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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

シリアのアサドは「人間界を旅した二代目魔王の俺が異世界に戻って内政チートの改革をしようと思ったけど、できずに操り人形になっちゃたよ」(ラノベ風)という説がある(信憑性は低い?)

この前

「シリアのアサド大統領」って、もう.. http://anond.hatelabo.jp/20151123230548



「シリアのアサド大統領」って、もう自分が物心ついたころからニュースで流れているフレーズで、
それにしても長い間独裁政権が続いているもんだなあと思ったら、
いつの間にか息子が後を継いでいたことをしって、ちょっとびびった。
(後略)

これへの当方のブクマ

今の2代目は死んだ兄がいて、自分は自由な英国で眼科医をやってて後を継ぐ気なかったが急遽呼び戻されたリアルゴッドファーザー。就任当初は民主化に進むのでは、と言われたりしたが…その後は複雑すぎて書ききれぬ


3年前…この戦争も長いね…あくまでも「一説」として書いたことがある。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120404/p3

「アサド大統領(息子)本人はリベラルだが、お飾りで軍部や旧体制に逆らって民主化はできない」説

ある時期、かなりの信憑性をもって語られていたことがある。
実はこの内戦後、朝日新聞・・・だったと思うが、医学部卒のアサド大統領(息子)と医学部時代に同級生だった人が日本に今住んでいて、彼にインタビューしたという記事がのっていたはず。「よく日本にこういう人がいると分かったな、スクープだな」と感心したからな。でも検索したらそんな記事も感想も見つからなかったけど。
自分の記憶で書くと、「確かに国際経験も豊かでリベラル、でも国家分裂には大反対で、分裂を防ぐには一党支配もやむなしという感じだった」という証言。かなり同情的で、友情も感じていたようだった。
しかし、骨のズイまで血に飢えた悪魔だ!(古いプロレス記者;鈴木庄一風)な独裁者もしんどいだろうが「実は民主主義の価値観を正しいと思ってるんですよ。でも実権がなくて、何も動けず、取り巻きのやる恐怖政治を黙認しつつ、名目上の責任を負うしかない」というのも、これはこれでしんどいだろうな。
最後の敗北を認めるときに「聖断を下す」ことができればまだいいのだろうが、シリアの場合、このままじゃ勝っちゃうかもしれないし。

上に挙げた、現在日本在住の、アサドの医学部時代の同級生(病院の同僚だったかも)インタビュー記事が手に入ればいいのだけど……




元朝日新聞記者、軍事アナリスト田岡俊次氏は、もっとアサドに同情的な文章を書いていた。

http://diamond.jp/articles/-/41227
シリアは長くオスマン・トルコ帝国に属したが、第1次大戦でドイツ側についたトルコは敗戦国となり帝国は崩壊、シリアはフランスの委任統治領となったが、第2次大戦後独立した。1970年に空軍司令官だったハーフィズ・アル・アサドがクーデターで政権を握り、彼が2000年に死去した後は眼科医だった次男バッシャール・アル・アサドが大統領になり、すでに43年間アサド家の独裁が続いている。

 アサド家はイスラムシーア派の分派アラウィ派に属し、同派はシリア人口の12%、スンニ派が70%だから、少数派が多数派の上に君臨する形だ。2代目のバッシャール・アル・アサド(47歳)は少年時代は温厚な優等生で、ダマスカス大学医学部を出て、ロンドンの眼科病院で研修中、1994年に長兄が交通事故で死亡したため、急きょ呼び返され父の後継者となる教育のために軍に入り、父の死後34歳で大統領に就任した。ロンドンで知り合ったモデル並みの美人の妻アスマー(現在37歳)はシリア系英国人(父は心臓外科医)で、ロンドン大学キングス・カレッジ卒の才女。スンニ派であったためその結婚は両派の和解を示すものとして人気を博した。2代目アサド大統領は改革開明派で、国内では腐敗との戦いを進め、西欧諸国、近隣諸国との関係改善にも一時は相当成功した


当時の分析は分析で、そこから3年経過した今から見れば、アサド大統領はやっぱり主体的、能動的に、この残虐な内戦に関わっているようにしか見えない。しかし、独裁国家とは権力構造が可視化できないから独裁国家なんだしなあ…。
ヴィットオーレ・エマヌエーレ イタリア国王や昭和天皇の例もあるしなあ……
エマヌエーレは、ムソリーニのポイント・オブ・ノーリターンともいえる「ドイツに追随しユダヤ人を迫害する」という政策が始まろうという時、奏上したムソリーニが「この計画に反対というイタリア国民は1000人(だったかな?)ていどしかいません」と言ったのに対して「私もその1000人のひとりだ」と言ったのだそうだ。


アサドが英国にいたときは、特に親の権力や財力を笠に来て傍若無人・放蕩無頼だった、なんてこともないらしい。そういう独裁者の二代目、三代目も結構いるわけでな(笑)
また、たしかに就任直後「ダマスカスの春」と呼ばれる、相対的に自由で開明的な政策が取られたことも間違いないのである。現在の「たる爆弾」が間違いないように。

