そうだ、今思い出したので収録しておきたい。さっきhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120119/p2を書いた「オールラウンダー廻」作者の・遠藤浩輝氏とtwitter上で交わせた会話だった。
そうだ、まとめようとした直後に、当時のパソコンが壊れたんだっけ…
ある方が、氏の短編集に関連してこういうツイートをした。そこから始まる。
遠藤氏のツイートは太字に、あと自分が字数の関係で削った表現を復活させたり、連続ツイートをまとめたりした。
shiraki_chika 白木知佳
@hiroki_endo 締め切りまで11時間。またも『神様なんて信じていない僕らのために』を読み返す。もう大好き。フォローさせていただきます。そして大人しく仕事に戻ります。hiroki_endo 遠藤 浩輝
@ 私が26、7の頃ですわ、描いたの。15年も前か。長い間読んでくれてありがとう。m(._.)m RT @shiraki_chika
12月12日 お気に入りに登録 リツイート 返信shiraki_chika 白木知佳
@ @hiroki_endo なんとそうでしたか。初めて読ませて頂いたのが大学四年。地元で演劇をやっていたときでした。衝撃が大きく「もうこの短編と生きてく」と周りに吹聴したのを覚えています。それから東京に出てきて自分は今28歳・・・。先生がお描きになられた年齢を超えていたのか・・・。今号執筆お疲れ様でした。/いつか伺ってみたかったので、今@shiraki_chika さんが話題にした機会にお尋ねします。素人読者的には『神様なんて~』のような劇中劇を描くというのは、劇団の話と劇のストーリー両方があるから二度手間、というか、勿体無いというか・・・。
例えば劇部分をそのまま漫画にも出来ますよね?創作家が「劇中劇」って手段を取ろう!と思うのはどんな時ですか?というのと、例えばあれは劇部分の物語と劇団人間模様と、どちらが先に構想にあったのでしょう? @hiroki_endo @shiraki_chika
他の方をおいてけぼりにしたかな。
内の一編の話です。内容は例えばhttp://t.co/0PiR5USZ である程度分かるかも。
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(※そこから抜粋します)「神様なんて信じていない僕らのために」。大学の劇団サークルの話。さまざまな人間模様をおりまぜながら劇中劇でテーマを語る。今回は劇団員たちのドラマにまで触れている余裕はないので、劇のテーマだけを見てみたい。
ここに生まれてこのかた「誰からも愛されなかった男」がいる。彼は立派な連続猟奇殺人鬼となり・・・(後略)
posted at 19:40:07hiroki_endo 遠藤 浩輝
@ @gryphonjapanさんの質問にお答えしますと、当時の身近なネタで、軽い短編を描こうと思ったんです。で、演劇サークルの話になったと。基本ラインはサークル内の爛れた(笑)人間関係を描こうと。劇中劇は途中から差し込みました。
実際はあんな動きの無い芝居はウケませんけどマンガだからいいかと。勿体ないか?に対しては、ビートルズのWe Can Work It Outという曲みたくうまく出来なかったメロディー二つを無理矢理くっつけたら格好良かった、というノリでした。RT @gryphonjapanなるほどなあ。面白いなあ。自分は「ラ・マンチャの男」が単純なドンキホーテ劇でなく「獄中のセルバンテスが、囚人相手に即興のドンキホーテを演じる」、とアレンジしたのを見て以来、劇中劇に何か心動かされるものがあります @hiroki_endo @shiraki_chika
hiroki_endo 遠藤 浩輝
@ 「ラ・マンチャ〜」は「コーラスライン」みたいな、演劇そのものが自意識を持った結果の作品ですかね。映画でいうゴダールやフェリーニの様な。私は漫画が「漫画とは?物語とは?」みたくなるのは、つげ作品でもう充分なので(笑)。RT @gryphonjapan @shiraki_chikashiraki_chika 白木知佳
@ @hiroki_endo @gryphonjapan うわーそうだったのですか。大好きな作品のことを知れて大変嬉しいです。ありがとうございました!当時演助(雑用)だった私は「本番終わったんだし演出殺そうよ」に深く頷いてました(笑)。原稿、お疲れ様でした!お身体に気をつけて!
12月12日 お気に入りに登録 リツイート 返信
自分のツイートに出てきた「ラ・マンチャの男」は、そうだ冒頭も、街頭で教皇等を皮肉った風刺劇をしていたセルバンテスが牢屋にぶちこまれるシーンで始まったんだっけ。そこから、牢獄で他の囚人に促されての、あり合わせの衣装や小道具による即興劇となる。
ここの3分45秒あたりから見てもらうといい。
舞台の幕を開けますぞ!
私が扮する、ある男と共に、どうかひととき夢まぼろしの世界へ。
男の名は、アロンソ・キハーニャ。ある村の、やせっぽちのご隠居様だ。
楽しみは朝から晩まで本を読むこと。しかし、読みふけるうちに腹が立つ。
何とこの世は、悪に満ちていることか。
そしてこのご老人、世にもとっぴな思いつき。
自ら世界を旅し、あらゆる悪を糺そうというのだ。
もはや彼は、アロンソではない。
その名も高き・・・・・・・・ラ・マンチャのドン・キホーテ!!!
