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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「総裁は1世だから日本国籍でも大丈夫。だが自分は日本生まれだからこそ…」(「大山倍達の遺言」)

一昨日、発売されたことを知ったばかりの「大山倍達の遺言」途中まで読んでます。

大山倍達の遺言

大山倍達の遺言

関が原前夜や三国志を思わせるような謀略と裏切りと確執が綾なす大ロマンは一面ではじつに興味深いが、その半面で爽快感にまったく欠ける本であり(そりゃそうだ)、読んでいるうちに「どーでもいーわー」「かってにやってろやー」的感情が漂ってくるのは、これはどうしようもない。
読みながらふと思い出したのは、落語協会をめぐる分裂劇を描いた当事者の小説やノンフィクションでした。
御乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち

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小説・落語協団騒動記

小説・落語協団騒動記

ただ、極真空手の騒動を超えて考えさせられる一場面がありました。
(以下、敬称略)

もともと大山倍達の逝去直後に、二代目の極真館長となったのは松井章圭
しかしそれに対して多くの支部長が反対・敵視した理由に「松井は大山総裁の悪口をことあるごとに言っていて、喧嘩も絶えなかった。なぜそんな人間が後継者なのか」というのがあったそうだ。(もっとも「たしかに喧嘩は多かったが、親子喧嘩にしか見えなかった」と証言する人もいる)

そんな意見の中で、松井が大山をこう批判していた、と書かれた文書がある。執筆した高木薫はのちに極真会館を除名された。
以下、「大山倍達からの遺言」より。

松井は故大山総裁に対し、生前も現在も「裏切り者」呼ばわりをしています。これは大山総裁が国籍を韓国から日本へと移し、しかも大会等では「君が代」のもとに平伏していることに対する非難です」(※高木が除名されたときに関係者に送った文書)
 
松井が大山から、帰化を勧められていたのは事実であり、松井は最後まで首を横に振らなかった。
 
帰化と言っても書類上のことであって、それで国を思う気持ちまで変わるものではない。日本で暮らす以上、日本国籍を取得したほうが便利だから帰化するのだ」と、大山がどんなに説得しても、松井は聞く耳を持たなかった。(略)松井の頑な気持ちが反発心となって公の場で表面化してしまう・・・(略)もちろん、松井が頑として帰化を受け入れなかったのには理由がある。
 
総裁から何度も帰化を勧められました。でも、私は、それは絶対にできないと断り続けました。なぜなら、国籍こそが私の韓国人としてのアイデンティティーだからです。総裁は韓国で生まれ、幼少期を韓国で過ごしています。韓国人として母国・韓国で生きた経験のある総裁には、どんなに日本での生活が長くなろうと、また国籍を変えようと、韓国人の誇りを持ち続けることは、ある面たやすいことだったと思います。でも私は違います。韓国人でありながら、日本で生まれ育ち、日本語しか話せない私にとって、国籍がイコール、アイデンティティであり、韓国人としての誇りを持ち続けている証明なのです

この松井の言葉は、少なくとも地球上の国家が一義的に想定していたものとは異なる部分がある。だからこそ、考えさせられる。
一世は、文化的にも、出身国家への忠誠心から考えても、現在生活する国家の国籍をとらないでも仕方ない。だが二世、三世となっていけば、文化的にも忠誠的にも生まれ育った現在の国の国籍をとるのが自然であり、むしろそうなっていくべきだ・・・というのが、移民問題で揺れる欧州などでも、移民国家米国でも基本的な考えだったろう。てか出生地主義で、そこで生まれたらその国の国籍を得られる国も多いわけだしね。

ちなみに上で書いた「国家への忠誠」というのは精神論などではなく、正式な法的手続きに組み込まれた概念となっている国もあるようです。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080421/p4
から再引用

