最新号のSAPIOから。
小林よしのりと有本香(?知らん人だ)の対談集「はじめての支那論」が幻冬舎新書で出ることになったが、その広告を毎日新聞だけが拒否した、という。朝日新聞は簡単にOKが出たとか。
(SAPIO「ゴーマニズム宣言」欄外57、58ページ)
へえ。
というのは、呉智英が毎日新聞夕刊で2002年に執筆したコラムでは認められていたので意外だったのだ。
同コラムは「犬儒派だもの」に収録済み
- 作者: 呉智英
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2006/03
- メディア: 文庫
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:無名草子さん:03/04/02 23:40
『犬儒派だもの』を読んだ人は最後に載っていた毎日新聞の連載をどう 感じたであろうか。章の前書きに非常に人気が高かったとかかれているが、おそらく熱心な呉智英ファンにとっては地味な印象だったのではないか。
いつもの夫子の持論が多いからである。しかしこの連載の意義は小さくない。全国紙に堂々と支那というキーワードが使われたからである。
連載第2回のタイトルは「支那」。この記事には、単行本では省かれているが次のような注記がついていた(2002年1月28日付毎日夕刊)。
「毎日新聞は『支那』の表現を原則として使用していません。しかし、呼称論争があることを考慮し、当コラムでは筆者の意向を尊重しました」
これまでの夫子の支那使用をめぐる苦闘をご存知の皆さんはこれがどんなに画期的なことかよくわかるだろう。たとえば保守的なポーズをとる産経新聞が朝日以上に支那を無条件でダメというのだ。
同じ新聞社でも週刊誌ならば少々規制はゆるい。しかし本紙は規制が最も厳しいのだ。そしてこの画期的な変革をなしとげたのが岸俊光記者(毎日新聞 論壇担当)なのである。(つづく)
382 :380=あああ:03/04/02 23:52
実は連載時に感銘を受けた俺はすでにマスコミ板の毎日新聞スレに画期的なことだ、と書き込んでおいた。ところが、「支那が使えないのが異常だったのだ」というような醒めた返事しか返ってこなかったのだ。
冗談じゃない。
「これまでが異常」などといえば世の中が変わるわけじゃないのだ。会社組織の中でこれを実現するためには、上司を説得するなど相当なエネルギーを必要としたはずだ。どうしても呉智英の文章を載せたい、という考えがなければそもそもそんなエネルギーが生まれるわけがない。連載19回には「エタ」という言葉も載せている。これも画期的なことだ。
「プロジェクトX」にしたいくらいだ。(後略)