(拙訳。その次のキホーテ&パンチョの歌も合わせて試訳しています。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061013/p5 )
「神様なんて信じていない僕らのために」(遠藤浩輝短編集1)
遠藤氏の「神様なんて信じていない僕らのために」は、先ほども紹介した
http://www9.plala.or.jp/kamakura_yukky/sakigake/seminar1/endo.htm
以上の評論も書けないけど、
ただ、劇中劇パートは、死刑執行の停止に至っている今読むとさらに興味深いのではないか。
「加害者が、被害者を殺す」「その加害者には、虐待されるなどの背景がある」「加害者は、精神病院にも入院歴がある」「犯人は死刑判決を受けた」「被害者には姉がおり、姉は加害者を強烈に憎み死刑を待ち望んでいる」
…これらそれぞれが、それぞれに関して、究極的には何も影響を与えることができない!という、奇妙な空虚さ。劇中劇では、それを解説していたナレーターが、突然被害者の幽霊に扮して登場。しかも、「幽霊になった被害者は魂が解脱しており、加害者をぜんぜん恨んでいない。被害者の姉が『私の立場はどうなるのよ』と困惑する」という、二重三重の皮肉が。
菊池寛の小説にもあったかもしれない。
こっちは「被害者はずっと恨みをもって成仏できないのに、加害者はその後死刑囚となったものの、処刑前に悔い改めたのでそのまま天国(極楽浄土?)に行く」という、宗教的には正しいかもしれんが実も蓋もない話だったような(笑)。
それはともかく、「被害者の霊」は出てくるものの、基本的に加害者も被害者(の身内)も無神論、それも平均の現代日本人的無神論者だ。(・・・だから表題も「神様なんて信じていない”僕ら”のために」なのだろう。
そういう神なき世界の人々にとって、死(殺す)とはなんだろうか?例えばそれは救いになるのか?復讐で気が晴れるのか?
……という部分も考えさせられる。
今思うと、こういう重厚なドラマがあるからこそ自分は「この劇部分だけで、そのまま一編の作品を描けたんじゃないか?もったいない」と思ったのかもしれない。
劇中劇の、劇団員
劇団の中のわいわいがやがや、ついでにドロドロ(笑)の部分だけど
ウィキペディアの「遠藤浩輝」
でも「大学では演劇サークルに所属していた」とある。もともと上のツイートのきっかけとなった方も、自分の経験と合わせて「深く頷いていた」そうなので、そういう部分の描写も細部のリアリティがあるのだろう。
面白い同氏のツイートが、独立してあった。
hiroki_endo 遠藤 浩輝
「恋の罪」観た。「愛のむきだし」の時も思ったけど、やっぱ園子温、俺はダメだわ。なんで登場人物が皆自分の心情をべらべら台詞で喋った後に高笑いするの?学生演劇かよ? テーマも「サウダーヂ」観た後だけに、凄く「遅れてる」気がする。
1月4日 お気に入りに登録 リツイート 返信
甲子園とプロ野球を比べるべくもないし、それぞれにファンがあるようなものだろうけど「学生演劇」の良さ、悪さを知った上で、ある映画の欠点を「学生演劇」的だと評しているのだろう。
ただ漫画に戻ると、ここは劇中劇を描く強みで。
凶悪犯人をやっている役どころの男が、素の実像は…や、被害者の姉役の人は実生活でも…といった、リョートなみの「虚実」があるから、逆に想像が膨らむ。こういう描写を読むと「うむ!やはりこの作品は、劇中劇でなければならなかった!!」とか思うから、われながら単純だね(笑)。
ちなみに、2012年の今の視点で見ると「あ、この子は神谷真希(マキちゃん)のプロトタイプだ」と思わせる人もいる。その相方?の主人公が廻君の原型かはちょっと読みきれないけど、こういうエンドの仕方に、廻クンもなるんですかね(笑)。
この本は昨年春に増刷されている
から、お求めやすいかもしれない。「オールラウンダー廻」に人気が無ければ有り得ないだろうから、同作1巻の重版ぶりとも合わせて、人気の安定ぶりをうかがわせる挿話である。
自分のtwitterに残っているけど、
劇団が舞台の話、あの劇中劇にはものすごい緊迫感がありました・・・楽屋や打ち上げのユーモアとも相まって T @hiroki_endo すんなわきで、「遠藤浩輝短編集」1、2巻、何年ぶりかの増刷です。ビックリ。
遠藤氏のつぶやきは3月4日、自分のレスは6日だった・・・当然、その1週間後に何が起きるかは、誰もわかるわけは無い・・・。みんなそうだけど、あの前後に書いたものを読むとなんか感じるものがあるなあ。
他の「劇中劇」漫画
「ガラスの仮面」「アクター」「デラシネマ」などに劇中劇が登場するのは当然ではある。「ガラスの仮面」は、あまりの長期連載ゆえに他の短編漫画をかけないフラストレーションがたまった作者が、ネタの有効利用とストレス解消のためにオリジナルの劇中劇をかなり加えている、とも聞く。
手塚治虫「火の鳥 羽衣編」は舞台中継のような描きかたをして印象に残っているけど、これは楽屋裏が出てこないから、むしろ一方向からの「カメラアングル」を固定するという実験、冒険に関しての意味があるのだろう。(これはこれで、「廻」のような格闘技漫画と比較すると面白いかもしれない)。
最後に思い出すのは藤子・F・不二雄の短編「気楽に殺ろうよ」。
これはパラレルワールドか何か?で、とある2つの常識が完全にひっくりかえった世界を描く作品だが、今の日本の常識世界から迷い込んだ?人が、精神異常扱いをされて精神科医の治療を受ける。その際、治療の医師が、迷い込んだ人に合わせて「こっちの常識(今の日本のとは正反対の…ああややこしい)をいったん捨てましょう。そうだ!われわれは火星人になりましょう(演じましょう)。見るもの聞くもの、すべてが珍しい、火星人になったつもりで”こっち”の常識でおかしいと思うことを指摘してください」というくだりが有る。
あれも一種の、俺が感じる「劇中劇」の要素をふんだんに持った作品だったな・・・
気楽に殺ろうよ: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 2 (2) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
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