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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

都条例徒然草

ひとつ上のエントリからつながります。

今年のメディア芸術祭優秀賞の作者・みなもと太郎氏は還暦を迎えている世代なのに、マンガの性表現などについては非常に柔軟な感覚を持っていて、そっちのほうでも論を展開しているそうだ(みなもと氏は普通に深いマンガの評論、マンガ史解説、技法紹介ができる研究家としての顔も持つ)。
いまが一番、都条例のトピックがホットな時期に、受賞の取材と一緒にそういう意見も求められるだろうな。どういうふうに語るのだろう。

角川書店が都のイベントボイコットだとか

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1012/08/news098.html

角川書店、「東京国際アニメフェア」出展取りやめ 社長「都の姿勢に納得できない」

多くの人気作を送り出してきた角川書店の井上社長が、石原都知事が実行委員長を務める「東京国際アニメフェア」への出展取りやめをTwitterで明かした。

 角川書店井上伸一郎社長が12月8日、「東京国際アニメフェア」(実行委員長・石原慎太郎都知事)への出展を取りやめることをTwitterで明らかにした。都は青少年育成条例の改正案を都議会に再提出しており、「マンガ家やアニメ関係者に対しての、都の姿勢に納得がいかないところがありまして」と理由を説明している。
(略)
 角川書店は「涼宮ハルヒ」シリーズなど人気作品を多数出版している。井上社長はアニメ誌「月刊ニュータイプ」創刊時の副編集長、「月刊少年エース」の編集長を務め、NHKのアニメ番組への出演でも知られている。

角川書店の社長さんが「ニュータイプ」編集長だったとは知らなかったのですよ。おれ、そっちにまず驚いた(笑)。というかあの会社、トップは世襲じゃなくなったのね。
これに対して石原慎太郎知事も何かいうはずで、次の会見に注目。会見は毎週金曜日のようだ。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako22.htm

山本弘ブログで石原「スパルタ教育」の原文を読んだら、ちょっと予想と違って批判材料にはなりにくいと感じた

昨日だったかおとといだったか、この話を紹介したんだけど、本人(山本弘氏)が詳しくブログ記事にしている。
http://hirorin.otaden.jp/e142284.html
ただ、山本氏がイベントで挙げた
「ヌード画を隠すな」 「本を、読んでよいものとわるいものに分けるな 」
という二つは、実際に引用された原文を読むと・・・・・・

わたくしは子どもたちの前でヌード写真の氾濫した雑誌を隠さぬことにしている。(略) わたくしが子どものころ、父親の書斎に当時珍しい世界の裸体画の美術全集があった。意識してか、あるいは不注意でか、家のものも、わたくしたちにその美術書を隠さなかった。わたくしはいつも隠れて、美術全集を書だなから引き出しては開き、その裸体に見入った。現今の子どもは労せずしてそれができるが、いずれにしても幼児のときに見た裸体画の記憶は、子どもに決して不健康ではない。さまざまな想像と情操を育む。

活字というものは、そこに書かれた事物以外の想像力というものを人間に培ってくれる力を持っている。だから子どもがどんな本を読んでいようと、親は気にする必要はない

「ああ、こりゃ石原知事、これで追及されても(本心はともかく)言い逃れできる道はあるわ。このルートでの追及は無理筋やな」と正直感じた。
前者は「裸体画や一般のヌード写真と、今回の規制対象は違う」で済むし、後者はたぶん「活字は・・・」と書いたのは偶然で、「本は」と書いても良かったのだろうけど、結果的に「活字は想像力だが、絵や写真は即物的だ」という理屈で言える。
活字での性表現と、写真や絵の性表現に差(というよりは「種類の違い」というべきか)は設けられるか。「チャタレイ夫人」が問題になったのは今は昔で、現実に現在のところ、視覚的なものと文章は他の性表現に関する規制でも別に扱われてるんじゃなかろうか。現行の条例や法規をよく調べないといかんけど。ただなぜか改正案には

漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)

とあり、山本氏が「処刑の部屋」の映画版はいいのか?というのはその話のようだ。

東浩紀が語る

東浩紀の猪瀬擁護論からの伊藤剛、兼光ダニエル真との日本の虚構にまつわる対話
http://togetter.com/li/76569
これが評判。東氏と猪瀬直樹氏は以前から関係があったらしいね。だから「猪瀬擁護論」となっている。

近親問題を法哲学的に否定することは宮台真司氏も不可能だった(が、でもなお否定的)

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm

青少年がこうした性暴力の対象となることや、近親相姦等の対象となることについて「社会が是としている」というメッセージを、閲覧する青少年に与えることは、青少年の健全な性に関する判断能力の形成を阻害するおそれがあるからである。

と、都は言っているのだが、性暴力は論じるまでも無いとして、後者である近親云々が「悪」であることを法哲学的に論証する道筋はあるのか。「伝統」や「慣習」、「当たり前だろ」といえば一行で解決するが、サンデル張りに根本から議論すると難しいのだ。これ、前にも書きました。

んで、「宮台真司が何か書いてたよな」ということで古い本をアマゾン経由意で購入した。
この本ね。

結論から言うと、天下のミヤダイも「なぜいけないのか」は説明できない。そして「駄目な理由はないから、問題はないのです」とも断言できず日和って(笑)、あれやこれやと消極的なほうに話を持っていきました(一言で言うと「世間の目がある」的な説明)。
実際にその文章を紹介すればいいんだが、例によって今どこにその本があるか分からなくなった(笑)。まあ見つかったらあとで紹介しておきます。


