こういうtogetter三部作
【イマジナリーライン】を超えたマンガは最悪なのか
http://togetter.com/li/641095
【イマジナリーライン騒動】はマンガ業界を変えるのか
http://togetter.com/li/641938
イマジナリーライン、あるいは「切り返し」について〜過去のマンガ入門書を中心に
http://togetter.com/li/642780
さらには
【関連】かかし朝浩先生によるイマジナリーライン解説
http://togetter.com/li/641711
「イマジナリーライン」まとめてメモ
http://togetter.com/li/641279
というtogetterがある。
【追記】2021年、ツイッター上でこれを説明する短い動画も話題に。
映画やドラマの世界には「イマジナリーライン」というものがあるらしい… pic.twitter.com/ArNfjvWzB8
— KK (@_kk1_) June 2, 2021
最初に「イマジナリーライン」(想定線)なる、別に知らなくても日常生活、社会活動に何の影響もない言葉をば紹介。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%B3%E5%AE%9A%E7%B7%9A
想定線(そうていせん)、またはイマジナリーライン とは、映画やビデオを撮影する場合の用語で、2人の対話者の間を結ぶ仮想の線、あるいは人物、車両等の進行方向に延ばした仮想の線をいう。
図1:イマジナリーラインと映像
映像は鑑賞する者を時間的に拘束する(かつては、見直しのきかなかった)媒体である。イマジナリーラインとは、そんな映像を一度見ただけで理解できるようにするために発明された、原則の1つである。
原則的には、イマジナリーラインをまたいだカメラの移動は行わない。図1で例えると、人物甲と人物乙を結ぶ線(延長部分を含む)がイマジナリーラインである。Aのカメラ位置で撮影したカットを入れると、次にBのカメラ位置で乙を撮影することはあっても、Cでは撮影しない。
どうでもいい専門的な議論かもしれない
イマジナリー・ラインについてだが
けっこう盛り上がった(togetterの閲覧者も多いし)
自分が、なぜこれに興味があるのかは、以前に言葉にしている。
■「カメラの構図(コマ割り)」という20世紀の魔法 〜町山智浩「鈴木先生」評をきっかけに
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130220/p3自分があらためて興奮するのは・・・、いうまでもないけど、「そうそう『カメラ割り』・・・いくつもの画面で作る映画(テレビ、漫画含む)は新しい表現技法だったんだなあ」という、その起源や進化、意味をさぐる知的興奮だ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130524/p3
そう、20世紀、ベル・エポックに生まれた新芸術…それが構図、視点が次々と変わっていくという、魔法のような光景を人間に見せてくれた映画だった!テレビだった!そして…ストーリー漫画だった!!!
そんな新技術が生まれて、その技術で物語がつづられているうちにこの原理原則が生まれ、理論化され、言葉になっていく……そこが面白いのだ。
というか、気づいたのだけどしょっちゅうこのブログでネタになっている「新語(新概念)の起源」や「デマ、流言」「キャラクターの類型」「人の流れ(大群衆)の管理」…などのテーマって、共通点があるんだ。
「どう考えても不定形、非理論的に見える現象を、ひとつの体系、言葉、概念にして把握する営み」
ことにロマンを感じているんだな、並べてみると分かった(笑)。
何度も繰り替えしだが、イマジナリーラインは、分割したコマを並べて物語を語る近代漫画、カットを重ねる映画…の誕生によって生まれた概念(その前の、落語や芝居の上下意識まで考えても面白いが)だ。そしてどう考えても、この理論が作成され、それをもとに映像が作られるのはあとで、最初は現場の経験則から生まれて、のちに理論化されたのだろう。
そんな現場の営み、知の営みから生まれたひとつの理論。
まったく縁がなくても、ちょっと興味を惹かれませんか。