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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

I選手自殺の報道を受けて再度考えた…「WHO勧告による自殺報道の自粛は『科学が理念の上に立つ』ということ」

自分のtwitterで展開した議論を再録。
うーんどうしようかな。リライトして普通の文章にしてもいいし、このままtwitterの字数に合わせてぶつ切りした文章も独特のリズムがあるんだが・・・

伊良部氏のご冥福をお祈りします/その一方で、例のWHOの勧告に基づく、自殺報道における各種の自粛は守られているかな?
 

さっきつぶやいた自殺報道の話、せっかくだからもう少し考えてみる。まず前提
http://t.co/F3qJtBb  
http://t.co/hmQGSTo など


まずちょっとした疑問。WHO勧告は2000年。これほどのネットメディアの隆盛は予測不可能だったろうし、規制は物理的にむりだと思うが、例えば大手メディアが自粛しても、例えば有名I選手の自殺についてtwitterのTLがそれ一色で染まったら、結果的にそれが自殺を誘発しないか?


我々ひとりひとりのつぶやきやブログ、フェイスブックも http://t.co/F3qJtBb の方針に従わないと自殺者をどこかで生むかもしれないのか?それともWHOの知見は大メディアの話で、個々人のネットは問題ないか?(これは善悪では無く「科学」の話)


ここから話題を変換。http://t.co/F3qJtBb の/手段の詳細を/理由の単純化/美化やセンセーショナル報道/宗教的、文化的固定観念…を避ける、などはまずもって、その報道が良いか悪いかを論じる前に「この逆をすると事実として後追いの自殺者が増えるよ」という科学の分野。


ただ本来でいうなら・・・NYタイムズが掲げるモットーは「"All the News That's Fit to Print(印刷に値する全ニュース)」だという。実際に、I選手の遺書等が今後見つかったら、それが興味深かったり社会問題に繋がったり、本来ならニュース価値が存在するってこともあり得ると思う


そうだ、これも具体的にいうと影響があるかもしれないが・・・原発被害に絶望した畜産農家が、壁に最後の言葉を残し自殺したいたましい事件があり、直接縁の無い私も涙を禁じ得ず、またあれで深く原発の是非を考えた人もいたと思う。壁に書かれた文面は、各社が詳しく報じた。


だが、http://t.co/F3qJtBb の「写真や遺書を公表しない」を厳密に受け取るなら、あそこで畜産農家の最後のメッセージが報じられ、それで自らの自殺を後押しされた人もいるのではないか?


また、「美化やセンセーショナルな報道を避ける」について・・・また例示が影響を与えるかもしれないが、中東ジャスミン革命の切っ掛けは某国における某青年の、抗議の意味を込めたXX自殺(手段について描写を避けた)だったとされる。他にも特にアジアで過去、抗議手段としての政治的自殺は多かった


私は・・・正直に言って、自分がこれをできるかと言ったらできないだろうと思いつつも、そういう政治的抗議の自殺について、何例かには、いくばくかの「感動」を持っていることを否定できない。もちろん、詳細を報道や歴史書で知っているからだ。


しかしこれも、幸い鬱などが無いからで、そういう症状がある人にとっては、その種の政治的抗議自殺の報道や歴史書が「俺も・・・」的な後押しをする可能性はあるのではないか。(ここも科学の分野)


・・・・てな例を並べた上で、個人的意見としてはなお報道は http://t.co/F3qJtBb をほぼ全面的に受け入れていいと思う。それはこれが政治、思想ではなく「科学」…甘い物食べて歯を磨かないと虫歯になるよ、と同じレベルで「こう報道すると後追い自殺出るよ」という話だから。


自分は、さっきの遺書の例や歴史書の例を含めて「そこにはニュース価値があるんじゃないか?」というのは思想・政治で、「ああ報じると後追い自殺者が増えるよ」は科学、だと思っている。本当は都合が悪い。できれば「報道や評論、ネットのつぶやきで他人の自殺の増減が影響されるわけがない」と・・・

と、いう結論が科学的にも出て欲しい。それが「自由な報道」「言論・表現の自由」という民主主義の価値観にそった科学だからだ。しかし科学だからそーはいかない。今の所はほぼ定説として、「報道のしかたによって後追い自殺が増える」が有力説。


つまり、「後追い自殺を防ぐために報道はこうしなさい」つうこれhttp://t.co/F3qJtBbは、「科学が理念・思想・政治を屈服させた」一例だと思っています。そう位置づけると分かりやすいと思う次第。


参考 QT @NaokiTakahashi 「倫理的にも問題の多いところの人種概念が科学において否定されたのは「たまたま」の一致だ。偶然だ・・・言語の問題について同じことが起こるという保障は一切ないという話をしている。そう信じているんだとしたら、それはただの無根拠な信仰だよ」


参考 @NaokiTakahashi  「もみ消したって事実はなくならないんだから。教会に都合が悪くても地球は回ってるし、スターリンやルイセンコに都合が悪くても獲得形質は遺伝しない。否定しても事実は変えられない。「事実であればそう認めた上で社会的に補正する方法を考える」のが正解」


というのが、「自殺事例報道の制限論」と「科学が思想・理念・政治の上に立つ」という話を関連付けて、以前から思っていたことでした。本日ある有名人の自殺の報道や、新聞に自殺対策に取り組む人のインタビューが載ったのを機会に。


最後に。別にWHOがそう報告してる訳ではないが、こうやって自殺に関してツイートすることが、境界にいる人を自殺に追い込むおそれがあるかもしれない(※根拠は確認してません)。

こういう場合、支援機関の連絡先を書くと効果がある、との説も聞くので最後にhttp://t.co/cQGl8Yk