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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「表敬訪問」は1980年代の発明!外国首脳の明治神宮訪問が契機

自分は何度も書いているが「はじめて物語」が何でも大好きなんですな。その中でもフィクションの設定やキャラクターのはじめて物語、そして用語のはじめて物語が特に好き。

そんな自分にとっては特にご馳走なコラムが少し前にあった。
もちろんテーマはオバマ訪日に絡んでの話だが。

毎日新聞 2014年04月23日 01時00分(最終更新 04月23日 01時00分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20140423k0000m070150000c.html
 表敬(ひょうけい)訪問という形で使われる「表敬」は1983年に出た第3版から広辞苑に登場した言葉という。つまり新語で、実はその誕生年まで分かっている。61年に作られ、その後に世間一般で広く使われるようになって辞書に載ったのである
▲その年来日したアルゼンチン大統領は明治神宮参拝を希望した。だがカトリックの多い国民感情を懸念する駐日大使の相談を受けた外務省と神宮側が協議、神宮の儀式課長が「参拝」ならぬ「表敬」なる新語を提案したのだ。拝礼も神道(しんとう)の作法とは違う方式を用いた
▲以後、外国賓客(ひんきゃく)の神社訪問には「表敬」が用いられたというのは、同神宮のホームページが記しているところである。来日した米大統領も過去に3人が明治神宮を訪ねている。「表敬」が一般に広まったのは儀礼的なあいさつや訪問を表すのに実に便利だからだろう▲さて、米国側から要望があったという明治神宮訪問も日程に入ったオバマ米大統領国賓としての訪日である……(後略)

ほう、元ネタという明治神宮のサイトを見てみよう。

「表敬」の用語は明治神宮でつくられたのですか?
http://www.meijijingu.or.jp/qa/jingu/16.html

 『広辞苑』で「表敬」を引くと「敬意をあらわすこと。〈…訪問〉」と出ています。今ではごく当たり前のように使われていますが、実は古くから使われていたのではなく、質問の通りこの用語は明治神宮で考えられたのです。
(略)
席上で当時祭儀の儀式課長でした谷口寛氏の提案により、これらの点に充分配慮して「参拝」の語を避けて「表敬」なる新しい用語を提案したのでした。また、拝礼の作法も神社神道の正式な作法はとらないで、一般参拝者の拝礼位置(外拝殿向拝・賽銭箱の前)に花輪を捧げて拝礼する方法が考えられました。

 外務省もこの提案に賛成してくれ…(略)「表敬」参拝されたのでした。

 それ以来、外務省を通しての外国賓客の神宮参拝については、すべて「表敬」の用語が使用されるようになったのです。
 その後英国エリザベス女王さまの訪日に際しては早くも「伊勢神宮表敬」……今日では「表敬」の用語はすっかり一般化しました。

新語、造語ということでも自分には興味深すぎる話題だが、さらに自分の興味の範疇である「宗教における『みなしの自由』」という点にも関係しているので、実に面白い。
というか「宗教における『みなしの自由』」という、私の主張する概念のさらにいい補強材料となったなぁ…と、にやりなのだ。

【基調論文】
■宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3

関連
■宗教における「見なしの自由」とはこれです。→西原理恵子毎日かあさん」より
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120726/p5
■神社とイスラーム
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120517/p4
■お寺に座禅を組みにいった、トルコ人(※ムスリム)の話。(毎日新聞「発信箱」)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121102/p5
ラマダン、女性の髪、スポーツ参加、同性婚…宗教間、或いは同一宗教間の違いについて
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120811/p3
■十字軍を率いたルイ9世は”聖王”、カソリックの正式な「聖者」でもある件。(〜宗教における見なしの自由)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130816/p2
■誰が「英霊」でも、誰の「霊言」でも、誰が「アッラー」と呼ぼうと…これぞ「見なしの自由」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131026/p2
■これに違和感あるでしょ? 『?』でしょ?…それが「宗教における見なしの自由」ですよ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131024/p3

本来的には、モーゼ十戒の筆頭にあるのが、
「わたしのほかに神があってはならない」
であります。一向門徒法華衆もそれに近い考えの人はいて、中には「鳥居をくぐるのも許されない」、と考える人も皆無ではない。
その一方で、「表敬訪問」なる言葉…ちうか「概念」をひょいとでっちあ……いや、考え付いて、そのへんをさらっと解決してしまうというね。
今回オバマは絵馬を奉納し、神主と
「これを持ち帰っても、私の願いはかないますか?」
「それは神様だけが知っています」
というやり取りをしたが、その神様が一致しているとは限らない…あるいは一致しているとまずいかもしれない。


