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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

半身不随の上田馬之助が、ファンから言われた言葉とは?(読売新聞の追悼記事から)

最近、いくつかの大新聞は月末や月初めに、訃報が報じられた有名人の業績・逸話をあらためて論じるコーナーを設けている。読売新聞は2月6日(※夕刊だと4日付に掲載との情報もあり)の「追悼抄」で、上田馬之助を紹介したが、そこで晩年の事故と闘病生活(リハビリ)についても触れている。

1996年3月、トラックに追突された。頚椎を負傷し、胸から下が完全にマヒした。感覚の残る両腕を激痛が走り、冷暖房の風が当たっても痛む。曲がったままの指のつめが伸びて手のひらに食い込んだ。あまりのつらさに、病院の階上から「車椅子ごと落としてくれ」と妻の恵美子さんに訴えたこともあった。

だが、不屈のリハビリによって車いすを自分で動かすことが出来るぐらいに回復(晩年の動きは、本当に奇跡的なものだった)。
そして、そうできるようになると、上田は講演で「交通事故の怖さを訴える」「同じような障害を持つ人を励ます」ボランティアに取り組むようになった(!)


だが、あるとき大阪でその講演をしていたところ……。

一人の老人から突然ののしられたことがある。
「悪いことばかりしたからそんな風になったんだ」。

・・・・いや、いかに上田がお茶の間を震撼させた大悪役であったとしても、車いすの人間に対しては心無い暴言、礼や惻隠の情を欠いたヘイトスピーチであることは間違いない。
ただ…俺が言う資格も無いが…このお年寄りは
「プロレスに免じて許してやって」ほしいのである。

奥さんの恵美子さんは、その場に付き添っていた。
夫を本当の悪人と思い込んでいた。昔の人は今より真剣にプロレスを見ていた。裕司さん(馬之助の本名)は内心では喜んでいた気がする

この追悼記事に
添えられた写真は、おなじみの表情。
『カメラマンが写真を撮ろうとすると、頼む前に唇をゆがめ、穏やかだった表情が一変、憎々しい顔になった』・・・

堀江ガンツ氏のツイートより

https://twitter.com/#!/horie_gantz

horie_gantz 堀江ガンツ
上田馬之助の奥さん曰く、馬之助が亡くなったときも、東日本大震災があったときも、真っ先に連絡をくれたのはタイガー・ジェット・シンだったとのこと。亡くなったあとは、涙声の電話だったとか。シン&上田、悪の絆は永遠だな。ほとんど『キン肉マン』の「悪魔にも友情はあるんだ!」の世界。
 
上田馬之助は亡くなる前夜、自分の死期を悟ったかのように、15年以上に渡り昼夜を問わぬ自宅介護を続けてくれた奥さんに対し「“上田病院”で暮らせて幸せだった。ありがとう」という言葉を残したという。胸下不随で激痛に耐えるだけの日々を「幸せだった」と言えるとは、なんたる夫婦愛! 泣ける

亡くなる前に「上田病院に入院できて…」と語ったという話を、夫人は読売新聞でも語っている。
タイガーの話も、泣かせる。
だが、そのシンは大晦日には上田を象徴する竹刀を持ち出して、アントニオ猪木と(グダグダな)小芝居を展開…涙の電話も、上田を「ギミック」にしての猪木との小芝居も、ともに真。これも、また、プロレス…

【追記】過去記事紹介

このエントリを読んでくれる方が多い(元の読売記事の力ですが)ので、この機会を生かして、過去の上田馬之助紹介記事(元はある後輩レスラーのブログ)も読んでいただければ。

上田馬之助、不良の喧嘩に出くわし…あるレスラーが思い出語る
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111228/p3

…ある日、公園で集団の喧嘩をボコボコと派手にくりひろげていたとき「こおらあああっ!!クソガキどもぉ!!なにやってんだああ。」と遠くから全力疾走で走ってくる
金髪の大男!!
(後略)