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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

秀吉、家康に天下を取らせた史上最強のパワースポット・・・それは「浜松東照宮」(磯田道史)

いま、歴史学者兼エッセイストは、柏戸大鵬で「柏鵬」時代・・・的にいうなら本郷和人磯田道史の「和道時代」だと個人的には思っている。雑誌も永遠のライバル雑誌、週刊新潮週刊文春にそれぞれ連載コラムを持っているわけだし。
ただ、2大横綱にもひいきがあるように、自分は磯田びいきだ。
知名度は急速に上がっていれどまだ不十分だから、一応「武士の家計簿」著者、と紹介しておくか。


さて余談はいいとして2013.01.30の読売新聞は、月1回最終水曜日に掲載される磯田道史氏の「古今あちこち」の掲載日だった。
これが最近新書にまとまったことは一度紹介したね。

■大朗報!!読売新聞連載「古今あちこち」(磯田道史〜「武士の家計簿」著者)が中公新書
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121012/p3

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)

忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の車窓から関ヶ原合戦追体験する方法を編み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る――。
著者は全国をめぐって埋もれた古文書を次々発掘。そこから「本物の歴史像」を描き出し、その魅力を伝えてくれる。同時に、歴史は厳しいものでもある。地震史研究にも取り組む著者は、公家の日記などから、現代社会への警鐘を鳴らす。
歴史を存分に愉しみ、現代に活かせる「歴史通」になりたいあなたへ。

読売新聞の2013年最新回はこんな書き出しから始まる。

正月の初詣はどこに行こうかと考え、良いことを思いついた。
「そうだ。浜松には日本史上最強のパワースポットがあるじゃないか」。
それはまことに不思議な空間であった。浜松にある私の家から400メートルほど北にあり、今は小さな神社になっている。わずか50メートル四方の狭い空間だが、恐るべき霊力をもった場所らしく、ここにやってきた男二人に天下を取らせた。日本中を探しても、こんな霊地はない。

パワー・スポットと来たか。先生、メディアの中で生き残るこつを学んできましたな(笑)。学界とかで古老の碩学から「君、書くものが最近荒れていないかね」といわれるレベル・・・

と思いきや、そうじゃない。
実はいまのホットな学問状況を紹介するマクラなのだ。メディアを逆に掌の上に乗せていやがる。

豊臣秀吉
一回の百姓土民から天下人になったこの男、そんな経歴なら子供のころや若いころの記録なんて残っておらず、怪しげな神話しかないだろう、という気がする。子供のころはもちろん、橋のたもとで蜂須賀小六に出会って・・・的な伝記は読んだが、まあ元ネタは怪しいのだろうと。

ところが

460年前にこのパワースポットに「キサ」という少女が住んでいた。キサは八十歳近くまで長生きして豊臣滅亡後まで生き延び、秀吉の真実を遠慮なく語り、孫が「太閤素生記」という記録に残した。
これで闇に消えるはずだった秀吉の無名時代の様子が後世に伝わった。

自分はパワースポットなんて一寸たりとも信じてないが、この「XXXによって、この記録が、歴史として残った」というエピソードにヨワい。あと、磯田氏の得意技だけど、記録の元文書をここぞというときに紹介されると、こっちは古文書を読めないからなんかおそれいってへへーっとなるね。
花の慶次」でも

・・・『可観小説』にあるこのくだりの描写を引用して見よう。
『今度は成程くすみたる程に古代に作り、髪をも常に結直し、上下衣服等迄平生に改め、御前へ出で御馬を拝領し、前後進退度に当り、見事なる体也』。
きちんと礼儀を守った、げにも床しい武者ぶりだったのである

なんてのは印象深いものね。
はなしが進まないなあ。(←自業自得だろ)

キサは、浜松城の前身である引間城の城主、飯尾豊前守備の娘。
てなわけで、偶然若き日の秀吉がいた近くに元気な女の子がいて、この人が長寿で、地元の世情に通じていて、孫は聞き書きを残せるほどの知識人だった・・・という偶然から、まだ何者でもない時代の「ヤング秀吉」の様子が分かるのだが・・・、尾張から浜松まで、武家への「奉公望み」のためにやってきたこの男

