http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari/archives/51733208.html
タイトルについて、なぜこんなタイトルなのかとよく聞かれます。
雑誌での連載を読んでいただいた読者の方はもちろん御存じだが、あらためていま、ここに説明したほうがいいと思いました。
このタイトルの元になった、そして私が取材を始めるきっかけになった猪瀬直樹先生の「枯れない『殺意』について」(週刊文春連載コラム「ニュースの考古学」)の全文が、以下です。
「『枯れない殺意』について」全文
猪瀬直樹
(「週刊文春」1993年5月6・13日合併号)《誰でも小さな挫折を繰り返しては開き直っていく。受験や就職や昇進など、一、二度失敗しても取り返しがきくし、人生の一部であってすべてではない。
では、もはや立ち直れないほどの打撃をこうむり人生の敗者として屈辱にまみれたら……。しかもそれが騙し討ちによるものであったらどうするか。
「そいつを殺すつもりだった」
ある人物が、僕にそう打ち明けた。
眼の前に、抱いた殺意を隠そうとしない老人が坐っていた。
*
元柔道日本一の木村政彦が死んだ。七十五歳だった。ニュースを耳にして、あらためて憶い出した。・・・(後略)
最初に紹介したこのリンクでは、全文が読めます!
http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari/archives/51733208.html
1993年か。そうだ、UFCでグレイシーが衝撃的な登場を見せる数ヶ月前の死だったのだ。
自分はこれを掲載直後の雑誌で読んで、木村の執念か、それともそれが死によって「歴史」となった感慨か、それとも迫力のある筆致か・・・とにかくぞくぞくし、コピーをとったことを覚えている。
猪瀬直樹の、週刊誌2ページの短いコラムが、長い年月の後、増田俊也の大長編ノンフィクションを産む。書き手同士の、羨ましくも恐ろしくもある応酬。
- 作者: 増田俊也
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/09/30
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