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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「世界初のシュート団体・全女」?この矛盾、混沌がプロレスという「底なし沼」の凄みだ

再びkamiproから。

☆最狂団体の最強女帝がついに全女
“押さえ込みの方程式”を語った!
ジャガー横田 ロングインタビュー
 
「私の時代は実力で勝たなきゃいけなかった。だから“八百長”って言われると腹が立つ」

このお話は・・・前も書いたけど、実は自分は女子プロレスのほうはほんっと、80年代も90年代もゼロ年代も正直全然見てないの。
かろうじて大宅壮一賞になった(そのときの立花隆の絶対反対論が今なお語り草だ)「プロレス少女伝説」は読んでいたから、最低限の知識はあったのだが。

しかし、見て無いのに柳澤健氏の手によるkamipro連載と、あと文芸春秋社の「オール読物」に一挙掲載された長与千種の評伝…これらは実にスリリングで面白かった。

何が面白いか。
もう既に書いているね。これを繰り返しますよん。
 
 
■全女の若手試合は全て、勝敗を決めず一定のルール下で行った真剣勝負だった (柳澤健
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100826/p2

文芸春秋の一般雑誌「オール読物」に「クラッシュ・ギャルズが輝いた時代 」柳澤健
というノンフィクションが掲載……その中で、表題のクラッシュギャルズ長与千種ライオネス飛鳥)が所属していた「全日本女子プロレス」の若手試合は全てが「ゴング後15分まではプロレスをして、あとの勝敗は真剣の『押さえ込み』で決めるしくみだった」と書かれています。

柳澤氏はいま、「1993年の女子プロレス」の聞き書きシリーズを続けている……わたしは女子プロは一般人と同じ程度に無知だが、それでも異様に、猛烈に面白い。「プロレスにガチはありえないというが、松永ぐらい”いい加減な”興行主なら、そのいい加減さゆえにガチも認めたんじゃないか?そういうこともプロレスにはあったんじゃないか?」という、プロレスの見方をある意味ひっくり返すような大きな謎を、個人的には一番注目している。

これがどういうことか・・・例えばわしらが「むかしの人は天動説なんてのを信じてたんだねー。ああ野蛮な時代だったネ」とか言ってるとき、理科の授業で先生が「ごめん、最近の研究でやっぱり天動説が正しいって分かりました」「えーーーっ!!!!!」
てな感じ。
いやそれはさすがに大げさだけど、そのへんの善良な相撲好きのおじいさんが「立会い強く当たってあとは流れでお願いします」というメールを聞いて「まさか!」なり「ちょっと不自然な気がしてたがやっぱり!!」驚いたとするじゃない。
それが逆方向にあるって感じだと思うと分かるかもしれない(笑)。
 
「えっーーー!!!ワークと思ってたらガチだったのーー???」
 
ってね。
もちろん今回いろいろとディテールを聞くと、なるほどプロレスの雰囲気、その枠を壊さないためのいろんな工夫があるのよ。しかし、その中で、明白に「どっちが強いか」を決め、両方が「勝利への最短距離をシナリオなしで競う」・・・というシステムがあったなんて。
 
「底が丸見えの底なし沼」という故井上編集長の言葉は安易に使われすぎてる気もするが、こんな時には使っても許されるかな。

今回のインタビューでは

「むかしは負けたら終わる時代だよ。(略)負けた人、王座から落ちた人は辞めるんだよ。後輩に負けた人は全員辞めていってるよ」
「タイトルは全部そういうもの。実力で勝っていかなきゃいけなかった」
「早逃げしたら先輩にえらいめたくそ文句言われる」
「松永に言われたら絶対なので。『俺たちに逆らうなら辞めていけ』と。」

いやー狂ってるなー。
ミスター高橋は著書でこう言った(大意)。
「自分の裁いた数千の試合の中で、あらかじめ勝敗が決まってなかったものは1試合もない」「もし勝敗を事前に決めなかったら、プロレスなんて絶対に成立しない」
 
これは発表時点ではセンセーショナルだったものの、今では定説だ。上にたとえたようにて地動説だ。ダーウィンの進化論だ。
 
しかし、その理論を覆す新しい化石が、地層から今表れたら?
これは進化論をさらに緻密にするミッシングリンクか、それをも従来の常識で説明できない、呪われたオーパーツか・・・・?

