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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

『「呼応テロ」という概念を定着させる戦い』『外務省要人の奥方兼学者の妨害』…池内恵氏のフェイスブック記事が必読


適宜に引用したいのだが、引用に値する場所が多くて困る。ちょっと多めだったら勘弁してください

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10205359664230127
池内恵 

ジハード主義のテロは組織の指揮・命令ではなく、共通の理念への義務を訴える扇動に「呼応」するというメカニズム、一般に理解されてきたと思う。
みなさん気づかないと思うけど、分散型のジハード運動に「呼応」するといった言葉一つだって、学界の大勢に抵抗して、「問題のある人」「反イスラームの人でしょ」と(文字通り)致命的な陰口を叩かれながら、私が言い続けていなかったら、現在このような報道にはなっていないと思う。文系の学問の必要性を示すためにあえて自画自賛しておきます。
書いている記者がどこまで学問的な成果を意識しているかは知らない。当然である。すでに流通している観念を踏まえてなんとなく書いているだけだろう。
問題はまだ流通していないものを流通させる段階を誰が担っているのか。それは学界の場で担われているのであり、しかも学界の支配的な勢力の通説はしばしば短期的には間違う(間違いが是正される制度が組み込まれていないと、中期的・長期的にも間違い続ける)。
私が学界の通説に従っていれば、今もなお、学界も、それに従って社会も「イスラームは平和的なのでテロは関係ありません」と言い続けているでしょう。イスラームはある意味で平和的だけど、権力や軍事やテロにも関係することがあります、ということは、言ってしまえば簡単に見えて、実はそう簡単に言えないことなのです。共通認識になってしまった後は、「当たり前でしょ」という話になるが、誰がどうやって「当たり前」にしたのか、少し考えてみてください。
みなさんが使っている言葉の一つ一つを、誰が調べて、定義して、使えるものとしているのか、考えてください。これまでになかった、あるいは見えていなかった事象についてそれを捉えるための概念とは、突然どこからか降って湧いてくるわけではないんですよ。

対象を認識し、適切に概念化する作業を誰かがどこかでやっていないと、社会全体が誤謬を信じ、誤った論理でやりとりすることになる。


※追記 その後、フェイスブックから誰でも見られるブログに文章が転載されました

世界を見るためのインフラを誰がどこで作っているのか


たしかに、当方の個人的な体験を語るとしても『イスラームは「剣かコーランか」とよく言われるが、実は平和の宗教なんである』というのをまず最初に聞いた。「剣かコーランか」を聞く前にな。それは時代なのだろう。60年代や70年代の初頭なら、そう言う必要もあったのではないかな。
ほら、ふつうに「クルセイダーズ」がバンド名になるほどにかこいい、善なるものの代名詞だったのだから、そういう偏見があったのは事実だろう。

「TPぼん」「アスルラーン戦記」「ジハード」などなど、エンターテインメントにも波及するのはその後いつかな。いまでは「十字軍」を喩えにするのは相当な地雷になった。





と同時に、世間の事象を観察して「概念」をこしらえ、それが学問的な定着を経て→社会的に定着する……という、この仕組みは、池内氏や「呼応テロ」、ホームグロウンテロ
、などの話だけではない。

たとえば歴史ということでいえば、「田沼意次悪党説」「松平定信名君説」「徳川綱吉暴君説」「ペリー来航時の幕府外交無能説」「織田信長革命家説」・・・・・などなど。
異論が生まれ、徐々に定着し、従来の説を後退させていく……流れは非常に面白い。「あまりにも新しい異論のほうが優勢になり、極端なイメージになり過ぎてしまった」というものも「イスラムは平和の宗教」的な話とつながっていく。

さらにいえば、上のようなテーマもこのブログでは相当取り上げているけど、
「剣と魔法」「ツンデレ」「異世界転生」「タイムリープ」「壁ドン」などの”概念の浸透と定着”についても当方は相当追ってきた。
幸いなことに多くは「創作論」というタグをつけているのでそこでも追える
創作論

