きのう、こういう記事を書いた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130117/p1
文芸春秋掲載の沢木耕太郎「キャパの十字架」、Nスペ番組にも〜キャパの出世作は”ヤラセ写真”?
で、その自分の記事を読んで、自分で浮かんだ疑問なんだけど…
【自分の記事見直して感じた疑問】
・(1)「『十字架を背負う』という用語は大まかに言って『罪、責任、悪評、疑惑を受け止めて耐える』との意味で使われるっぽいが、いつ頃から使用されてるのだろう?
・(2)元のキリストの逸話と合ってるとみるか、ずれてると見るか?
・(3)また、こういう表現は英語圏(キリスト教圏)でも同様に使われるのだろうか?
知っているかたはおしえてください。
追記 コメント欄とブックマークから
id:frkw2004 ことば
「疑惑(罪がないのに罪人とみなされる)」は入らないかと。イェスは罪が無いにもかかわらず十字架を背負ったが、イェスならざる我々は原罪がある故、疑惑ではなく真に罪を負っている。 2013/01/1812 clicks
id:machida77
表現としては時折見る。「cross to bear」とか 2013/01/18
id:iww 用語
特捜最前線のエンディングテーマはかっこいいと思う 2013/01/18
id:hisawooo
原罪との関係はご存知なんだよね/And anyone who does not carry his cross and follow me cannot be my disciple. (Luke 14:27) 2013/01/18
ほげ 2013/01/18 16:16 英語で"a cross to bear"という言葉があるようですね。出典は聖書? こちらは宗教的な(信仰上の・キリストが耐えた)「受難」という意味が強いようなので、俗っぽいことに使うと怒る人もいるみたいです。