今後、さらに研究を進める価値がある。

この話が面白いのは

最近何度か漫画や小説の書評で書いた
「本当に戦争状態の時の戦闘を描く場合は、正面からドンパチだ突撃だとやればいいからある意味単純。しかし、終戦や休戦の中での駆け引きや、組織内部での権力闘争は、非情に複雑怪奇になるぶん、別の面白さがある」
 
というところに似ているかな。勝負事は勝負事自体で、それ単独でおもしろい。テニスだろうと野球だろうとゴルフだろうと、表に出たルールでオモテの中で競えば十分だ。
しかし、一見して勝負が行われていないところで、実は隠れた形での「ルール」があり、そこで二人が丁々発止のコンペティションを行っている・・・こういう裏ルールがテーマというのも面白い。
かわぐちかいじ本宮ひろ志
「漢二人、どっちのほうが器がデッカイんだ?」
という勝負も、
へうげもの
「これこそまことの粋!!いや、わびじゃ、さびじゃ!」
という勝負も
ガラスの仮面
「マヤ・・・・・おそろしい子!!!」
もみんなそうだ。

 
プロレスを最新の知見で分析すると、どうしても演劇論と交わる部分が出てくるような気がするけど、週刊モーニングで昨年から連載が始まった(今月1巻発売)「デラシネマ」にはなんか似た話がある。

デラシネマ』とは
http://morningmanga.com/lineup/show?id=141
昭和28年──戦争の傷跡がいたるところに残り、貧しさと夢が同居していた時代、人々は娯楽を映画に求めていた。観客動員数が十数億人という巨大産業は、一方でしきたりや格の重んじられる旧態然とした世界でもあった。そんな撮影所に紛れ込んだデラシネ(根無し草)二人、大部屋俳優の宮藤武晴(くどうたけはる)とフォース助監督の風間俊一郎(かざましゅんいちろう)は、映画界のてっぺんを目指すための一歩を踏み出した!

デラシネマ(1) (モーニング KC)

デラシネマ(1) (モーニング KC)

高度成長の直前、昭和28年---、日本映画が全盛期のころが舞台なのだが、主人公の一人、大部屋俳優は、まるで舞踊のような、華麗なだけでリアリティの無い殺陣に不満で、本当の斬り合いのような殺陣(つまりガチンコ・・・というかUWF風)を仕掛けようとするが、大物俳優からその用心棒のような中堅俳優まで、よってたかってそのハネっかえりのガチ志向を押さえ込もうとする。
 
だが・・・ある時その大物俳優の戦前の映画を彼は見る。
そして驚く。
その大物俳優は、まったくヒットせず無名のまま消えたその作品で、主人公を遥かに上回るリアル志向の殺陣をとっくにやり切っていたのだ(どーん)!!!

この「リアリズム殺陣」をめぐる挿話を、ぜひUWFムーブメントや、今回の「全女ガチ」に脳内でつなげながら読んでみていただきたい。

あとひとつ、kamiproを読んで思ったこと。

もともと「1993年の女子プロレス」という企画は本誌と連動し、携帯サイトに毎週連載の形でインタビュー記事が載っていた。週一回という発表媒体の多さを生かし、かなり膨大な量が発表されたと思うけど、kamiproにとっては外部ライターの手によるものであったことも事実。
 
ところが同編集部の堀江ガンツ氏って、俺とは違ってU系格闘技や全日、新日もちゃんとみながら、女子プロレスもきちんと見ていた超マニアだったそうで、その知識や経験には自負や自信もあったようなのだ。
そこで最近は彼が聞き手になることも多かったのだが、今号はジャガー横田が柳澤氏、キューティー鈴木を堀江氏が担当。

実はこの両ライターの記事に、全女的な「俺が上に行く、内容で上回る!」というライバル意識を感じなくもないのである(笑)。
それは今までの座談会とかそういうのを通じて感じるのも含めてね。
今後の「数え歌」を見とどけたかったが、現時点ではとにもかくにも雑誌の発売は最終号であり、残念な話であります。
続きがどこかで見られるでしょうか。