「私は、今日ここに誓います。これまで属していた国への忠誠をすべて放棄することを、そしてこのアメリカ合衆国に、あらゆる忠誠と忠節を尽くすことを−−。アメリカの法と秩序を守り、必要とあればアメリカのため、武器をもって戦うことを……」
わずか2分ほどの宣誓文であった。そしてこの瞬間彼らは法的に「アメリカ人」となった。
裁判長からの祝辞である。
「おめでとう。私は、皆さんを仲間のひとりとして心から歓迎します。今皆さんは、以前住んでいた国への忠誠を放棄すると誓いました。そして、このアメリカへの忠誠を誓いましたね。この誓いは厳粛なものです。皆さんは、以前いた国では、けっして幸せではなかったかもしれません。しかし国家への忠誠を怠れば、このアメリカでも同じなのだということを忘れてはいけません・・・・・」

たとえば日本では、憲法上の「良心の自由」と抵触したりしないのだろうか?という疑念も浮かんでこないではないが、そうするとそもそも「宣誓する」「誓う」ということを法律で命じる、といった話にまでつながるのでそのへんは省略。
ちなみに、今 日本 帰化 忠誠 などで検索したら

帰化要件に国旗・国歌・国家への忠誠宣誓を課せるか
http://togetter.com/li/97330

があった。
そもそも、上の話を前提にすると、大山の「帰化と言っても書類上のことであって、それで国を思う気持ちまで変わるものではない」という言葉や態度(しかもそれを根拠に他人にも薦める)が正しいのかどうなのか、という話もある。これは「オリンピックに出るために国籍を変える」という話にも通じるよな。個人的にはこれは「人による」としか言いようが無いと思うが、2012年に、日本からカンボジアに国籍を移そうとした人に「ならカンボジアに忠誠を誓い、カンボジアで生活するんだな?そうでないとカンボジアに失礼」という、”カンボジア側に立った”善意?の声があったことも記録する価値はあるだろう(逆に、大山氏の論理が肯定されるならこちらも肯定されよう)。
いま思い出して、自分のこの文章読み直したらちょっと笑った(笑)

石井慧、米国帰順を目指し柔道復帰か?「天皇の為の柔道は捨てた。わが柔道は共和国を守るためにあり」(※とは言ってません)http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110420/p4


まあ、もともと大山倍達力道山といった人々は、そもそもがスケールの外れまくった(=整合性のまるでない)とんでもない個性があり、国籍やアイデンティティの考え方について矛盾や論理的不整合があっても、それは「まあリキドーゼンだから」「まあマス大山だから」という回答のほうが正解というか実情に即している、という部分も無くはない気がする(笑)。いわゆる「素人にはお勧めできない」というやつだ。

そういえば一例として、K-1で活躍したバダ・ハリは数年前、国籍を生まれ育ったオランダから、モロッコに変更したというニュースが流れたことがあった。たぶん国としてはオランダの方が、たとえばパスポートの使い勝手にしても「便利・快適」であり、たぶんこれはアイデンティティーの問題の一環としての国籍変更だったのだろう。


とまれ、本題にもう一度戻る。
そんなふうに国籍を巡っては意見が対立し
帰化と言っても書類上のことで、国を思う気持ちは変わらない」
「裏切り者」
といった内容の、それはそれで問題視されるような発言をお互いにしていた大山・松井だが、それでもコリアンとしての親しみや相互理解は変わらなかったとおぼしい。
もともと松井は空手の実績自体が当時ぬきんでていたのだが、それだけではない目のかけられ方だ、と感じていた人もいるようだ。



松井は、こういう言葉を先輩から言われたという。

松井、よく聞け。お前は一般社会では差別されているけど、空手界では特権階級なんだ。それをお前は忘れてはいけない

 
ただし、これだけこじれた問題だと、対立する相手に差別者的イメージを与えることが効果的な攻撃だという思惑を持つものもいるだろう。「裏切り者”呼ばわりした”」や「お前は特権階級”呼ばわりした”」という証言も、そういう思惑があるか、ないか、その危険性はある。特に同書では全体的なニュアンスとして「松井後継は正統なものだった」という着地点を感じさせる部分もある、それがひとつのバイアスになっているのではないか、という留保を付けながら読むことも必要だろう。/だが、著者は少なくとも松井に対しては直接なんども話が聴ける良好な関係のようなので、最低限でも松井章圭が自身のアイデンティティーに関わる心境を語る部分については、そのまま素直に受け取って、思索の材料にできるとは思う。