代表作として、以下のようなのがあります

高度に発達した「テンプレ破り」は、ポリコレと区別がつかない(俺は)。女性、民族キャラクターなどを例に…… - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160508/p3
時間ループとかタイムパラドックスがここまで「当たり前の教養」となった時代に、涙が出てくる……(日曜民俗学) - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160121/p2
「サイボーグとアンドロイドの差」「『サイボーグ』は時代遅れ?」…SF作家・山本弘氏を中心に(”タイムリープ”の用語論も追加)- Togetterまとめ http://togetter.com/li/928278
たった30年…?で「ファンタジーのお約束」を国民が共有。既に一ジャンルとなった、パロディ化の歴史を誰かまとめてください。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150314/p3
「壁ドン論」序説〜その起源や、正当性を巡る議論を中心に - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141030/p2


こんなのと一緒にされるとおおいに迷惑だろうが(笑)それでも「ツンデレ」といえば、みんなが「ああ、ああいう人、ああいうキャラクターか」と納得するのと「呼応テロ」といえば、「ああ、あんな事件か」と納得するようになる……その過程での、他者を説得し浸透させていく系譜が似ていないとは思えないのです。



第二部 外務省の外郭団体をめぐる攻防、という話

……昔こういうことを含むジハード主義によるテロについて書いたところ(正確には、呼ばれて外務省の中の研究会でその文章を元にこのテーマについて話したところ)、大使の奥さんで大学教授、という人にレジュメと配布資料が渡り、「池内は反イスラームである」といって役所の外郭団体の雑誌で常軌を逸した攻撃文を書かれ、ばら撒かれた。しかも、役所の外郭団体というものは、大使夫人には頭が上がらないから、反論の掲載も許されなかった。私はこういうところが、日本の役人社会のダメなところだと思います。勝手に身分制を作っている(ただし大使夫人の旦那はノンキャリだが、一般社会に対してはえらく傲慢なご夫婦だ)
その攻撃文が日本語ウィキペディアの私の項目の元になってしまっていたりする。下らない。日本の集合知とはその程度のもの。
私なりの落とし前のつけ方は、絶望はするが、あきらめず、弛まず研究を続け、出せるところで必死に実績を出し、是正の機会をうかがうこと。あきらめません。
何年も経って大使夫人が攻撃文を載せた媒体を出す外郭団体への役人天下り組や企業出向組が人事異動で入れ替わった頃に、そこから連載を依頼された。それ以来連載をずっと続けていることは、私の誇りです。
ま、こんなことを書くと問題視されて連載が中止になったりするかもしれないが…(略)

「大使の奥さんで、学者さん」か。


断片的な情報にて、断言はまったくできないが…

wikipedia:池内恵
塩尻和子は、池内のイスラーム批判は、クルアーンの中の一部の暴力的な文言だけを取り出し、イスラーム世界の現実において展開された諸宗教の共存や、聖書の中の暴力的文言を無視した不当なものであると批判している

(その論文はこちら)
http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-05/11-05-26.pdf

ちなみに、教義とテロの関係に関する池内氏のまとまったフェイスブック記事
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10204043659650835



https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784750323770特命全権大使
…私事になるが、私の夫、塩尻宏がリビア駐在特命全権大使として首都トリポリに赴任してから、わずか三カ月後の二〇〇三年九月一二日に国連安全保障理事会による対リビア経済制裁が正式に解除され、六カ月後の一二月一九日に先ほど述べた大量破壊兵器廃棄の宣言が出されたのである。私どもは、まことに運よく、リビアが変身しようとするまさにその時期に居合わせたことになる。
 「テロ支援国」と非難され、「気違いじみた独裁者の国」と恐れられたリビアの素顔は、私にとって、そのような事前のイメージとはまったく異なる…

リビアを知るための60章 エリア・スタディーズ

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