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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

3.11をめぐる言葉、言葉、ことば。

毎日新聞「余禄」
http://mainichi.jp/opinion/news/20130311k0000m070113000c.html

「走れよと妻の背中を突き出してつんのめつた手で津波を掴(つか)む」宮城県女川町で被災した佐藤成晃(さとう・せいこう)さんの歌集「地津震波」の3月11日の歌である。夫妻は危うく裏山へと逃れたが、妻の姉とその息子夫婦は行方が分からなくなっていた▲
「三・四本指立てて縁者の亡きを言ふ瓦礫(がれき)の道に雪に降られつつ」
「遺体写真二百枚見て水を飲む喉音たてずにただゆつくりと」
「睡眠剤飲んで四時間眠らせた体にしみる今朝の味噌汁」
「攫(さら)はれし通帳証書免許証再発行されぬ 命無きものは」
そして2年がたつ・・・(後略)

産経抄
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130311/dst13031103190004-n1.htm

岩手県に住む小学3年の少女は、母親に呼びかける。「3月10日まではいい日だったね」。少女の母親は、東日本大震災による津波に流され、仕事場の前で遺体で見つかった。その母親への思いをつづった詩は、あしなが育英会が作った、遺児の作文集の表題作となっている

 ▼震災遺児ではないが、父親が自殺した7歳の少年が書いた「ぼくの夢」という詩を思い出した。「大きくなったら/ぼくは博士になりたい/そしてドラえもんに出てくるような/タイムマシンをつくる」。父親が亡くなる前日に戻って、自殺を止めるというのだ。

 ▼タイムマシンがあったら、津波からどれほど多くの人を救えただろう。ただ少年より少し年長の少女は、そんな夢想を抱かない。保育園から帰って食べた母親手作りのおやつ。いっしょに作ったケーキ。3月10日までの楽しかった思い出と、母親が亡くなった場所、時間を「忘れない」と言い切っている。

 ▼あの日から、2年の月日が過ぎた・・・(後略)

 
東京新聞「筆洗」

(略)・・・▼『3月10日まではいい日だったね』は、震災遺児らを支援する「あしなが育英会」が出した作文集だ。表紙は、あの一本松の絵。お父さんが行方不明になった九歳の少年が描いた▼彼は天に伸びる勢いの松を描いて、言葉を添えた。<がんばれ一本松 ぼくのお父さん どこにいるか みえないかな。 みえたら おしえて 一本松 おねがいするよ>(略)
▼宮城の小三の女の子はあの日、母さんとけんかして、謝りもせず学校に行った。「母はもう怒ってないだろうな」と思いながら家へ帰る途中、地震が起きた。学校に戻り夜を明かした。みんなには迎えが来たのに、母さんは来なかった。死んでしまった▼二年前のきょうは金曜日だった。少女は、書く。<私はお母さんが見つかってから金曜日の2時46分に、ベルを鳴らしています。そしてお母さんに「ゴメンネ」を送っています。ちゃんと聞こえていたらいいです>。きっと、聞こえているよ。

 
日経新聞「春秋」
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO52655970R10C13A3MM8000/

満員の通勤電車の中で、しくしくと泣く声が聞こえた。誰もがハッとしたけれど、声の主を探して見回す人はいなかった。言葉をかけて、なぐさめる人もいなかった。みんな前をむいたまま、黙って動かなかった。車輪の音と泣き声を除けば、とても静かな車内だった。

▼その空気と時間の慈しみを、今もはっきり思い出し、感じることができる。津波から数日たっていた。遠く離れた東京が、被災地とつながっていた。「心を込めずに言葉を探すより、言葉を探さずに祈りに心を込める方がよい」。インドの指導者ガンジーがそう語っている。あの時ほど、言葉が無用だと知ったことはない・・・(後略)

 
朝日新聞天声人語
http://zaq.ne.jp/users/1nihs/article/547/(個人ブログより孫引き)

歳月は気まぐれなランナーに似ている。のんびり流しているかと思えば、一転、歩を速めて移ろいもする。ひと続きの時の大河に、私たちのささやかな命は浮き沈み、現れては消える。震災被災者にとって、恐らくは激流のような2年が過ぎた。
(略)
〈そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべて終わったと知ったあとにも/終わらないそのあとがある〉谷川俊太郎さんが先ごろ、本紙夕刊「今月の詩」の最終回に寄せた「そのあと」だ。絶望を生き抜く者への励ましが、静かに胸に迫る。
〈そのあとは一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている/そのあとがある/世界に そして/ひとりひとりの心に〉・・・(後略)。

  
■読売新聞「編集手帳
http://miyu011.jugem.jp/?eid=495 (個人ブログより孫引き)

(略)・・・きょうで丸2年になる。わが胸に尋ねてみても、何かが風化したとは思わないが、テレビの映像に心臓を鷲掴みにされた感触が思い出せない日もある。1人ひとりにできることは限られているとしても、せめて帰ろう。被災地のことだけを考えて、ほかには何の望みもなかった、あの夜に帰ろう

 
■【泣いた】『銀魂』作者・空知英秋さんの3.11へのコメントが深い
http://jin115.com/archives/51936018.html


悲しいことがたくさん起こって
前向きになんてなれない時も
あると思いますが そんな時は
気負わず横でも向いてください
みんなついております
みんなで一歩ずつ前へ
進んでいきましょう

■2013年3月11日とレイザーラモンRG
http://d.hatena.ne.jp/eg_2/20130311#1363006715

2013年の3月9日、つい先日……あるあるリクエストを募っていたのですよ。時間的に朝方で「最後に、、、そこの帽子の君!!」って指名させて頂いたので、これかな?って単純にこのあるあるを聴きたいから
「3月11日あるあるをお願いします!!!」
と言ったんですよ。正直会場が何か微妙な感じになって。RGさんは”おし!いいお題だ!”とか言ってたんですけど。
(略)
・・・で、この唄にのせて「3月11日あるある」をやって・・・(略)イマイチ客が響かなかったんですよ。当人もそれを言った後に納得がいかなかったのか
斉藤和義みたいになりたかったけどダメだ。本当は○○○○○○○○ですね」
って言って場内大爆笑。
(略)
そして、今では自分の家の家宝は出淵さんに今年の3月に書いてもらった「3月11日あるある」の色紙になりました・・・
(リンク先参照)

 

最後に直接震災とは関係ないが、関係する言葉を。
http://nakeru.jp/meigen/archive/000876.php

言葉では伝わらないものが、確かにある。だけど、それは言葉を使い尽くした人だけが言えることだ。
だから、言葉というやつは、心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。
海面から出ている部分はわずかだけど、それによって、海面下に存在する大きなものを知覚したり感じとったりすることができる。
言葉を大事に使いなさい、ユリアン
そうすれば、ただ沈黙しているより、多くの事をより正確に伝えられるのだからね・・・・・・。
by ヤン・ウェンリー