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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「高円寺の人間風車」ビル・ロビンソン逝く。頑固爺の「人生一本勝負」は場外戦へ…

人間風車ビル・ロビンソンさん死去 75歳 猪木らと名勝負
 
『「人間風車」の異名で知られたプロレスラーのビル・ロビンソンさんが、米アーカンソー州で死去した。75歳。4日、新日本プロレスの公式サイトで発表された。
 ロビンソンさんは1938年、英国マンチェスター出身、19歳でプロレスラーとしてデビューし、ダブルアーム・スープレックスを武器に欧州や日本で活躍…(略)引退後は、99年から東京・高円寺のUWFスネークピットジャパンのコーチとして来日。2008年まで指導に携わり、後進の育成に努めた。』


追悼togetterはこちら。

追悼「人間風車ビル・ロビンソン氏 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/637885

2007年、ロビンソンがカール・ゴッチを追悼したインタビューが、逆に彼の人となりを表す。

当時
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070904/p1
で書いた記事を、そのまま抜粋し、再読してもらおう。

kamiproのほうの追悼記事にはまだ触れてなかったな。

ビル・ロビンソン…の(※ゴッチ追悼)話が面白かった。

ビルの基本線は、今までの自伝やインタビューで大体分かっている。
「ゴッチが強いんじゃなく、ウィガン・スタイルが強いのだ」
「ゴッチはウィガンの中では強かったが最強だったことは一度も無い」
「彼はテクニックというよりパワーに頼るタイプ(技術は俺のほうが上)」


今回も、それを再確認するようなもんだが、「日本でのスパーリング」を聞き手の坂井ノブが振ると。

「そのときにカールと約束したんだ。プライベートなスパーリングだから、このことは誰にも話さないと。だからそこでこの話をするつもりはない(キッパリ)」

聞き手は「なるほど、分かりました」と矛を収めるのだが、たぶん時間にして10分もたたないうちに
「(唐突に)……さっきの話の続きをしようか」
と言い出して(笑)、

「69年にジャパンプロレス日本プロレス)のドージョーで、約20分間、私は彼の上でコントロールした
「15歳のときの(ゴッチでスパーに負けた)屈辱を晴らすことができた」
「先人へのウィガン流のリスペクトとして、極めることはしなかった」


と滔々と回想するのである。お前本当に話すつもりなかったんかと(笑)。もし聞き手が「いえいえ、お二人の約束ですから結構です」とか断固言ったら「あの、君、ちょっと…」と困るんとちゃうかと。

まあビルに対して
「息子の名前が気に入らん」
「北欧はグレコが強いのだからスウェーデン流の名前にしろ」


とか言い出すというゴッチもゴッチなんだが、何はともあれ来年古希を迎えようというビル・ロビンソンが、82歳で世を去ったジムの先輩を追悼するのに、「俺はスパーで勝ったぞ!!」とか言い出す大人げなさぶりはたいへん楽しく、ほほえましい。人間の老後というのは、こうあらねばいけないのだと思うし、ビルもゴッチも経済事情や家庭環境は別にして幸せなのだと思う。
ゴッチが「人生はシンプルだ。愛する妻がいて、自分のレスリングがあった以上、私は幸福だった」と話していたが、”自分のレスリング”の中にはこういう思い出や意地の張り合いも含まれているのだろう。


自分は、この落語を思い出しました。
聞いたことがない方は、何かの折に聞いたり読んだりしていただきたい。

http://homepage2.nifty.com/figo/yz-rakugo.html

「笠碁」


「碁仇は 憎さも憎し なつかしし 」
とは、よく人情をうがったもので、碁というのは負けりゃ悔しいし、こんなヤツと二度と打つものかと別れても、顔が見れなきゃまた淋しくなるものでして、、、
     *
町の碁会所なんざぁ行きますとみんな強いような顔をして打っていますが、これが誰もがわかっているかというとそうでもなく、中にはわかってるんだかどうだか、腕を組んでうんうんうなってのぞいている人もいます。

(略)
「そう、あたしも気にしてましたよ。この間は、たまたまあたしのほうに幸いして3番ほど勝たせていただきましたのでね。今日はお返ししませんと。」
「そうなんですよ。あたしゃ、あれから悔しくて悔しくて、こんどは負けてなるものかと一昨日は隣町のあたしの碁の師匠のところまで習いに行ってたんだ。そこで師匠が言うにはね。『貴方は仕事が忙しくて、このところ碁など打っちゃいないのではありませんか?』と聞くんで、いえ、あたしゃもうそれこそ週に一度は伊勢屋の旦那が来るんで10番も20番も打ってます。そう答えたよ。そしたらね、『それにしちゃぁ、上達してないねぇ、うっかりした手も多いし、、、ははぁ、もしかしたら貴方は待ったをなさいますな?あれはいけません。待ったを許すと、どうも手がおろそかになる。待ったをしなければ、自然と落ち着いて考えるようになって、すぐに上達しますよ』と、こう言うんですな。そこで今日はひとつ待ったなし、ということでやってみちゃぁどうか、とね」
「ああ、待ったなし、そりゃぁいいですねぇ。あたしも日頃から待ったがおおいなと思ってたんですよ。あっちこっち待ったばかりしてると、終いにはあたしゃ、碁を打ってるんじゃなくて、待ったを打ってるんじゃないかと勘違いするんですよ。」
「よし、じゃぁ決まりだね。じゃぁ、さっそく一番」

こうして待ったなしという約束で打ち始めました・・・・…



さて、そこからまた7年を経て、この「俺はスパーリングで勝ったぞ」とか言い放ったもう一人の証言の当事者が黄泉へ旅だった。

あっちじゃ、満を持して待ち構えているはずである。
果たして「あちらの世界」でスパーリングを再度行ったらどちらが勝つのか。



資料1 伝説の猪木vロビンソンからわかる、猪木のタックル技術の「無さ」

http://ameblo.jp/kyouhansya001/entry-11053319783.html
しかし猪木にはタックルに行く技術がなかった。

現在ではタックルからテイクダウンさせて寝技に持ち込むのは常套手段だが、アントニオ猪木のプロレス、いや当時のプロレスそのものがタックルを必要としていなかった。

だから猪木はレスリング式のタックルは習得していなかったのである。

前年に猪木はビル・ロビンソンと60分フルタイムの試合を行なっている。グラウンドの攻防で猪木はロビンソンに翻弄される。それはアマチュアレスリングの素地があるロビンソンと、何もない素人からプロレスに入り、唯一の師がカール・ゴッチである猪木の差だった。

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)


テーズ、ロビンソン、ニックのプロレス3聖人が、「寅さん」を見に行った話。

gryphonjapan‏ @gryphonjapan
https://twitter.com/gryphonjapan/status/440790223094444032
ルー・テーズビル・ロビンソンニック・ボックウィンクルの3人が「俺たちこれだけ日本に来てるのに、この国を代表する映画を見てないんじゃ恥ずかしい」と流智美のガイドで「フーテンの寅さん」を見に行き「バッグ一つで旅から旅…トラサンはプロレスラーだ!」と感激したことがあったっけ。

これは初出が別冊宝島(…のどこか)。書いた流智美氏の単行本に収録されてたかもしれない。
あとで実物を探してみます。