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のコメント欄から話があらぬ方向へ。
シチューと肉じゃがの関係
東郷平八郎、イギリスで食ったビーフシチューがウマーだったので、部下に作らせようとする。
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しかしジジイ、具にジャガイモ、ニンジン、タマネギ、肉が入っていたことだけ告げて、
部下にとって完全に未知の料理である、「びーふしちゅー」を作れと、イジメレベルの無茶な命令をする。
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しかし部下も「外国の料理」と言われてんのに、醤油とみりんで味付けするという開き直りをみせる。
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肉じゃが誕生
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東郷 平八郎(弘化4 年12月22日(1848年1 月27日) - 昭和9年(1934年)5 月30日)
日本の武士・薩摩藩士、大日本帝国海軍軍人である。
階級位階勲等功級爵位は元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・侯爵。
いや、まあ間違いとかそーいうんじゃなくて、こういう説明スタイルから新たな笑いを引き出すことができるんだなあと感心したなりよ。
※だが、東郷平八郎と肉じゃが、はほとんど創作ではあるんだけどね。作者も判明してるとか
広く流通している都市伝説として、1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後に艦上食として作らせようとしたが、命じられた料理長はビーフシチューを知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりという話がある。
しかし、当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューとして存在していた。また、東郷が舞鶴や呉に赴任する前の1891年(明治24年)に制定された日本海軍の『五等厨夫教育規則』に「シチュウ仕方」すなわち「シチューの作り方」と書かれていることから、当時すでに海軍ではビーフシチューのレシピが制定されていたことがわかる。それに、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、代用したという説は単なる都市伝説に過ぎない。
この都市伝説は、1990年代中ごろに舞鶴市が町興しのため「舞鶴に赴任した東郷平八郎が肉じゃがを作らせた」として宣伝したことが始まりである[7]。