INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「天罰」「天譴」論は世に尽きまじ。だが論者の退場は促せる

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110313/p1
の時に、緊急事態下での批判はとりあえず控えるといった手前がある。
まああの時は、こんな強烈なものが出るとは思わなかったからな(笑)
なので、
I(イニシャル)への個人批判ではなく、もっと一般的な議論として、今後の材料にしてもらおう。
 
 

神様を想定すると出てくる「天罰」「天譴」

世界中の人間が進化して文明や文化を作ったとき、人間は神さんを生む。
この存在に自然現象や天体現象、ついでに社会現象の原因を押し付けたと。
これは「世界の成り立ち、あり方を『論理』で説明したい」という欲求の誕生であり、そういう意味でやはり理念的にも、そして歴史的にも、宗教は科学の親、兄でもあるのでしょう。
 
「豊かですごしやすい季節が終わると寒い冬が来る。それは豊穣の女神が愛娘と会えず引きこもっているからだ」
http://www015.upp.so-net.ne.jp/ayashi/greekmyth-episode-Persephone.html
みたいな素朴なおとぎ話でも、世界を論理で説明しようという点では、人間の知の発展であり、偉大な挑戦だったと思う。
でも、というかそこで、というか、
 
地上には、相変わらず多くの天災や苦難が満ち溢れている。
それと、発明した「神」の整合性をつけようと、古代の人たちが頭をめぐらせると・・・
・神様も気まぐれ、間違い、嫉妬など人間と同じような性質を持ち、そのsせいで人間社会も迷惑をこうむる(ギリシャ神話など)
・悪を成す「悪神」「悪魔」が存在する。悪はこいつらが担当。(ゾロアスターとか?)
・お供えやお祭り、供養をしないと神様が怒る(神道とか?)
・・・etc 
どの発想でも「天罰」「天譴」が生まれる土壌はそれなりにあるが、特に…世界の全てを唯一神が司る、という思想からは、どんな大きな天災も、個人に降りかかったどんな理不尽に見える不幸でも、その神様と無縁にはできない。
だから、ある程度そういう宗教には傾向として、天罰・天譴、そして神義論が洗練(というのか?)されていく面があると思う。
 
正直、自分はどの解説書を開いてもまったく理解できない旧約聖書の「ヨブ記」という物語があるのだが、そこでは不幸のどん底に信心厚い善人が落とされる。

http://www2.plala.or.jp/Arakawa/job23.htm

 「わたしは裸で母の胎を出た。
  裸でそこに帰ろう。
  主は与え、主は奪う。
  主の御名はほめたたえられよ。」(1章21節)
 
  「神から幸福をいただいたのだから、
  不幸もいただこうではないか。」(2章10節)

ただ、最後には「神の考えは計り知れないほど深い。その人間が悪人だから不幸をもたらす、といった単純なものではないのであるぞ」というような、一段深化した(というのか?)教えになったりするのだが。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101220/p7

全能の神は、その英知で、このような災難(※9.11テロ)が起こることを許すことにより、信仰を試されました。しかし、慈悲深い神はまた、私たちがこのような悲劇を素晴らしい業績に変えることができるように、そして人類の衰退の危機を前進の機会へと変えることができるように、信仰によってもたらされた意思と決断を下されました。

 
 

現実の天災に対して言うと。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20110315
に登場するのは、まさにそれだ。この場合「自分は信心があるが、他に不信心者がいるのでそれを罰してください」という発想もあるのでもっとタチが悪いが。

「40日続く四旬節の最初の聖灰水曜日に、私は神様にお祈りしたの。神を信じない人々の目を覚ましてください。あなたが実在する証拠を見せてくださいって。聖書の神だけが真実だってことを」
「それから何日もしないで、神様は日本という国を揺らしてくれたのよ。神様は文字通り日本の肩をつかんで『いいか、見ろ、わしはここにいる』って言ったのよ」(略)
「おお神様、神様がアメリカにどんな復讐を果たしてくれるか、考えるとわくわくするわ。だってアメリカには神を信じない人々が大勢いるんですもの」


阪神大震災の時も、同じような発想があった。
呉智英

危険な思想家 (双葉文庫)

危険な思想家 (双葉文庫)

