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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ノーベル賞とは関係なく…司馬遼太郎が40年前に記した「銃・病原菌・鉄」(砂鉄のみち)。しかし・・・

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121008-OYT1T00570.htm

山中・京大教授にノーベル賞…iPS細胞作製


ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まり、記者会見する山中伸弥・京大教授=川崎公太撮影
 スウェーデンカロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル生理学・医学賞を、様々な種類の細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)を作製した京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)と英国のジョン・ガードン博士(79)に贈ると発表した。

 体の細胞を人為的な操作で受精卵のような発生初期の状態に戻すことができることを実証し、再生医療や難病の研究に新たな可能性を開いた点が高く評価された。山中教授は、マウスのiPS細胞作製を報告した2006年8月の論文発表からわずか6年での受賞となった。

 日本のノーベル賞受賞者は、10年の根岸英一・米パデュー大学特別教授、鈴木章北海道大学名誉教授(化学賞)に続いて19人目。生理学・医学賞は1987年の利根川進博士以来、25年ぶり2人目。

おめでとうございます。

そして、なんか恒例化されてもこまるが・・・「日本人は受賞してるが、韓国人は受賞してないだろヤーイ」的な書き込みも見ないではない。まあ、それは逆に「国の単位で見れば偉大な人も愚か者も存在する」という証明にはなるかもしれないが(笑)。
同時に、あちらで「なぜ日本はとれるのか」的な視点、論点ももう少し控えめで良いような気もするけど・・・・。



さて、記事的にノーベル賞とからめるのは単なるキャッチーな見出し作りで、基本的には関係ない。
昨日久々に蔵書整理をして、司馬遼太郎街道をゆく」が出てきたので紹介するのです。てかそういう予定を立てていたら、ノーベル賞というか山中伸弥氏が割り込んできたのだ(笑)

7巻 「大和・壷坂みち」収録の「砂鉄のみち」より。
(現在は改題され「甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみち」となっているようだ)

史的風景から触れたい。
東アジアにおいて、日本地域は鉄器の後進地帯であった。鉄器の到来が遅れたどことか、青銅器時代も持たず、要するにこの島々に住むひとびとは、冶金によって金属をつくって強力な生産力をもつということを知ることなくながい年代をすごした。(略)・・・
中国大陸とのあいだに、信じがたいほどの落差がある。
中国では殷、周のころに既に青銅の技術が、こんにちの技術者でさえ驚嘆するほどにすすんでいたが、殷の末期ごろにはすでに鉄が普及している。・・・日本における普及は、はなはだ降る・・・
(略)・
だからといって日本人がひけめを感ずる必要はないであろう。中国大陸に興って熟した大文明は、ひとつの特徴として、海を渡って島嶼へゆくことをおっくううがったということがある。・・・(略)日本列島は、やや幸いしている。紀元前に稲作を知る民族が渡海してきたし、その後、何世紀か経って、製鉄という古代における最高の技術をもったひとびとが渡ってきて大いに農耕生産をあげ、ついには古墳を築くという土木事業をおこせるまでになった。

(略)
製鉄は、まぎれもなく朝鮮半島から伝わったと思われる。
朝鮮半島の製鉄の歴史は、朝鮮北部地方が中国文明を早くから共有したということと、中央アジアからくる非漢民族の金属文明の影響なども考えられるから、黄河流域の漢民族のそれと同じくらい古かったにちがいない。七世紀の新羅による朝鮮全土の統一までの朝鮮文化の高さは、玄界灘を隔てた日本の島々のそれとは、とうてい比較しがたい。
 
東アジアの製鉄は、ヨーロッパが古代から鉱石によるものだったのに対し、主として砂鉄によった。
砂鉄は、花崗岩石英粗面岩のあるところなら、どこにでもある。問題はそれを溶かす木炭である。
「一に粉鉄、二に木山」(鉄山秘書)
というように、古代に比べて熱効率のいい江戸中期の製鉄法でも、砂鉄から1200貫の鉄を得るのに四千貫の木炭を使った。四千貫の木炭といえば、ひと山をまる裸にするまで
木を伐らねばならない。(略)
砂鉄というのは・・・ほぼ遍在しているといってよく、である以上、鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。樹木が鉄を作るといっていい。
さらに、その社会で鉄が持続して生産されるための用件は、樹木の復元力がさかんであるかどうかである。この点、東アジアにおいて最も遅く製鉄法が入った日本地域は、モンスーン地帯であるために樹木の復元力が、朝鮮や北中国にくらべて、卓越している。
(略、現在の黄河流域や朝鮮半島の森が少ないことを語って)
乾燥した中国内陸部や、鴨緑紅流域をのぞく朝鮮は、いったん森林をほろぼすと、容易に復元できないのである。
この点、梅雨期から夏にかけて高温多湿な日本は、山そのものが多量の水をふくんでいわばスポンジのようになっており、こんにちの強力な土木機械による自然破壊がはじまるまでは、日本では禿山にしようとするほうが至難だといわれてきた。このため上代以来、はるかにのちの石炭を燃料とする溶鉱炉の出現まで、砂鉄によって鉄をつくるのに木炭が不足などということは、全国をおしなべていえばまったくなかったといっていい。・・・(略)
 