異形な者で「猿かと思えば人。人かと思えば猿」・・・(「松下」なる武士が)この猿顔の少年を宴会の見世物にしようと考えつれてきたのだ。
(略)
「猿」を披露した。キサは出てきてこれを観た。「皮のついた栗を取り出して与え、口で皮をむき喰う口元が猿にそっくり」とみな大笑いしたと「太閤素生記」にはある。

そして「松下」の家来になったが、とにかく側近としての仕事はすべて完璧で、異例の出世を遂げた。ところがよそ者が武家の秘書的な存在になると、同僚が嫉妬して陰湿ないじめにあう。
松下は慈悲のある人で「不憫だが、よそ者である以上いじめは免れない。本国に帰れ」と永楽銭300枚を与えたという。秀吉は16-18歳まで、そうやって浜松で暮らした。

ここで最近話題の書に勝手につなげる。

上の記録で分かるのは、秀吉の「猿」は、皆さんの周りにもいる?ちょっと似てますね的な人をはるかに超えて、ガチなほどの類似性を持っていて・・・例えば・・・と例を挙げようかと思ったが略す。まあ「オリバー君」レベルだったのだな、と思えばよろしいかと。

いやいや違う。
どうも、単に似ているだけでなく、秀吉は「猿の真似」も芸であったと?それは伊集院光がデブネタをいうようなものか?
いやいや違う・・・という話が

河原ノ者・非人・秀吉

河原ノ者・非人・秀吉

らしいのです。実は自分も、書評記事を読んだだけなのですが・・・さてその書評記事を探すか。
あった。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012070100010.html

■歴史上の人間に生々しく迫る

 あまりにも生々しく、時に本を閉じた。歴史の専門書を読んでそういう気持ちになることはほとんど無い。そこに本書の方法的な特徴がある。極めて具体的かつ詳細で、小説を読むような臨場感がある。が、単に面白いというだけでなく、歴史記述の独特な方法が浮かび上がって来る。 (略)
 学問は、証拠を並べて真実を証明する競争の場になっている。しかし、それでは浮かび上がって来ないことがある。そのひとつが本書のテーマである被差別民の世界だ。・・・秀吉の出自は何か。これも被差別民という説と農民という説があるが、それは単なる概念だ。秀吉がまるで猿のように栗を食ったという記録から、それが乞食(こじき)として生きていた時の大道芸ではなかったかと著者は推測する。秀吉が身体をもった一人の人間として迫ってくる。本書では、被差別民が多くの分野での職人として社会を支えてきたことが見えて来る。ヨーロッパ人宣教師を始めとする当時の人々の記録を重要視することで、見事に人間を浮かび上がらせた。

中世、近世で河原ノ者、被差別民・・・となると、かわいそうな社会的弱者(もちろんそれも一面の真実)というイメージから、「聖と賎の間を行き来する、異能と異形の地位、才能を持った神秘の存在」・・・こういうイメージが網野善彦隆慶一郎らがそれぞれの場で誠実に、丁寧にいい仕事をした結果広まっていった・・・ここにプラスマイナスはあるだろうけど、
「秀吉の”猿”は、単にちょっと顔が似てるだけじゃない。猿の真似をする大道芸を、秀吉は『道々』で身につけていた」
という記録から、壮大なロマンを感じさせるには至っている。


まあ、磯田エッセイはこの服部英雄氏の本を紹介しているわけではないので、どこまで意識しているかは不明。
この後、この場所には家康も縁が深かったよ、という話に続くのだが、つかれたんで省略します。まあ引間城を拡張した浜松城に住んだんだから、当然そうだよな。

ということで磯田氏はここが日本最大のパワースポットと結論付け、場所を紹介します。

二人の天下人の人生の転機となった交差地点の所番地は
浜松市中区元城町111の2
今の浜松東照宮
全く流行っておらず、初詣客は少ない。

という。グーグルマップも置いときますね。

こうやって考えると椎名高志MISTERジパング」はすごかった!

秀吉が前に奉公していた飯尾家の松下なんて、普通は扱わないが、重要登場人物のひとりとして登場させているんだよな。

いやあ、鬼才だ。というか以前も書いたが、荒唐無稽な歴史SFっぽく見えて、細部と勘所はちょっとした・・・というか確固とした「史観」が見て取れた。打ち切り漫画ながらうまくまとめたほうだと思うけど、やはり構想どおりの完全版も読んでみたかった。

Misterジパング 1 (小学館文庫 しH 1)

Misterジパング 1 (小学館文庫 しH 1)