wikipedia:バッシャール・アル=アサド

兄弟や姉と異なり本人は政治や軍事への関心を欠いた、控えめで穏やかな人間として育ち、父とは政治の話をしたことがなかったという。
学校時代は優秀で模範的な生徒だった。ダマスカス大学医学部を卒業後は軍医として働いた後、1992年に英国に留学、ロンドンのウェスタン眼科病院で研修していたが、当時も政治への関心は人並み程度だった。なおこの頃、後の妻アスマー・アル=アサドと出会っている。彼女は英国で生まれ育ったスンニ派シリア人で、ロンドン大学キングス・カレッジを卒業後JPモルガン(英語版)の投資銀行部門でM&Aを手がけるキャリアウーマンだった。ファッション誌『ヴォーグ』では、「優雅で若く、同国の改革の象徴」などと紹介され、英王室ダイアナ元妃になぞらえ、「中東のダイアナ」とまで称賛された。記事のタイトルには「砂漠のバラ」と冠されている[1]。
後継者へ
一族で後継者とみなされていたのは、兄でハーフィズ・アル=アサドの長男にあたるバースィル・アル=アサドである。しかしバースィル少佐が交通事故で横死したことから、やむを得ず留学を中断、シリアに帰国して後継者となった。このことに関する2つの逸話として、父ハーフィズに電話で「バースィル兄さんが志した道を歩む」と後継者になる決意を述べた。あるいは、周囲の親しい人々には「別に大統領になりたいわけでは無い」とも語ったとされる。

2000年、バッシャールは「古参と新たな血の融合」「腐敗との戦い」といった新たな運動を唱え、体制内部の腐敗一掃とあらゆる分野での改革を訴えた。それに呼応するように3月8日、汚職疑惑があったマフムード・ズウビー(英語版)首相率いる内閣が総辞職し、新たに清廉で実直として評価が高かったアレッポ県知事ムスタファー・ミールー(英語版)がバアス党大会で首相に指名され、3月14日にミールー内閣が発足した。この内閣には、バッシャールが指名した23名の実務や行政手腕が買われた50歳以下の中堅・若手閣僚も含まれていた。今までのシリアの内閣は、大統領が国防・外務・情報・経済担当大臣を選び、他の大臣は情報・治安機関が人選した人間を選んでいたが、今回は実質的にバッシャールが人選を行った。

バッシャールは大きな波乱なく権力を継承したが、政治的経験がほとんど無いためあまり国政で主導権を握ることはせず、もっぱらハーフィズ時代以来の首脳が政務を行っているのが政権の実態である。生来の温厚な性格もあって、憲法で承認された絶大な大統領権力はバッシャール時代になるとあまり行使されなくなった。2007年5月には大統領に再任された。
2010年末よりはじまったアラブの春はシリアにもシリア騒乱として飛び火し、批判の矛先はシリアの国家元首であるバッシャールにも向けられることとなった

あえて「ラノベ風」なイメージにすると?

そこで、突然話が俗になってしまうのだが、

「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/876831

は、わたしの500にもうすぐのぼろうかというまとめの中でも数本しかない、10万ビュー越えを達成したtogetterです。
現実社会の剣呑さや深刻さも充分承知だが、いったん分かりやすくするためにはこういう視点もありだと思う。


で、もし現在のアサドジュニアが、「英国で自由の空気を吸って内心はリベラルだけど、いざシリアにもどったら権力構造や軍部にがんじがらめにされて、本心ではない強圧策、残酷な軍事戦略を取っている」という見立てにたつとしたら……なんつうか「しんどそうだなあ」という思いや同情心はつい湧いてしまう、ところもある。(もちろん念を押すが、今の状況から考えてその可能性は低いと読む)。少なくとも、「自分がそういう立場におかれたらいやだろうなあ」みたいな感覚だな。


だから、ラノベ的にいえば異世界に…いや正確には異世界じゃないんだよな、生まれ故郷であって英国こそが異世界だ。

異世界の王子が、ひょんなことから人間界に留学する。
・そこで同じ年ぐらいの少年のいる、ふつうのサラリーマン家庭のいそうろうとなり、人間のあたたかさに触れて、「こういう社会はいいもんだな」と心の底から感じるようになる。時には魔法でガキ大将をやっつけたり、困ってる人を助けたり。
・しかし、時が来て魔界に帰ることになった王子。心配だった、ややひ弱な友達も、「王子が安心して帰れるように」とガキ大将を執念でやっつけて、涙の別れ。
・魔界に戻った王子は「さあ、魔界の改革をするぞ!!」と意気軒昂。偶然、王子を退治しにやってきた勇者と仲良くなり、勇者は改革の片腕となる。
・しかし、魔界の保守派は大反発。そしてその権力構造は、先代魔王のときに堅固に完成しており、核心部分は世間知らずで理想だけは高い王子の手の付けられるようなものではなかった。
・そして魔界に内乱が勃発。「まず、この内乱を収めねば、改革も何もありませんぞ!」との声に、一転強攻策をとる王子。その結果、改革に期待した魔界開明派は「失望した」と離れたり、テロの応酬による被害で王子自身も生の憎悪を反対派に抱くようになり…魔界が地獄図に(って、表現ヘンだな)。
・罪のない一般の魔物は、生きるために人間界に難民として避難。しかし人間界は、排魔物主義の声が上がり、魔界との間には「GATE」が作られる……

なんか、ラノベとしては気が滅入るな。売れないわ。
ともあれ、これが
「魔界から留学した王子が、理想を抱いて帰郷し改革を始めたけど、内政チートじゃなかったんで操り人形になってしまい、国を滅ぼした件」というラノベシノプシス、となる。ここから、なんとか少しでもいい結末になるのだろうか…



しかし、ほかのレーベルでは
「俺はリベラルな人間界に留学を続けて気楽に生きてるけど、じっちゃんと親父の後を継いで魔王になった俺の弟がシャレにならず、俺の身辺も危なくなってきた件」という作品もあったり、なかったり……