例によって、というべきか、工夫無くまとめさせてもらった。
建国の英雄か、独裁者か?「シンガポールの父」リー・クアンユー氏逝去〜その功罪、反響 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/798512
自分は最初に知った、NHKニュースのサイトにこうブクマを寄せた。
20世紀において、もっとも成功した独裁者が逝く。この人とシンガポールの存在が、もっとも大きな意味で思想的な民主主義への挑戦・対峙だったのではないか。
そう、
20世紀、民主主義は鍵十字に、八紘一宇に、世界革命に、赤い表紙の「語録」に、アヤトラーの説法に挑戦されてきた。だが、軍事的なものはともかく、思想的な意味において、これらが勝ったとは思えない。
だが、かの「マーライオンの国」シンガポールの現状を観るに…リビアでカダフィが斬殺された時、当方は「逝くや砂漠の独裁者」と称したが
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111021/p3
リーにおいては「ビルの街の独裁者」とでも呼ぶしかない。
船橋洋一氏が、中国主導の「上海協力機構」を『民主主義体制とセットでない形で発展して先進国となる「中国モデル」を提示し、世界を思想的に二分しようという野望だ』と評した……ええと、この文章だ。
http://publications.asahi.com/syukan/briefing/785.shtml
……彼らにとっての中国の魅力は、結局は貧困問題に行き着く。中国が貧困を解決はできないまでも克服してきたそのやり方への関心であり、敬意なのだろう。中国のやり方、「北京・コンセンサス」が最後に高笑いしたということではない。中国の「腐敗、格差、環境」の矛盾は深刻である。中国の指導者が本当に「こぼす」時代がやってくるだろう。
しかし、中国が貧困を克服するために大きな躍進を遂げたことは間違いない。
貧困をいかにして克服するか。
米国のやり方なのか、それとも中国のやり方なのか。
それは、社会の組織、政治の統治、世界の秩序・安定の理念と構想をめぐる二つの考え方の間の葛藤でもある。
米国の対中警戒感はまさにそこに根ざしている。米国は「北京・コンセンサス」という中国のアイデアに脅威を感じ始めているのである。
しかし、まだまだ「中国モデル=北京コンセンサス」は、『リー・クアンユーモデル』の劣化コピー、大陸中国の業者お得意の「偽ブランド」のレベルを脱してはいない気がする(笑)。
たとえば、腐敗問題。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%90%E6%95%97%E8%AA%8D%E8%AD%98%E6%8C%87%E6%95%B0
日本も含めて、ぐうの音もでない(笑)。
中国のすさまじい汚職の解説の中に「汚職は儒教の伝統と密接に関係ある。一族郎党が助け合うのは美談だが、たとえばその『助け合い』は、一族からの援助を受けて苦学し、高級官僚になった優秀な若者が、その後親族に便宜を図るまでがセットなのだから…」といった説明をよく聞く。
それは間違いではないのだろうが、シンガポールの清潔度を見れば【「民族的特徴」「常識」は30年もあれば変わる】というのの、ひとつの傍証になりそうだ。
他国がモデルにしたいと思うのは、やはりこちらだろう。
それほどまでに、シンガポールはリー時代の成長、繁栄、安定によって…核でもゲリラ戦でもテロでもないものを武器にして、20世紀の「民主主義最大の敵」であった、と思うのだ。
上のtogetterまとめには、こういうブクマがついた。
id:timetrain 銀英伝を読んだときに、現実で一番ラインハルトに近い「民主主義にとって危険な独裁者」はこの人だろうと思ったことを思い出す。
ほぼ、このブログ記事で書いていることを、表現を変えて100字でおっしゃっているようなものだ。
ともあれ、彼の人生の航海は終わりを迎えた。
シンガポールはどうなっていくのか。
自分は実は、今後50-70年ほどの間、「わが国は○○(中東、アフリカなど)のシンガポールを目指す。だから言論統制も不公正選挙も仕方ない」との論法を振りかざすエピゴーネンの独裁者が出てくる、というちょっとSFじみた予想をしてる……。