http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200708280238.html
・・・世界王座につき、初来日したのは1963年。ハワイ遠征で知り合った力道山から招かれた。記者会見で「4の字固めは本当に効くのか」ときかれ、「説明より、お見せしよう」。足をからめられた記者は痛さに悲鳴をあげた。
敵役を演じるが、力道山亡き後、ジャイアント馬場(ばば)の団体で日本陣営に加わる。テレビのバラエティー番組でコミカルな役も演じてみせた。日本が好きになり、家族を呼んで6年、東京で暮らす
http://agttm.seesaa.net/article/95844097.html
・・・まさに千両役者の登場だった。1963年、第5回ワールドリーグ戦決勝戦、力道山×キラーコワルスキーの一戦が始まろうとしている。その開始ゴングの直前に、次期シリーズ参戦の為来日した選手の紹介がなされる。ゆっくりとリングに現れたのは、スーツ姿に白覆面、リング中央で腕を組み仁王立ち。「WWA世界ヘビーチャンピオン、ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー」の登場だった。場内にアナウンスが流れる、その姿はスポットライトを浴びて輝いていた。決してスタイルが良い訳では無い。スーツが似合っている訳でもない。しかし、ズングリの体型からオーラがほとばしり覆面の下からギラギラした目が輝いていた。「俺がデストロイヤーだ」と言わんばかりに観客を一睨みすると、彼はコワルスキーの所に行き手を差し出し握手を求めた。するとどうだろう、コワルスキーはいかにも不機嫌そうに、しかも嘲笑するかの様な表情を浮かべその手を無視した。と、次の瞬間デストロイヤーは平手でコワルスキーの頬を張る。直ぐさまコワルスキーも臨戦体制に入る。場内に緊張が走る。コワルスキーは制止され事無きを得たが、まさにセメントマッチの瞬間・・・