INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

水谷三公の書評本「読書三酔」から名言・逸話コレクション。

読書三酔

読書三酔

本を肴にしたエッセイ集。
本を読むには三度の楽しみがある…。読んでみたいと思ったそのとき、読んでいるとき、そして読後。
「読書は三度楽しみ、三度酔う。そんな思いが『読書三酔』の背後にある…」(本書まえがき)。
(略)・・・計46本の著書の書評を4つの部に分け、歴史、社会、学問、人間を語ります。

メモ代わりに。
もともと書評集だから、断片的に多方面の面白い情報、プラス名言がある。

「民衆はその意に反してこれを救わねばならぬ」−ナポレオン

まあ「国民投票で選ばれる皇帝」という矛盾した存在的にはこうなるわな。
 

ハワイがまがりなりにも独立国で自前の王様もいた・・・1881年、王朝滅亡1代前も、カラカウア王が世界周遊の「お忍び旅行」に出かける。・・・一行はまず日本を訪れる。文字通りのお忍びだから、日本政府には事前の挨拶も申し入れもない。…たまたま船中で知り合った日本人にヤドの手配を頼んで、泊まる場所だけは確保できたと安堵・・・ところが明治14年の日本は、朝野をあげての大歓迎・・・ボートが接岸すると同時に、日本の軍楽隊によるハワイ国歌の演奏・・・「まさかこんな遠い國で」と・・・
次の訪問先は清朝中国・・・タイ、インド、エジプト・・・
(略)
時の英皇太子エドワードは、歓迎レセプションの席上、姉の夫でドイツ皇太子のフリードリッヒよりハワイ王を優遇した。これに抗議したドイツ側に「あの蛮人は王であるか、さもなくばどうということもない黒ん坊(ママ)だ。もし王でなければ、なぜここにいるのか」エドワードはこう反論した。・・・(略)東も東、西も西。時として王位は人種より重く、太古から続く同業の連帯は、白と黒と黄の別を越える場合がある。

ヨーロッパ、特に英国で、植民地支配と西欧優位思想を厳然として保ち続けながら、そういう国や地域の貴種、王族が来ると「それはそれとしてこの方は貴種王族であるから」と、そういう高い礼遇を受ける・・・という風景は以前から興味深かった。
これだこれだ、こういう本を読んだことがあるのだ。

ロンドンで出会った一枚の絵画。大英図書館で見つけた古い新聞記事。このふたつが重なったとき、そこに新しい大英帝国のかたちが見えはじめた。白人王がさしだす聖書。それを受けとろうとひざまずく黒人王。この構図は、そして長らく忘れられていたその絵画のタイトルは、何を物語ろうとするのだろう。一枚の絵画へのタイム・トラベルが今はじまる。

最近の「風雲児たち」にも、これよりさらに一代前のリホリホ・ハワイ国王がアメリカ、ヨーロッパでそういう待遇の差があったために米国嫌いになった、という話が出ていたね。だから「エマ」のインド貴族が、なりあがり階級で完全に上層にいる人ではないとはいえ英国ジェントリとほぼ対等の親友である・・・というのはありえる話ではあったんだろうな。
ちなみに風雲児たちでは、咸臨丸・・・と舟は別ながら同じ使節の一行がハワイに立ち寄るとそのリホリホ国王に歓迎される場面があり、明治14年の日本はその恩を返せてよかったよかった。
この時期でいえば緋村剣心も所帯をもって落ち着いていたはず(笑)。そんな新聞でも一家で読んでいただろうか。
あ、上の記述はこの本の書評から。

カラカウア王のニッポン仰天旅行記 (小学館・仰天シリーズ)

カラカウア王のニッポン仰天旅行記 (小学館・仰天シリーズ)

珍談・奇談の宝庫。明治外交史の知られざるエピソードも…。1881年(明治14)に世界周航したカラカウア王の随行記の中から、日本・極東の部分を抜粋。明治天皇との会見や外交交渉、失敗珍談の数々、東洋と西洋の文明や政治についての議論など、おもしろさは天下一品。当時の写真や絵画などの図版や天皇の手紙などの貴重な資料も満載。

 

「卑怯は通行証になる。気高さは墓碑銘になる。」

映画監督・陳凱歌が文革時代はこんな時代だった、と、ある詩を引用。(「わたしの紅衛兵時代」)ちょっとその詩を警句的にアレンジした。
 

「細筆の毛はなんでできてるか知ってるか。狸の毛や。せやから書いたもんを信じたらあかん。書いたもんはな、人をだましよる。」

・・・筆屋さんだった、水谷氏の父親の口癖だったという。