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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ずっとウソだった」へのいきものがかりの批判をめぐって

いま話題になっているtogetterがありマス。

いきものがかり水野良樹さん「俺は斉藤和義さんの音楽が大好きだけど、「ずっとウソだった」は大嫌いだよ。」
http://togetter.com/li/121705
斉藤和義氏「ずっとウソだった」に対する,いきものがかり水野良樹リーダーの意見
http://togetter.com/li/122633

さて、まず最初に余談を言うけど、「水野良樹」「斉藤和義」のお二人、この機会にわたくしはじめて存在を知りました(笑)
前提となる

は、自分の持ち歌の替え歌らしく、そういわれればどこかでメロディラインを聴いたような気もするが……まあそんな感じ。
いきものがかりは「青春ライン」「エール」、あと「ゲゲゲの女房」の3曲を知っているんだから自分も相当ないきもの通ではあるが、歌ってる女性のほかに、こんな黒幕がいたんだねえ。どこに隠れていたんだ。
二人の経歴は、あとで調べますよ。
エールは、「小田原城のウメ子さん」追悼映像を作ったときの曲に使わせてもらったっけ。

 
 
自分がこの話題を知ったエントリは、
■ありがとうって伝えたくて
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20110409
なのですが、ここにつけたコメント。これの短縮版を、上紹介のふたつめのtogetterへのはてなブックマークコメントにしました。

gryphon 2011/04/11 21:53 私は町山氏の、このチャップリン「独裁者」論を思い出しました
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040814
実は氏もこの文章で、同作のラストシーンを「陳腐ではない」と弁護はしない。「陳腐でも、あの時は敢えてああ訴える必要があったのだ」。
ただ、「いや現実のヒトラーがどう危険だろうと、あの映画のラストは陳腐な点は変わらない。俺は嫌だね」と言い続ける人を仮定してみる。それが今回のいきものがかりに似ているかと

ただ、このコメントでもまだ言葉が足りなかったとおもうので、このエントリを書いている。(つづく)
どうつなげるかと言うと、つまりは「ヒトラーが何百万人殺そうが大虐殺を起こそうが、俺は独裁者のラストシーンは陳腐でクドくて大嫌いだね」という映画好き、映画至上主義者のスタンスはそれはそれで立派だ、と個人的には思う、ということだ。
もうこの種の議論は膨大に積み重ねがあるので、いろんな前例もあるのでしょうが、「政治と文学」とか「正義と美」という話だと考えると、このエントリでも何回か書いているかな。
ある落語家が「横で手話通訳をされると、気が散って話が出来ない」と、聴覚障害者のための手話通訳をやめさせようとした話、を書いたエントリ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20071101/p7

「正しい」ことと「美しい(「いい芸」を含む)」は、残念なことに、時々はイコールで結べないこともある。

 
非実在青少年」の性描写規制都条例に反対した呉智英が、自分の漫画の評価基準に際して言い放った発言
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100322#p3

「たとえば朝鮮人虐殺のおもしろさ、を表現した漫画があって、その表現に見るべきところがあれば、その文化的な価値は評価する、というのが私の立場だ。」

 
今回のに似ているといえば、自分が藤田和日郎の「からくりサーカス」内で、その時期大きな話題になっていた「少年がナイフを使って殺人、傷害を起こす」事件に対して送ったメッセージに違和感を表明したことがあった。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100719/p3

…例えば藤田氏が90年代の少年犯罪に衝撃を受けて、「ナイフの恐ろしさ」を敢えて語らせた(と、作者本人が言っている)場面。
こういう台詞を、一応はストーリーに沿って言わせているのだが…

http://favotter.net/status.php?id=16985072156
ポケットにナイフを入れていると…人に必ずそれを使いたくなる。子供だってナイフひとつで人を殺せる。私に 刃を向けた者は、子供であっても容赦はしない。ナイフを人に向ける者は、深く考えていなくとも―向けられた者は、それを絶対に忘れないのだから。

あれはいかに氏が真摯な思いを込めて描いていようが、異様で不自然な場面だった。漫画でメッセージを贈る、というのは、そういうことではないと思っている(チャップリンの「独裁者」ラストシーンに重なる違和感、というと分かるだろうか)。だが、賛同できないがその語り口、迫力に押される意見というのはある…

ここでも「独裁者」を念頭においていたか。


最初のtogetterには、コメントの形でもう一つ自分は意見を寄せている。一部改行、補足。

惜しむらくは、彼が分けた
(1)自分の主張を保身することなく自分の方法論でまっすぐに発信するという行為に対する賞賛
(2)主張そのものに対する是非
・・・に加えて
(3)『その主張を盛り込んで結果的に完成した、表現そのものの質』
これを追加して3つに分割すれば分かりやすかったんじゃないかな。たぶん彼の言いたい事は(3)への批判かと。

そういうことで、これは長年積み重ねられた「政治と文学」「正義と美」に関する一挿話だった、と思われ。

(歌の中には)
政のたすけとなる歌もあるべし、
身のいましめとなる歌もあるべし、
また国家の害ともなるべし、
身のわざわいともなるべし 本居宣長

実際のところ「チャップリンの独裁者」最後の演説シーンは”陳腐な蛇足”であるのか?

http://youtubelistening.blog116.fc2.com/blog-entry-156.html
1940年時点で対ドイツ戦に参戦していなかったアメリカにおいて、チャップリンはこの「独裁者」でナチズム・ヒトラーを痛烈に批判し、彼なりの理想を主張しました。チャップリンヒトラーは生年月日がほぼ同時で、トレードマークのチョビヒゲ等容姿もどことなく似てる感じ。そんなチャップリンヒトラーを演じるのですからユニークですね。

ただ、この演説だけをトリミングすると普通に感動的なスピーチ、ってだけになってしまうんだよな。その前段のブラックなギャグ、例えばヒンケルヒトラーがモデル)とナパローニ(ムソリーニがモデル)の両独裁者の意地の張り合いとか、レジスタンスが決死のヒンケル暗殺隊を抽選で選ぶときに、こっそりその当たり印を押し付けあう、あのシーンとの対比の中でこの演説の評価も本来は出てくる。

今引用して思い出した。この背景に・・・

いまの引用文にあるように「1940年時点で対ドイツ戦に参戦していなかったアメリカ」においては、「ドイツと闘うべきではない」は一種の”平和論”であり「人類の敵ヒトラー許すまじ!」は一種の”好戦論”であった。
そんな歴史の皮肉。
そして2011年。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110408ddm007030049000c.html

【ワシントン草野和彦】カーニー米大統領報道官は6日、リビアの最高指導者カダフィ大佐からオバマ大統領宛ての書簡が届いたことを明かした。内容は公表されていないが、AP通信によると、NATO主導のリビア攻撃は「不当な戦争」だとして、中止させるようオバマ大統領に懇願しているという。
 クリントン国務長官は同日の記者会見で「カダフィ大佐は何をしなければならないか分かっている」と述べ、要求をはねつけた。オバマ大統領を「不正で誤った行動を正す勇気を持った男」と持ち上げたメッセージもあったという。

はなしがそれちゃったが。