twitterで教えてもらったのだが、震災時官房長官だった枝野幸男氏が新著でこんなことを書いているそうだ。
エダノンの本読んでて、震災以降の会見ノーカット放送の流れは誤解が少なくなりいい傾向だって言ってて、政治家としては発言を切り貼りされるのを嫌ってる。広く伝えるなら長文インタビュー記事とかが好まれるんだろうな。逆に目立たない議員は明治憲法がどうのとか奇を衒う発言をするようになる。
たぶんこの本のことかな?
- 作者: 枝野幸男
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2012/09/28
- メディア: 単行本
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小生、以前からこういうふうな流れを(いいことも悪いことも含め)「全文革命」と呼んで来ました。
【全文革命とは】
※会見やインタビュー、討論などが、動画送信技術の進歩によりノーカットで中継・放送が行われたり、文字数制限が無いネット経由で全文掲載されること…それがもたらす文化・ジャーナリズム・社会状況の変化(の予測)です。 全文革命 という言葉でこの日記内を検索してもらうと、関連の話題が出てきます
さて。
それとは別に「積ん読」状態だった
- 作者: 土屋賢二
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2001/02/01
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というユーモアコラムをぱらぱらと開いて読んでいた。
そこに「首相になれと言われたら」という一編があり・・・・作者一流の状況設定とそこからの論理展開がある。
たとえばこんな風に
首相には当然、並外れた判断力が必要である。首相は一国の国民の運命を握っているのだ。判断を誤ったら「あっ、ごめん」ではすまない。「自分のほうがうまくやれる」と信じているほとんどの人に聞きたい。一体誰が、自分の結婚を振り返ってみて、自分に判断力があると胸を張れるだろうか。わたしのように胸を晴れるのは少数だろう(わたしは結婚するとき「たぶんうまくいかないだろう」と予測していたのだ)
本題に戻って・・・ちょうど、これが書かれた当時の首相が故・橋本龍太郎であったらしい。
で、首相は大変だ、という話の一例として、当時の橋本首相と記者団(首相番記者)とのやり取りを紹介しているのだが・・・ユーモアコラムとはいえ、ここで事実じゃないことを書いたら意味が無いからソースとして信用してもいいだろう。土屋氏も
「わたしが橋本首相と首相版記者とのやりとりを読んで最初に感じたのは、これは会話としては異常だということだった」と驚いている。
記者 公共事業の中でどこを削るとか、本当の構造改革はむしろこれからという気がするが
橋本 君は中身を知っているの。下水道の伸び率がどうだとか。中身を知ってから物を言いなさい (1997 6/3)
土屋氏の記述も借りよう。
「あのねえ」という表現もよく使う。これは質問が的外れだと思っていることを示すための表現である。それ以外にもしばしば質問を論評し「(その質問は)おしゃれじゃない」「スマートじゃない」「やぼだ」など、美学的表現を使うことが多い。ときには「くだらない」「ポイントがずれている」「何で君に話さなくちゃいけないんだ」「口もききたくない」とまでいらだつことがある
・・・もっと重要な問題になるとまず答えることは無い。ただ、なぜ答えないかという理由を挙げるのが普通である。よく挙げられる理由は「仮定の話には答えない」「報告を受けていない」「担当大臣に聞け」…(略)「君たちはすぐ生臭い話にする」「君たちにはそれしかないのか。他にも(台湾海峡とか米大統領予備選のこと)とかあるだろう」「もういいだろ、答えるのいやになった」「どうしてそういう話になるのか。すごく悲しいよ」「いやだといったらいやだ」
記者 行革推進会議を設置する構想があるようだが
橋本 どこに
記者 そこまではまだのようだが
橋本 だからどこなんだよ。俺は行革会議の議長なんだよ(1997 6/10)
記者 PKOの改正案だが
橋本 君は確か初対面だったよな。初対面でそういうことを聞くというのが信じられない
記者 提出時期についてどう考えているのか
橋本 だからそういうことを君に話すだけの信頼関係があるかどうかだ(1997 4/7)
記者 出生率の低下は相変わらず低水準のようだが
橋本 君はこどもがいるのか
記者 いません
橋本 強制的にこどもをつくれといわれて、つくるか
記者 いえ
橋本 そうだろう。こういうことは国が強制してできることではないんだ。出生率が低水準であることは憂うべきことだが、国としてはどうしようもできない。こういうことは皆で考えていかねばならない。だいたいこどものいないやつがそんな質問するなよ (1997 6/30)
といったやりとりを見て・・・「ハシモト(橋下)の前のハシモト(橋本)だったのだなあ」、とか、「石原慎太郎の前を言ってたなあ」とか、今驚いているんだわ。
で、「いま首相としてこういう会見をしていたら・・・ネットの人気者だったかもしれない」と思ったのであった。
いや、一応彼はIT時代の幕開けには間に合った首相だった。在任期間は1996-1998.
