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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

議論を呼ぶ「読書感想文のテンプレ」について、新しいものを提示する(対話形式)

小学生向けの教材に読書感想文のテンプレが存在する…賛否分かれるTL - Togetterまとめ http://togetter.com/li/859711

この話題から展開して…

「おーい、大家!!大家いるかい?」
 
「なんだい騒々しい…おや熊さんかい、何の用だい」
 
「聞くところによると、てめぇんとこじゃあ、孫に食わせるためにシマダイの天ぷらがあるっていうじゃあねえか。畜生高い店賃とりやがって贅沢してやがんな、俺にも食わせろい」
 
「何いってやがんだ、だいたいてめぇらと来たらその店賃を払ってねぇじゃねえか…たぶんお前が聞いたのはな、『シマダイのてんぷら』じゃねぇ、『宿題のテンプレ』だ。読書感想文だな」
 
「カンソウ…?干物かい」
 
「その感想じゃあねぇ、本を読んで思ったことを書くっていう感想文だ」
 
「あ、あれ??…すまねぇが俺ぁ、あれが親の仇よりだいっきれえなんだ。七代前に遡る仇敵だ」
 
「たいそうな話だな、おい…まぁわかんねえでもねえな。つまりだな、このテンプレっていうのは、そういうお前でも、その通りにやっていけばらくらくと読書感想文ができる、っていう寸法のからくりよ」
 
「へえ…!べんりなもんだねえ。おっ、そうだ。俺も夏休みの終わりになるってぁいうと、うちのガキが手伝ってくれって言い出しやがる。俺にもそのテンプレってえのを教えてくれ。しかしそれと同じじゃあ、ばれちまう。なんかもっといい感じの別のはねえかい」
 
「おまえんちのせがれはいくつだい」
 
「十五だな」
 
「中学生かよ、あきれたもんだね。だいたいうちの孫が持ってるテンプレは小学生向けだ…だが、俺も正直、それを読んで思うところあったしな。おれもこう見えて昔は文学をかじったこともある。中学生向けのテンプレを、自作してやろうじゃねえか」
 
「そいつはありがてえ」
 
「じゃあな…たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』を例にとるぞ」
 
「おお、まえの千円札か」

坊っちゃん
夏目漱石
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html

「まず、グーグルを用意するじゃろ」
 
「おう」
 
「それで検索すると、まず作品名とか、作者のウィキペディアが出てくるわな」
 
「そりゃそうだ」
 
「そしたら、作者の生まれた年でも、死んだ年でも、その作品が発表された年でもいいや。その年に起こったことを、そのまま写すんだよ。コピペでもいいやな。それを自分でさも調べたように書く。そして、その生まれた年が、その作者や作品に影響を与えているのだろう、とか象徴的である、ってかけばいいんだ。例えばこうだ。

僕はこの『坊ちゃん』の作者の、夏目漱石について調べてみた。
彼が生まれたのは1867年だ。
この年、徳川慶喜大政奉還を布告し、江戸幕府が終わりを告げている。 カール・マルクスは『資本論』の第1部を刊行している。こういった事件は、その年に生まれた夏目漱石の文学を象徴しているように見えてならない

てな感じだな。」
「おっ、調子いいやな。でも何を象徴してんだ、それ」
「いいんだよ、誰もそんなこと気にしちゃあいねぇさ。できのいい国語の教師なら、勝手にその『象徴』はアレのことだな、と合点がいくし、できの悪い教師なら、そもそもそんな疑問をもたねえから、どっちにしても問題はねえ」
 
「はあ、うまくかんがえてやがんな」
 
「そしてだ、別にどこでもいいんだが、適当に一節を選ぶんだ。たとえば…『初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った』と、ちょろっとコピペするわな。そこに

『ここには漱石ならではのユーモアや、かなしみが背後にあると思いました』

とかきゃあいいんだ。分量が足りねえならあと2、3箇所を目をつぶって引用して、『ユーモア』とか『かなしみ』を別の単語に変えりゃいい。美意識とか倫理とか絶望とかな…。
つまり引用+『ここには■■らではの□□が背後にあると思いました』だな、これでいくらでも応用がきく」
  
「背後にあるってのはどうしてわかるんだい?」
 
「何いってやがんだ、のみこみが悪いな…それがなんで背後にあると思ったのかはどうでもいいんだよ。できのいい国語の教師なら、勝手に合点がいくし、できの悪い教師なら、そもそもそんな疑問をもたねえ」
  
「ああ、なるほどなあ。」
  
「そして締めだ…これはまず最初の部分を読む。最後の部分を読む。たとえば坊ちゃんなら

 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃はやしたからである。小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

 その後ある人の周旋しゅうせんで街鉄がいてつの技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関げんかん付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎はいえんに罹かかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋うめて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向こびなたの養源寺にある。

これをふんまえてだな。

この小説は最終的に、坊ちゃんが二階から飛び降りてから、清の墓が小日向にできるまでの物語であった―といっていいのではないだろうか。

ってかけばいいんだよ。どうでぇ、なんか深いことをいってるように見えるだろう。」
 
「なんで二階から小日向までかは、できのいい国語の教師なら勝手に合点がいくし、できの悪い教師なら、そもそもそんな疑問をもたねえ…って寸法だな」
  
「ようやく分かってきたかい。ヘミングウェイの『老人と海』なら、『この小説は老人が年を取りすぎてから、ライオンの夢を見るまでの物語』だ。芥川龍之介蜘蛛の糸』なら、釈迦がぶらぶら歩いてからぶらぶら歩くまでの物語だな。どうでぇ、これで原稿の分量は十分だろう」
 
「さっすが大家だ、無駄にとしくっちゃあいねぇな。こうしちゃいられねえ、俺のガキにそれをやらせてみよう…」

…ってんで長屋に飛んで帰った熊さんが、珍なる本を引っ張り出して失敗するところまで書かないとオチないのだが、それは略す。




ちなみに、後半で書いた「最初と最初を読んで『この小説は…から…までの物語だった』というと、意味も無く深くなる」というのは、なにかの学園モノのコメディ漫画で読んだという記憶があるんだが、雑誌で読んだので作品名を思い出せない。その旨をかいて、感謝の意を述べておきたい。


自分流の読書感想文指導は、2012年に当時の課題図書を偶然読んでいたことから、一度書いたことがある。

「パスタでたどるイタリア史」の読書感想文を夏休みに書こうとして、「あらすじ」で検索してる諸君へ - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120824/p3

今回のは、その2015年版、バージョンアップであります。