明治以前、中国、朝鮮そして日本の鉄之生産量は、それを比較すべき資料があるはずが無いが、もし腰ダメでいえるとすれば、日本はよほど多量に生産していたに相違ない。

ここから大幅に略。韓国の「街道をゆく」取材で、韓国農村に農具の種類がすくないことを見聞、逆に日本では室町から戦国にかけて商品経済、農業生産高が飛躍、非農業者(芸人、武士、商人、馬借など)を食わせ、数奇屋普請や城郭建設が発達したことを紹介。それはすべて「鉄の道具」がなければできないとする。

この時代(室町、戦国期)に勃興した商品経済が江戸時代に引き継がれて日本的充実を見、明治の資本主義の導入を容易にするのである。
これに対し、朝鮮は古代日本に文明をあたえたきらびやかな恩人であったが、しかしいつの時代からか、停滞した。
七世紀の新羅の統一後、中国の制度を導入して古のみを良しとする−−停滞そのものを文明とする−−儒教体制をとり、とくに14世紀末から20世紀初頭までつづいた李朝は、本場の中国以上に精密な儒教国家をつくりあげた。
このことは、鉄器の不足と無縁ではない。鉄器の不足が商品経済をこの国で成立せしめず、農村は原則として自給自足経済を保った。
(略)
朝鮮人は歴史的にも優秀な民族だし、また手工芸においても高い能力をもっていることはいくつもの例で証明できるが、しかしその能力を十部に反映した社会を近世まで持ちえなかった理由の一つは、鉄器の不足にあるといってよく、同時に鉄器の不足が農業生産力を飛躍させず、旺盛な商品経済を成立せしめず、せしめなかったからこそ、李朝500年の儒教国家が揺るがなかったともいえるかもしれない。
このことは、中国のながい停滞を考える場合にも、多少は通用するかもしれない。同時に、裏返せば、日本列島に済むわれわれアジア人が、他のアジア人とちがった歴史と、そしてときに美質でもあり、同時に病根でもあるものを持ってしまったことにもつながっている。要するに、砂鉄がそうさせたことではないか。

以下、ややまわり道をしたい。(※おれまで司馬口調になることないだろ)
「銃・病原菌・鉄」についてである。

以前、自分はこの本を紹介したとき。こう書いた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120214/p3

僕にとっては、実は基本コンセプトは新知見ではなかった。というのが司馬遼太郎が、「鉄」ということに着目して日中韓を比較する論を展開していて「鉄がたくさん有るといろんな農具、工具が開発されて創意工夫、イノベーションへのモチベーションが生まれる。ただ、前近代の鉄生産は薪が必要だ。台風が毎年雨をもたらす島国日本と、中国・朝鮮では森林の回復力が違い、鉄の普及が変わってくる。鉄がないからこそ、現状維持といにしえをとうとび、好奇心をさげすむ儒教思想によって社会が停滞した。日本は鉄があるからこそ、創意工夫と好奇心の風潮を維持できた」と・・・
当事者の中国や朝鮮から見たら異論があるかもだろうが、『鉄の生産』『その鉄のための森林を維持できる気象条件』が文明の差に繋がるという視点は、かつて無条件に朝鮮差別の風潮があったことへのカウンターパンチという部分もあるんでしょうか。
逆に、日中韓知識人の鼎談では「古代に、その鉄を作るための森や砂鉄を探して、半島からわたってきた集団が日本を開拓したのでは」と司馬氏は言い出し、韓国の知識人の機嫌がたいへん良くなったと記憶している。同じことをうまく表現、使い分けてるな彼(笑)

今回は、こう要約した部分を実際に読んでもらった、という次第です。
世界的ベストセラーとなり、2000年代の書籍において「10年間の中で最高の一冊」に選ばれた本と似た視点を、40年前に指摘している作家がいた・・・・・というのも面白い話ではありますが、ただこうやって読み返すと・・・


繰り返しますが、これは今奥付をみると文庫になったのが1979年です。ちょっと今確認できなかったが、雑誌掲載は当然それから数年さかのぼるのだろう。
まだ韓国は朝鮮戦争の傷跡も深く、経済的にも政治的にも多くの問題をかかえていた。上にも書いたが、韓国を無条件で見下す、差別する風潮は現在の何倍も激烈で、しかも普遍的だったろう。


それを打破するという意識を、おそらく司馬は明確にもって、この降雨量の差→ 山の樹木の回復力→ 鉄の生産量 →商品経済と好奇心の刺激 →発展の差・・・という図式を象徴した。
40年前の論なので、その後いろいろと反論、補強論もあって、この見方の妥当性自体を学問的に論争するのは、それはそれでいいんだ。



ただ・・・「銃・病原菌・鉄」もそうなんだが・・・ある国民がある国民に対して「いやいやいや、おたくとうちに差があるのは、べつに民族性の差じゃありませんよ。偶然、鉄がうちではたくさん生産されただけで!!だから差があるだけなんですよ」と言われて、それで理屈はともかく感情的な部分で納得してくれるのかなあ、と(笑)。
そう、これは先天的な民族優劣論などは粉々に吹っ飛ばしてくれるけど、形を変えての、またべつの偏見?も生み出すのではないか。
でもそれは逆にいうと学問的な議論が多かれ少なかれ”不都合な真実”を含む、ということかもしれないし。


実際、司馬遼太郎のこの論に、いろいろ反論する韓国の研究者もあるときく。
それが学問的反論か、怒りを込めたものなのか。

まあ、いろいろと考えさせられますよ。

合わせて読みたい、見たい

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製鉄と歴史について - Togetterまとめ https://togetter.com/li/366702