より。
先週の週末、レスリングは明治杯全日本選抜選手権が行われた。
今年、2012年は・・・

- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/05/25
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明大レスリング部躍進の原動力となったのは、朝鮮半島からやってきた留学生たちだった。(略)…韓国の留学生たちは強かった。金鐘セキが1937年の全日本選手権ライト級王座を獲得したのをはじめ、黄柄寛と金石永は1939年から40年にかけてのミドル級王座を分け合った。金鐘セキは明治大学レスリング部主将に指名され、1938年に行われたフィリピン遠征の一員にも選ばれている。
しかし米国との戦争に突入した1941年以降、「横文字の運動競技」は風当たりが強まり、文部省の課長まで「レスリングは夷敵(ママ)の遊び」と言ったりし始める。
真珠湾攻撃から4カ月後にあたる1942年春のことだった。
第6代主将の清水礼吉が少尉の軍装で道場に現れ、時の主将である村田恒太郎に「おい!今日から朝鮮人を退部させるぞ」と命じたのだ。
<<理由も言わず、理非も問わずだ。軍部体制の時代であり、これは「命令」であった。・・・在校生である金コクカン、郭東充、金石永らの心中はどのようなものであったのか・・。黙って去る者、道場の隅に俯く者、「お前らの態度が悪いからだ!」と後輩に八ツ当りの鉄拳をあげる者…我々には涙だけで言葉はない。翌日にはひとりもいなくなった。我々には朝鮮人を区別する気持ちは全くない。同じ釜の飯を食った兄弟であり、心を「打倒早大」に燃えて汗を流し合った友人たちである。その彼らが今日、無謀な退部命令で去っていった>>(明治大学レスリング部70年史)
八紘一宇、
大東亜共栄の
内実である。
それでもなお、記録自体は消せないのがスポーツのいいところでもあろう。
戦前、戦中にかけて、名前から見る限りのべ4人の半島出身者が、その名を全日本覇者として刻んでいる。
http://www.japan-wrestling.jp/data/rekidai/AllJapan-F.pdf