段で、最後の最後まで抱き上げない」などといった共通点が見られた。
(略)
長男が2歳を過ぎ、室内遊びもワイルドになってカン高い声をあげるようになると、夫は「叫ぶな」と止めるようになった。長男は静かな子だったので、「たまにはこれくらい良いでしょう」と間に入ると、夫は「この家には大人も住んでいるんだ。大人も子供も快適な音を、この子にも教えるべきだよ」と譲らなかった。