でも、いまは他宗教に対して、いかにモーセ十戒があろうと、内心でそう思っていようと、「敬意を表さない」のはポリティカル・コレクトではないことになっています。いつのまにかね。

それは世俗国家の、ひそかな宗教への勝利だったりもしてる、と思います。でもまあ、カソリック自体も教義や体制的に……完全に他宗教への敬意をベースとしているか。


「信仰」ではなく「敬意」ならいいかというと、今度は例えばどこかの民主主義人民共和国に行った人々が、その旅行日程のセットとして、そこの王朝の創始者のばかでっかい銅像前に連れてかれたりする。
それに対して
「デ、デケエッ、こりゃ奈良の大仏様もひっくり返るゼッ!!」

という感想ぐらいなら罪もないのだが、その醜く太った、戦争犯罪者にして収容所半島を作った狂気の独裁者に対して献花することを強要されたりもする。

「いや、自分はこの独裁者に敬意を表する必要をみとめない」といって拒否することはできるのかどうか、すべきかどうか。
それとも儀礼の範疇だと考えたり、その国を訪問する際のバーター条件と割り切って許容すべきか。
実際にオルブライト米国務長官は、その某国を訪問した際に、「銅像への献花」が問題となった。
日本の政治家の歴代の訪朝団はどうなのだろうね。
アントニオ猪木は。
また、平和と民主主義を訴えるピースボートの参加者は?
このへん、知りたいところだな。
こういうふうなこともあるそうですな。

http://blogs.yahoo.co.jp/shiraty5027/archive/2007/04/10
米NBCテレビによると、平壌訪問中のリチャードソン米ニューメキシコ州知事は9日、北朝鮮軍が1968年1月に日本海で拿捕(だほ)した米情報収集艦「プエブロ号」を見学させられた。
 「プエブロ号」は、「米国の対北朝鮮関係における屈辱の象徴」(同テレビ)になっている。見学の感想を聞かれたリチャードソン知事は「不愉快だ」と苦い顔。「しかし、われわれは招待客としてここにいる。日程は彼らが組んでいる」と、知事の訪問を政治宣伝に利用しようとする北朝鮮側の「もてなし」に半ばあきらめの表情を見せていた。 (『時事通信』4/10)

ちなみに勝谷誠彦氏と宮嶋茂樹氏は、逆にスパイと割り切って、体制を絶賛するおべんちゃらをペラペラとしゃべりまくり「主体思想をよく理解している」と特別バッジをガイドから巻き上げたうえ、「こっそりその銅像の前で同じポーズをとって撮影」という極秘ミッションを成功させて帰ってきたという(笑)。

不肖・宮嶋 史上最低の作戦 (文春文庫PLUS)

不肖・宮嶋 史上最低の作戦 (文春文庫PLUS)

ノルマンディー上陸、北朝鮮潜入、モザンビークPKO突撃!、CIA秘密訓練センター潜入など、世界の「危険地帯」へ次々と挑戦するわれらが不肖・宮嶋。さらに国内では自衛隊に従軍、雪上行軍からレンジャー訓練、地獄の八甲田山も体験。はては、富士山麓のオウム村まで。「週刊文春」などで獅子奮迅の大活躍を見せる不肖・宮嶋の根性の奮戦記。

しかし、「表敬訪問」はあまりに一般化しすぎて

アメリカとかヨーロッパを訪問した企業や政府のトップが、姉妹都市とか提携先の企業を訪問するじゃないですか。
その時
ハツシバあらためテコット(仮名)のコーサク・シマ会長(仮名)社長、うちに何しに来るんだ?用事もないのに??」
「ボス、あれですよ、ジャパンの風習にあるという『ヒョーケー・ホーモン』ってやつですよ」
「そうか、ジャパンの風習か。だったら仕方ないな」
「ボスも訪日したら、ハツシバに HYOKEY しないとだめですよ」
「面倒なことだな……」

みたいな感じになってるとか、なってないとか。
どこかで読んだ話、ということでソースは示せないのが申し訳ないが、カタカナがきの「ヒョーケーホーモン」と、外国のほうの困惑や揶揄的な反応が、印象に残っているなりよ。