テレビで語られたことって、文字起こしはどこまで「報道」の範囲内になるのか?は、それはそれで知りたい謎だが(笑)、それは後日考察するとして、実際に ここで古館伊知郎氏の別れの挨拶がテキスト化されている。
全文を読みたい人は飛んでもらうとして、自分は「テレビのしんがり」部分を抜き出しておこう。
考えてみればですね、テレビの地上波、地上波なんて言わなくてもテレビの一人勝ちの時代がありました。その素晴らしい時流に、良き時代に乗ってですね、綺羅、星のごとく、あの久米宏さんが素晴らしいニュースステーションという、ニュースショー、まさに時流の一番槍を掲げて突っ走りました。
私はその後を受け継ぎました。テレビの地上波もだんだん厳しくなってまいりました。競争相手が多くなりました。でも、そういう中でも、殿(しんがり)を務めさせていただいたかなと、そういうささやかな自負は持っております。
さぁ、この後は、通信と放送の二人羽織、どうなっていくんでしょうか。厳しい中で、富川悠太アナウンサーが4月11日から引き継ぎます。大変だと思います。しかし彼には乱世の雄になっていただきたいと思います。
通信と放送の融合を「二人羽織」と表現するところで、連携殺法にさえを見せたブリティッシュ・ブルドックスを「闘う二人羽織」と表現した往年のプロレス中継を思い出す人は…あまりいないか。
しかし、放送の第一人者がここまで「かつてテレビは王様だった」「しかし競争相手が増えた」「これから通信と放送が融合する」「どうなっていくかさっぱりわからない」…これほどはっきり認めたテキストは貴重な気がする。
それを、万感の思いを込めて『しんがり』と表現したわけだ。絶妙のリズムとメロディで、言葉の天才が。
これは、言葉の天才に匹敵する「漫画の天才」、21世紀の手塚治虫たる細野不二彦も、テレビ業界の黄昏を描いた「電波の城」で、端的に数コマで表現している。
その次の時代、古館氏の言葉でいう「乱世」は、それほどいい時代になるかどうかはわからない。「まだテレビ独り勝ち時代がましだった」となる可能性は低そうだが。
しかし、いい悪いでなく、必然的にそうなるだろう。今、あるいは既にそうなっているだろう……。
放送翌日の感想記事。
古館伊知郎氏、報ステ最後の出演。「テレビのしんがり」という最後の言葉を聞いて… - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160401/p1