今回の規制反対派は呉智英のこの主張、どの程度が賛同しているのだろうか。

せっかくだからプレイバック。
今回の反対論は基本的に「フィクションの中のことまで規制するのか」という論に立っていると思うのだが。

http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201012050126.html

それはもっともなのだが以前、こういう話を紹介した。

■「非実在青少年」問題で記者会見にも出た呉智英氏は、同一方向でさらに過激な主張もしている
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100322#p3

たとえば朝鮮人虐殺のおもしろさ、を表現した漫画があって、その表現に見るべきところがあれば、その文化的な価値は評価する、というのが私の立場だ。

と、前回条例案が出たときに反対声明集会の司会を務めた、呉智英氏はこう言うている。
いや、いいかたは過激だが、理屈の方向性としては、逆にこうなって初めて一貫性が保てるものでもある。逆にいうと、こっちのほうも条例で規制することで一貫性ができるということでもある。まっさきに知事が対象になる?かもしれんな(笑)
呉智英氏は本居宣長の和歌論を引用する。

本居宣長の歌論、文化論ですね、うた論。

(歌の中には)
政のたすけとなる歌もあるべし、
身のいましめとなる歌もあるべし、
また国家の害ともなるべし、
身のわざわいともなるべし

ってんだよね。で、そういうものがあっても人間の真実が描かれているものは芸術であり文化であるって、本居宣長が言ってるんだよね。

性表現の規制というとどうしても宗教保守を含めた保守派、右派が先頭に立つことも多いけど、方向は反対だが角度が同じ方向に、いわゆる”たたかう民主主義”、そこから発展しての「(フィクションも含めての)ヘイトスピーチ規制」の推進がある。そちて両面から「表現それ自体が、悪や被害を為すことはない」という論を攻撃する、という構図。
いま、実際の条例案にその問題は無いんだからトピックとして出てこないのは当然だけど、突き詰めるとそういう方面(虚構を含めてヘイトスピーチ規制)への対峙でもある。呉智英は一環しているからいいけど、他の言論人はだいじょうぶかな。
あ、そしてそれはもちろん、このブログでおなじみの「宗教的神聖や教義に反したり揶揄する表現」も含みます。
ではお約束でアレを紹介。
 

発売日の設定に笑った

聖☆おにいさん(6) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(6) (モーニング KC)

おいおい、クリスマスイブに発売って狙いすぎですよ(笑)。

なんと!アメリカで子供の性犯罪被害が劇的に減った(毎日新聞書評欄より)

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20101205ddm015070023000c.html

アメリカの子どもの被害が減っている。「さまざまなタイプの子どもに対する虐待や犯罪は、一九九〇年代初頭から、ものによっては劇的に、減少し続けているのだ」

 子どもへの性的虐待の件数は九〇年から二〇〇五年にかけて、五一%減少した。身体的虐待件数も性的虐待を追いかけるように、一九九〇年代半ばから減少し始め、九二年から〇五年末までに、四六%減少した。一〇代の性的暴行被害も半分に減少、ほかの犯罪も半分以下に劇的に減少、配偶者間暴力も約半数に減少している。

 アメリカでは七〇年代から虐待が社会的問題ととらえられるようになった。八〇年代、何をやってもその数はずっと増え続けていた。なのに、現代のアメリカで、こんなに被害が激減するなんて。これはすごいことである。この間、子どもの総数も減っていないし、一人親家庭だって、ヒスパニック家庭だって増え続けている。研究者だって、こんな激減はだれも予測していなかったのだ。
(略)
本当に被害の数は減っているのか、単なる統計上の手続きの変化が反映されただけなのか。九〇年代に、虐待が減少し出したことが認識され始めて、そういう議論が巻き起こった。

 そして、性的虐待や身体的虐待は本当に減っている。間違いない!というのが最初の結論である。これには「強固なエビデンス」がある。複数の自己申告式の被害調査のデータがどちらも減っていること、虐待の定義や数え方が変わったというような見かけ上の原因が考えられないこと、被害に密接にかかわるその他の福祉指標−−他の犯罪被害やティーンエージャーの自殺、家出、少年非行、一〇代の妊娠のいずれもが減っていること等が挙げられている。

 ではなぜこういうことが起きたのか。人口の構成変化の可能性は? 死刑の増加が抑止効果となった可能性は? コカイン、クラックの流行が下火になったこととの関連は? 銃規制の強化は? 人工妊娠中絶の合法化は? よく議論されるような要因が、一つ一つ検討されるが、これらのどの要因との関連も否定的である。

政権でいうとクリントン子ブッシュ政権である。
景気でいうと、パパブッシュが一期で退く原因となった急激なリセッションは(大統領も選挙中訴えていたが)すぐに回復、その後はIT革命もあり「永久にこの国は景気がいいんです!」という”ニューエコノミー理論”まで登場する繁栄の季節だった。


よく聞く議論に「表現規制の緩やかな日本こそ子供が被害者の性犯罪が少なく、規制がヒステリックなまでに厳しいアメリカでは多い」というのがあるが、アメリカで絶対値はともかく、ぐっと減少傾向が続いているというならば、ひとつの仮説として「「最近?ヒステリックなまでに表現規制をしたからこそ減っているのだ。やっぱり表現規制は効果があるのだ」というのもあるかもしれない。
これは科学の議論である(べき)だから、冷静に、しかし目をそらさずに、とりあえず「アメリカで子供の犯罪被害が劇的に減った」という情報は面白いので紹介する価値があるかと。

「XXXが減った」という議論、それも肯定的なものはなかなかニュースっぽくならないから、わたしはこの書評まではずかしながら知らなかった。

子ども被害者学のすすめ

子ども被害者学のすすめ