インタビュー集『ゲームの企画書』は、とんでもない大傑作。これが書籍になれば「正史」である。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160410/p2
には、多数のブクマをいただきありがとうございました。
しかしまぁアレは、次のエントリ(藤子・F・不二雄とゲーム)を書きたかったこともあって「すごいすごい」と連発しただけであった。
だけど実をいうと、あの傑作「聲の形」が登場したときのマガジン編集部の宣伝戦略もちょっと参考にしている。
少年マガジン掲載の読みきり、「障害といじめ」を描いて編集部が「傑作」「必読」と一押し - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130221/p4
具体的な内容説明ではなく、「衝撃」とか「空前」とか「必読」を繰り前してアピールするのは”タメぐあい”にもよるけど、時としてはやっぱり有効である。
(略)…まとめツイートは無数につぶやかれる。
その中からクリックしてみたのは、やはり「空前の大反響」という惹句があったからだったのは間違いない。
それはともかく、一度反響を呼んだあと、同サイトの鳥嶋氏のインタビューは4/11「非公開部分を公開しました」となり、もう一段の反響を呼んだ。
【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話 | 電ファミニコゲーマー企画記事 http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima
ネット漫画論、アンケート論、努力・友情・勝利論、編集者の担当厳選論、ちばてつや論、ストーリーとキャラクター論……など、はっきりいってひとつひとつのトピックについて記事を書きたくなるのだが、それは後日の課題として、オピニオンでなくファクトの部分で「へーー」となった2事実を。
上は当時から単行本のほうがずっと多かったんだから、しっかりと単行本を売った方がいいに決まってる。収益を上げることが、まずは編集者の役目なんだから。
僕は当時からそう主張していたんだよ。桂正和さんの『ウィングマン』なんて、ジャンプの順位は良くなかったけど、単行本の表紙のお色気で売上を伸ばしたりしてね。――『ウィングマン』、エッチですもんね……。
鳥嶋氏:
桂さんには「お前は女を描くしか取り柄がないんだ。死ぬ気でカバーを描け」と迫ったな。アンケートの人気はデコボコで、正直に言って続けられるか怪しい漫画だったんですよ。でも、単行本の売上が無視できないレベルであれば、編集部は絶対に切ることが出来ない。僕はそれを狙ったんですよ。
佐藤
(略)…ジャンプといえばトーナメントバトルもあるよね。あれは『ドラゴンボール』が始まりだったと思うけど、あれも鳥山さんが考えたの?鳥嶋氏:
ああ、天下一武道会のことですね。あれは経緯があるんですよ。
『ドラゴンボール』は最初の頃、あまりに人気が弱くて、打ち切り寸前の状態になってしまったの。
――えっ、そうなんですか。鳥嶋氏:
そうなんだよ(笑)。で、どこに問題があるのかを徹底的にチェックしたら、悟空のキャラが立っていないのが原因だと分かったんだね。
そこで、もう既に出ていた亀仙人だけ残して、全てのキャラクターを一度鳥山さんに捨ててもらった。それで、悟空と対照的なキャラとしてクリリンというのを引っ張りだして、3人で修行をさせるところからやり直したの。
それで分かったのは、悟空が「ただ強くなりたい」というキャラだということね。そこで、次にそのキャラを引き立てるために持ちだしたのが、「天下一武道会」だったの。しかも鳥山さんは、修行後すぐにその展開に持ち込んできたんだよね。
実は『Dr.スランプ』の末期に鳥山さんが苦しまぎれに運動会で話数を稼いだら、それが大好評で『北斗の拳』を抜いて1位になったという事件があって、僕も「日本人は甲子園みたいなトーナメントが、やっぱり好きなんだな」とは思ってたのよ。――でも、その鳥山さんの判断は大当たりで、以降の『ドラゴンボール』はトーナメントに引っ張られる形で看板作品に育っていきましたよね。
佐藤氏:
その後、他のマンガもどんどんトーナメントを狙うようになっていったけど、鳥嶋さんはどう見ていたの?鳥嶋氏:
やるのは勝手だけど、二番煎じには新しさがないよね。
純粋な漫画評論としても鳥嶋氏インタビューは面白いけど、仮にそういう点では外部のコラムニストや評論家は太刀打ちできるかもしれない。
でも
「XXXという作品は…のころは人気がなくて打ち切り寸前だった。・・・・・・・・をやったら人気になった。特に…の回の反響はすごくて…」「○○はアンケートは低かったが単行本売り上げがすごかった」というファクトは、これは当事者じゃないとわからない。
ヘタすると作者本人だって知らないだろうし、そういう秘中の秘の話だろうからね。
にしても、まあ驚きでもあり、そういえばそんな気もするな、でもあり。
そして、あとから人気作、伝説の作品と評価が定まったものを「実は当初、人気がなくてねえ…」というのは成功者の苦労話のようなもので、その後の逆転劇を知っているからこそ、甘美なところもあるかと思うです。
思い出せば・・・・・・・これは皆に記憶を補なってほしいけど、たしかウイングマンが連載始まったころは、昭和民俗史には乗らない程度の、「プチ怪獣ブーム」があったような気がします。
「ウイングマン」の連載開始が1983年。スターウォーズ・ジェダイの復讐が同年公開