会見記録は、それなりに残っているし、
http://www.kantei.go.jp/jp/hasimotosouri/speech/index.html
公私混同的に首相官邸サイトに自分の写真集まで残した(笑)
http://www.kantei.go.jp/jp/hasimotosouri/photomsg/index-j.html
しかし「2ちゃんねるの開設日は1999年5月30日とする説が有力」(ウィキペディアより)であり、youtubeの会社の設立が2005年2月15日。
上の首相官邸の記録に、土屋氏が記録した会見記録はほとんどがなく(たぶん会見の性質が違うのだろうな、ぶらさがり?)、橋本氏のこういう「毒舌」が今のような経路で伝わり、論評されるようなことは無かったと実際の記憶でも思う。
いま・・・橋下徹も石原慎太郎も、あるいは安倍晋三も若手時代そういうところが多少あったが、竹下登的にあいまいに、そして丁寧に、下手に出て質問者をけむにまくという形ではなく、まっこうからこういう論戦というか批判というかブチキレ、イヤミというか・・・そういうことをして、またそういうやり取りが言い悪いは別にして注目され、人気の源泉になっている、ということがあった。
橋本龍太郎が首相時代、ああいうやり取りが細部まで動画や全テキストの状態でいつでも閲覧可能の状況になり、また受け手の側にもネットが普及、2ちゃんねるや「まとめサイト」があったら・・・そのイヤミぶりが嫌われたかもしれないが、なんとなく自分の予測では「やってくれたぜ龍ちゃん!」「まさに龍神」とかと、人気者になっていたんじゃないかなあ・・・と思ったのでした。
政治家と時代が一致するのも、なかなか難しいものだ。
されど自民党「イヤミ力」の伝統は衰えず。宮沢喜一、石破茂・・・
いま話題のエントリがちょっと関連しているような。
■底抜け海部俊樹
http://d.hatena.ne.jp/Donoso/20121006/1349549483今回このあまりにみみっちいエピソード(※リンク先をお読みください)をきっかけにして、『海部俊樹オーラルヒストリー(上・下)』(政策研究大学院大学、2005年)と『政治とカネ―海部俊樹回顧録』(新潮新書、2010年)を読んだのだが、その身もふたもなさにあっけにとられるような本である。両者の扱うエピソードはほぼ重なっており、いわば後者は前者のダイジェスト版という趣だが、人間関係についての証言の身も蓋もなさ、女性問題についての明け透けさは読み手を困惑させるものがある。
- 作者: 海部俊樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/11
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・・・(首相時代は)「海部さんは一所懸命おやりになっているけれど、なにしろ高校野球の名ピッチャーですからね」と宮澤(喜一:引用者補足)さんに言われて笑われたんですから。経験がない、私[宮澤]のように。それが当時の活字で、一番印象に残ったいやな活字だ。もうこの宮澤という人は――、と思った
まあ、宮沢喜一はイヤミを競技と考えれば・・・ヒクソンというか、イチローというか、カレリンというか。
「金丸さんは、簀巻きにして川に沈んでもらえばいい。山梨には、ちょうどいい釜無川という川がある」「竹下登さんが早稲田にいった時代、商学部に入試ってありましたっけ?」(本人に直接言ったという説も)など伝説になっているイヤミもたくさんある。これぐらいはかわいい。
まあ橋本の系譜とはちょっと違う。
正統継承者はこっち?
ちゃんちゃらおかしいのは、石破茂なんていうのも、当時は一年生か何かで、二年生ぐらいになっておったかな、抵抗勢力だよ…両議員総会でやられたんだからね。・・・(略)…ちょうど橋本龍太郎が参議院選挙に負けたときと同じように、ねちっこ〜い理論を振りまいて、上目遣いでしゃべるんだな。ねちぃっとトリモチでくっついたように、ねばーっとくる。そして、人を内心小馬鹿にしてさ、こんなことがわからないんですか、というニュアンスを持ちながらしゃべるから。同じ派閥は親分に似る・・・
これから幹事長として語るとき、この「ねちっこーーい」しゃべりはネットで、あるいは一般世間で人気を博すだろうか。