INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

丸谷才一氏逝去。コラムの達人、書評界の恩人。

おとといの晩と昨日の朝のニュースを用事で見逃したので、昨日の午後になって丸谷才一氏の訃報を知った。
自分は氏の長編小説などにはほぼ縁なく、もっぱらユーモアコラムのみを追ってきたが、ほぼすべてが水準以上の極めて優れた書き手だった。あの系統の作品は年齢を考えてもずっと書き続けてもらえると思っていたので残念だ。

過去のブログから紹介したいのだが、当方は
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090830/p4
で、こういう小話を紹介している(笑)

アメリカだったかどうだったか、某国が国際紛争で各国共同の出兵を要請。南米のある国にも協力をよびかけた。
出兵すべきか、せざるべきか。あるいは正面から反対すべきか、世論は割れた。
その時、同国の大使から暗号電が届いた。解読すると
「キ○○マ」。
閣議にその情報がもたらされると、閣僚は首をひねったが、大統領は破顔一笑してうなずいた。
「諸君、わが国は後方支援にとどめ、突入は他に任せる」。

当ブログには似つかわしくないネタだが(笑)、これの元ネタは丸谷才一コラム。しかも丸谷氏は「この話を教えてくれた開高健は・・・・開高は、元東大教授の文学者である中野好夫さんから聞いたそうだが・・・」と、、その二人に「いかにも!」な話をくっつけ、「文学者における逸話のホラ話」について絶妙な間で語っているのだよな。
こういう名人芸がさらりとできる人だった。

書評の革命家だった。

書評鼎談、いやあれはジャーナリズムに関して語る鼎談だったのかな?「日本の新聞の書評欄はとにかく短い。アメリカや英国の書評欄を見ても、まず分量が違う。なぜスペースを拡大しないのか」という彼の嘆きは1980年代から見聞きしていた。自分も書評が大大好きなので、「ふうん、そういうのが日本もあればいいね」と思っていたのだが・・・1990年代、各新聞を読み比べ始めると、まさにそのスペースの部分をはじめ「あれ?毎日新聞が段違いに面白いや!」と思わせた。書評委員の顔ぶれも、選ぶ作品も。
この毎日新聞大独走時代が相当続いた後、最近になって書評委員のトレードなんかもあり(笑)「うーん他紙の書評欄もおいついてきたな。今は甲乙つけがたいや」と感じ始めていたが・・・

それらが丸谷才一の指揮と影響のもとに行われてきたとは知らなんだ。
以下、記録しておきたい
http://mainichi.jp/select/news/20121014k0000m040068000c.html

丸谷さん死去:本紙書評欄に理想注ぐ
毎日新聞 2012年10月13日 21時21分(最終更新 10月13日 21時49分)

 13日死去した丸谷才一さんは、かじ取りを任された毎日新聞の書評欄「今週の本棚」に、イギリスの書評ジャーナリズムに親しんだ青年時代にはぐくんだ「新聞書評の理想」を、惜しみなく注ぎ込んだ。

 「書評はそれ自体、優れた読み物でなければならない」との信念に基づいた紙面作りは「程度の高い案内者が、本の内容を要約して読者への道案内をする」という、新しい書評となって結実した。

 書評の分量を最大で原稿用紙5枚(2000字)に大幅拡充したほか、書評執筆者名を書名や著者名の前に掲げ、各界の一流の書き手が責任をもって本を紹介、評論するスタイルを確立した。この「今週の本棚」は各紙書評欄にも影響を与え、丸谷さんの理想によって、日本の新聞書評全体が革命的な進化を遂げたといえる

 02年には、書評をまとめた本を対象とする初めての賞「毎日書評賞」の創設にかかわった。常に本を愛し、大切に思い続けた作家、文学者だった。【井上卓弥】

丸谷氏自身の、和田誠への感謝の言葉
http://mainichi.jp/feature/news/20120530ddm014070005000c.html

今週の本棚:20年 和田誠さんに感謝=丸谷才一
毎日新聞 2012年05月30日 東京朝刊

 毎日新聞「今週の本棚」の顧問を二十年近くつづけることができたのは、和田誠さんのおかげだった。彼の助けがなかったら、これだけの成功はあり得なかったろう。

 当時編集局長だった斎藤明さんから、「今週の本棚」をすべて任せるからやってくれと言われたとき、一番心配したのは、日本の大新聞の書評欄につきものの、あの辛気くさい、陰惨な感じをどれだけ払拭(ふっしょく)できるかということだった。書評それ自体には自信があった。わたしがイギリス書評から学びつづけ、日本の書評を批判しつづけた長い体験、そしてわたしの評価する筆者たちの力量とわたしの方針に対する理解力をもってすれば、ほとんどすべてが好読物になるに決っている。それは確実だった。

 しかし何しろ新聞三ページにわたる長さだし、書評欄とはこういうものだという日本ジャーナリズムの伝統的な思い込みがある。それを破壊するには大才の協力を必要とする。そこでわたしは和田さんに頼んで、いっしょに「今週の本棚」を作ってもらうことにした。その結果、彼の時代感覚、明るいユーモア、鋭い知性、いや、まず何よりも彼自身が本好きの読書人であるという条件によって、「この3冊」のイラストの、三ページ全体の表紙ともいうべき花やかな効果から、紙面総体の都市的デザインまで、わたしの狙いをしのぐ見事な成果をあげることになった。

 わたしは顧問を引退したが、彼は引きつづき励んでいてくれる。多年の努力と友情に感謝し、今後もどうぞよろしくと挨拶(あいさつ)を送る。<絵・和田誠

この毎日新聞の書評欄は、いくつかの本に収まっている。

そしてこの訃報に際して知ったのだが、丸谷氏の個人書評集はちくま文庫になっているのだね。

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)

これは買っておかないと。ちくま文庫はややお高いが目をつぶって・・・