の中で紹介しているが、かつて全共闘運動に加わり、差別摘発運動の中心となった評論家T(本の中では実名)は

(神戸の)人々は『神戸市にバチが当たったんだよ。最近の開発に地面が怒ったのさ』と受け止めようとした

「日本は地震のおかげでようやくアジア並みになってきた」
「いま神戸市民はやっとアジアと目線が合ってきた」

と、自著の中で語っているという。また呉がこの本でも一行ほど触れ、またどこか別の書では詳しく紹介していたが、Iと同じ1932年の生まれで、文学方面ではIに負けず劣らずの知名度を持ち、また市民運動家としてIと同様に政治にも深くコミットしたO(本では実名)は、阪神大震災の原因について
自民党などの土建屋政治で不要な公共事業乱発が乱発され、活断層に影響を及ぼした」「そんな根拠は無いという人もいるだろうが、まだ地震のメカニズムは完全には未解明のはずだ(から私の主張も否定しきれないはずだ)」(※3月25日追記。記憶による要約です)
という、これも形を変えた天罰論を展開していた。これには神も天も出てこないが、代わりにトンデモ疑似科学が挿入されていると。
元朝日の軍事記者Tもハリケーンカトリーナの被害を「温暖化対策に消極的だったアメリカを巨大ハリケーンが襲った。天罰てきめんですよ」とCSのトークショーで発言、俺は「それ、ヤバくない?」と思ったが番組ではスルーされたな。


日蓮の思想の影響?

Iには…書名には著者名も出てくるがまあいいか、こんな著作もある。

法華経を生きる (幻冬舎文庫)

法華経を生きる (幻冬舎文庫)

読まないでいいますが、まあこういう本を出す以上、法華経日蓮とイコールではないものの、日蓮系の思想の影響をIは受けている、可能性もあるかもしれない。
ウィキペディアの「立正安国論」

日蓮は、『立正安国論』の中で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして対立宗派を非難し、法華経以外にも鎮護国家聖典とされた金光明最勝王経なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けると唱え、逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と主張した

これも中世に表れた、一宗教思想とみなせば何の問題もない…というか歴史の一挿話であって、カルトだなんだとは言えないと思うけど。
ちなみに、この思想が発展すると
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090917/p2
……になるのか、ならんのか。

さて、結論になります

・「XXXXという災害は、天が与えた天罰である」という主張は結局のところ(極めて原始的で粗暴とはいえ)宗教的見解としてはあり得る。というかこちらが認める、認めないとは別に、信者にとっては確固として存在するだろうから除去できない。
 
・しかし言うのならその”宗教”に”殉教”してもらわないといかん。どんなに批判を浴びようと、信頼を落とそうと、ましては目先の選挙に悪影響があろうと(笑)、いや「私は宗教的信念から、あれは天罰だと思っている。それは譲れん」と言うなら言っていい。
それがすぐ撤回、謝罪するなら単なる思いつきの放言かいな、って話になる。
 
それが宗教的信念であれ、思いつきの放言であれ、どちらにしても「そういうお考えなんですね」「そういうお考えの人は公職を担えませんね」という話になる。
 
・さらにいえば、その個人や親しい人に降りかかった不幸も天罰なのか、と問われる。例えば非常に仲の良かったであろう俳優の弟が、国民的人気を持ちつつも52歳の若さで亡くなったのは彼への天罰か、彼の親族への天罰か。

 
・ちなみに、カダフィ大佐は阪神大震災をこう評している。

阪神・淡路大震災が発生した際には「経済力で悪魔(アメリカ)に奉仕してきた日本人に天罰がくだった」と国営ジャマーヒリーヤ通信を通じて声明を出した。日本の外務省から「国際常識にもとる発言」だとしてただちに抗議に遭う。

思考様式が似ているというかなんというか・・・てか、日本国外務省がこの種の主張は「国際常識にもとる」とお墨付きを与えているのか。

補足

コメント欄より

盗塁王赤星 2011/03/18 15:38
 
ヨブ記を含む旧約の神の気まぐれ、残酷さは選ばれた民であるはずのイスラエル民族が現実には百戦百敗であることへの整合性を求められたものではないかと思いますが、友人たちが応報思想にもとづいてヨブに反省を求めるのに対し、あくまで自らの義しさを主張して神に挑戦するヨブの姿は確かに感動的です。
「無能な内閣ができたから」「年寄りが詐欺をしたから」天罰が下ったのだ、とか言うIの思想の浅さはヨブ記よりもはるかに後退していると思います。
っていうか、あのひとは我欲を肯定する作家だったんじゃないのでしたかね。