「弓道警察」の画像検索で拾ったので、元ネタの書き手が分からずすいません。
弓道警察のウェブ検索でどうぞ。
これが話題になったのはおよそ1カ月前で、その影響下にこの記事を書いたのだった。
弓道では「当てれば良い訳ではない。君のは”ケンカ弓道だ”」と、上位者が落とされりもするらしい。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150111/p2
この騒動で一番おもしろかったのは、弓道とは別に「弓術」があり、弓道的には間違いでも弓術的にはただしい、というようなこともあるという新知識でした。「道」と「術」……姿三四郎かいな。グレイシーとUFCかいな。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」かいな。
という「牛島辰熊警察」を作ったわけだが。
はっきりいって何の反響もないことを覚悟していたのですが、
https://twitter.com/gryphonjapan/status/563366067045543936
感謝より、失礼ながら「お前ら何考えてリツイートしてんの」といいたくなるようなRT数をいただきました(笑)。
で。
はじめは偏狭さや不寛容さの象徴とされた、こういうディテール間違いの指摘が「○○警察」と呼ばれることで逆に、その範囲でなんつーのかな「効力や意味合いが半分ギャグ化され、そのおかげで『ちょうどいい』範囲におさまる」という現象が生まれているような気がするんですよ。
デティールの細部の指摘は、けっしてゼロにならないしすべきでもない。しかし100%、それに振り回されてもしかたない。「○○警察」という半分揶揄の込められた他称が自称になっていく、これはちょうどいいポジティブな展開でははないか?という仮説を提示したい。
まだこの風潮、ムーブメントは現在進行形ですが・・・
芦辺 拓 @ashibetaku
https://twitter.com/ashibetaku/status/563203093576183809
昔から、推理小説の世界では「警察警察」が猛威を振るっているので、他ジャンルの人たちの困惑は大変よくわかるのです>RT
昔から、推理小説の世界では「警察警察」が猛威を振るっているので、他ジャンルの人たちの困惑は大変よくわかるのです>RT
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) 2015年2月5日