特撮雑誌「宇宙船」が1984年から隔月刊化。
「ゴジラ」の新作が、1984年末(1985年の正月映画)として公開。
特撮ネタが頻繁に登場する安永航一郎「県立地球防衛軍」は1983年開始。「究極超人あ〜る」は1985年、
・・・・・・・・・・・えーと、これぐらいしか、今たどれる記憶はない…けど、そんな雰囲気が、確かにあったような気がする。
だからそのブームに乗って、ウイングマンも大人気!!!!かと思ったのだけど、そうでもなかったということか。でも確かに、ジャンプの中でそんなに人気だったという感じでもなかったし、またそもそも、特撮のフォーマットをそんなになぞってるわけでもなかった。
特撮ヒーローに「いい年して」あこがれるオタクが『痛い名物男』であり、その喜劇的なドン・キホーテが一転して、別の世界でヒーロー足り得る…というのも珍しかったかな。第二部のラストは一転して、世界を堂々と総攻撃する悪の組織に、総力で立ち向かうという話だったけど。
まあ、こちらの話「ウイングマンは雑誌人気は当落線上で、単行本が売れてたので続いた」は言われると納得できる。
突然ウイングマンが気になって
— Dekky (@Dekky_BJ) 2016年4月7日
画像を探しまくってたw
桂正和センセー自腹100万の
レインボー造型企画製コスプレ画像
やっと見つけた♪ pic.twitter.com/x1DPureGSo
#4月なのでフォロワーさんに自己紹介しようぜ 兵庫在住のオッサンレイヤーです。特撮好きですが実際のコスプレははエセ特撮?な新旧の漫画作品(トクサツガガガ、ウイングマン)です。併せ等したいですので、年齢性別問わず宜しくお願いします。 pic.twitter.com/kCalqj7eO4
— 檻の子夫郎栄コスフェス同行者居れば行こう (@ethcknxx) 2016年4月8日
一方で「『ドラゴンボール』は最初の頃、あまりに人気が弱くて、打ち切り寸前の状態」は驚きだった。
たしかに露骨に路線転換したなー、という思いは子供ごころにあったけど、「人気作が次の展開で押し詰まって、天下一武道会になって大ヒット作品になった」のだと思っていた。
いちど打ち切り寸前になって、そこから天下一武道会で持ち直したのだとは。
ただ、これもリアルタイムな記憶だが、「天下一武道会にお前らは参戦するんじゃ」となったとき「またか」と思ったのだから、その時ってすでに定着してたんじゃなかったっけ。って「キン肉マン」が大ヒットしてたのだから当然か。
まあ、『僕らはその辺を全て狙って作った』とも言っていて、同じトーナメントであっても、いろいろと「我らが天下一武道会こそ、その後の源流!」と思う根拠もいろいろあるのだろう。
だれか、丁寧に検証する人がいえば、「ジャンプ内、漫画内での『トーナメント展開』突入年代」をきっちりと年表化、一覧化できるのではないか。もっとも、「5対5団体戦」とかの形式もあるし、簡単なようで簡単ではない(言外に「だれかやってくれ」と言っています)。
その他「実は人気なかった」や「人気あった」/単行本の売れ行きなど証言集
藤田和日郎先生、自作「からくりサーカス」への質問に答える - Togetterまとめ http://togetter.com/li/100484
からくりサーカスは、読者アンケートはかなり低くてビリ近くをいつも飛んでいました。
— 藤田和日郎 (@Ufujitakazuhiro) 2011年2月12日
それでも信じて連載を続けさせてくれたんだもん、サンデー、その当時の編集長、やっぱり感謝以外の言葉は見つからないですねえ。
皆さんのこころに着陸できたのだとしたら、サンデーの恩情のお陰よ。きっと皆さんが、コミックス買って下さったから、何とかなったのだと思います。
— 藤田和日郎 (@Ufujitakazuhiro) 2011年2月12日
出版社としても、商売なんだから。
だけど、それにしても、皆さんありがとうした!
からくりサーカス、歯ぁ食いしばって、爪で石に彫りつける様に描いたかいがありますぞ!
※これは外野の勝手な推測集です↓
あの時代を知ってる人に確認したいんだけど「ジョジョ」って連載当初、人気無かったよね? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121015/p7
記憶による再現
ゆうきまさみインタビュー
『「究極超人あ〜る」で一度はアンケート1位になりたいと思って、『コウガマン』を描いたときに反響がすごくて、これは1位かなあと思ったら、2位だった。1位は何かと思ったら、その号ではうる星やつらが最終回だった』
徳光康之
「最狂 超プロレスファン烈伝」はマニアックすぎて、いつもアンケート最下位だった
みのもけんじ
プロレス・スターウォーズは人気では、初登場時からけっこう上位だった
藤子・F・不二雄
ドラえもんや「モジャ公」「21エモン」のリアルタイムの人気について、愛蔵版のあとがきなどでいろいろ語っていたのだが、正確な記憶がないので略す。
ドラえもんは、ふつーの反響だと思ったら、学習雑誌の仮の最終回に大反響があった。モジャ公や21エモンは、本人は楽しんで描いたが人気がなかった…みたいな話だと思う。
wikipedia:本宮ひろ志も、自作について人気があった、なかったを気軽に語る人という印象がある。
・・・・・・こういう断片的な証言集も、集める必要が出てくるだろうな。
それこそ出版社から、生の数字でも流出すれば貴重な漫画史の資料になるんだろうけど。