INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

吉田昌郎氏、逝く

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130709/trd13070917590007-n1.htm

東京電力福島第1原発で、事故の復旧作業を陣頭指揮した元所長で東電執行役員吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。58歳。事故当時、首相官邸の意向を気にする東電本店から原子炉冷却のための海水注入の中止を命じられた際、独断で続行を指示した決断が評価されていた。
(略)
 第1原発が初めて報道陣に公開された23年11月には事故直後を振り返り、「もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」「終わりかなと感じた」などと語っていた。一方、政府の事故調査・検証委員会などは、事故直後の対応で一部に判断ミスがあったと指摘している。

58歳。食道がんと事故の被ばくは無関係ということなら、もしあの事故が無かったら、彼の若い死は関係者や家族のみに知られるのみで、ひっそりと旅立ったに違いない。それを本人も間違いなく望んでいたろう。
しかし、誰も予想しなかった・・・本当は予想してもらわないと困るんだけど・・・地震津波、事故によって、彼は「歴史の召集令状」を受け取らざるを得なかった。
原発の責任者という立場は、やはりそういうことを想定することがあったとしても、政治家や自衛隊幹部とはちょっと違う立場だろう。

それ以降の吉田氏の対応、さまざまにミスや錯誤、失敗があったとしても、やはりあの災害に際して現場でこういう人材が動けたのは奇跡的にプラスだったと言っていいのではないか。少なくともあれ以下の対応しかできない状況は容易に想像できる。

惜しむらくはその後の事故調査で証言を求められたとき「本当に正直に言ってるのか疑わしい」「まだ隠していることがある」と多くの調査者が疑うようなものだったことだ。
これがあと10年、20年、生涯に余裕があったのなら「10年後のいま明かす秘話」などを語ることもあったかもしれない。だが、それは永遠に消えた・・・

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20130709
・・・(「死の淵をみた男」は)涙なしには読めない本だった。その涙には、感動や感謝のほかに、「もし彼らの作業が失敗していたら・・」という恐怖と「よかった」という安堵も混じっていた。本当に一つ間違えたら、ゾッとする事態になったであろうことが、作業にあたった彼らの危険な状況からリアルに理解できたからだ。
(略)
「事故直後の1週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった。1号機や3号機が水素爆発したときや2号機に注水ができないときは終わりかなと思った」と当時の思いを語っていたが、その詳細がこの本に書いてある。一読をお勧めする。

 吉田氏は、親しい人に、事故後の経験を本に書きたいと言っていたそうだが、それはかなわずに亡くなった

あとは我々が、教訓を掘り起こし、生かしていくしかないのだろう。
既にたくさんの「原発事故ドキュメント」も、彼への評伝もある。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

検証 東電テレビ会議

検証 東電テレビ会議

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故 (講談社文庫)

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故 (講談社文庫)

カウントダウン・メルトダウン 上

カウントダウン・メルトダウン 上

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

一番上に紹介した「死の淵を見た男」関連でのインタビュー。今年3月に行われた・・・
http://agora-web.jp/archives/1523963.html