ブログの日付的には一日遅れてしまったのだが、昨日は真珠湾攻撃、ジョン・レノン射殺の日であると同時に
http://rekiroku.jp/events/429
【1963年12月08日 力道山刺される】
力道山の横を通り掛った加害者に、力道山が「足を踏まれた」と襟首をつかんだが加害者は踏んでいなかったので口論となる。この時、加害者が懐中に手をやったため、それを見た力道山が和解を求めるが加害者は拒否。和解を諦めた力道山が加害者に激しく暴行を加えたたため、彼は「殺される」と思い、ナイフを抜いて下から左下腹部を刺した。1週間後腹膜炎による腸閉塞も相俟って力道山は死去した。
の日でもある。
一連の経緯は、伝説をたっぷりと含みつつ、またその逆に、重要な事実を削除しつつ「プロレススーパースター列伝」で描写されているのでご参照されたい。
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それとは別に。既に紹介済みではあるが、
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http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-1183.html
でも紹介されている、力道山vs木村政彦をめぐる言論を、社会学的に論じた箇所も面白いのだが(この本は、増田俊也の書より先に刊行されている)、二番煎じになるので別の箇所を。
鬱屈した日本人の「鬱憤を晴ら」すためにプロレスが「導火線」の役割を果たしたのと同時に、非現実的な出来事を起こしてしまう「英雄」がアメリカへの憧れとともに、多感な子どもたちの意識を構築する「導火線」となった…(略)
つまり、アメリカに対するコンプレックスを解消することからナショナリズムを構築しようとするのではなく、力道山と言う日本人の身体に「アメリカという存在に対する憧れ」を組み込むことによって、ナショナリズムを構築しようとしているのである。(1章)
力道山の生活は、テレビのホームドラマの中にあるアメリカのようであった…力道山はアメリカを模倣しつつ、当時の一般的な日本人が手にすることができない、「アメリカ」や「豊かな社会」を暮らし……戦後間もなくの力道山もアメリカ的な豊かさを有していた。そして、高度成長期においても、アメリカ的豊かさを先取りして身にまとう。
(4章)
1章は敗戦後間もなく、4章は力道山の早すぎる晩年の周辺を論じている。
これは当時の人は自然と実感していたのかもしれないけど、「列伝」で力道山を知ったような後体験のプロレスファンには、ちょっと気づかない意味合いかもしれない。
この時期の日本は、おそらく日々「暮らしが豊かになっていくなあ」「食えるようになったなあ」との実感を持ち、娯楽もそれに応じて増えていく時代だったはずだ。だから素晴らしい---でもなく、そういう時代よりもはじめっから豊かなほうがいいけど(笑)、そこでの「アメリカ観」はまた違ってくるはずだ。
一方、そういえば思い出したけど、この前紹介した
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おっと、この話を2004年に書いてたな。ブログ初年度に書いた記事はけっこう忘れている(笑)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040501
力道山は、3つの国のイメージやアイデンティティが絡まった、複雑な多面体であったのだろう。