現在、読売新聞で藤子不二雄A先生が「時代の証言者」という語りおろしの回想録を発表しています。
青春時代の記事は「二人で少年漫画ばかりかいてきた」「まんが道」などで何度も書いている話で、おなじみの落語を聞くような心地よさはあっても、新事実に「えーっ!」と興奮するようなものはないだろうな、と思っていたのですが…。
ところが最近は、それ以降の話に入ってきました。
で、7月5日月曜日掲載、第19回目の冒頭。
藤本弘氏の「ドラえもん」の人気が爆発したころ、このままだと藤本氏のマネジャーかアシスタントをやるしかないのでは、と思ったこともありました。誰にも言わなかったけど、非常に悩んでいた。
えーーっ!一応証拠写真も載せとくわ。
最終的にコンビ解消に至った二人だが、F先生が没して10年以上が経過、その後のさまざまな調査記事や評伝でも「二人の直接の信頼関係は強固という以外ない」というのがほぼ結論に近かった感がある。
いや、確かに信頼関係は生涯強く、深かったのだろうけど、それはそれとして「このままだと彼のマネジャーをやるしかない」とまでの悩みを持ったこともあったとはね。「誰にも言わなかったけど、非常に悩んでいた」の一節は重い。
思うに、
漫画家はどこまでいっても
一匹の獣であり、
一人の野武士なのだろう。
だからこそ。そこで「彼のマネジャーなんかに収まりたくない」と思う人だったからこそ、逆に2人の友情とライバル関係は続いたのかもしれない。
結果的に、ドラえもんの最初のブレイク時には「黒ィせぇるすまん」(のちの「笑うせぇるすまん」)のヒットや、「魔太郎がくる!!」(1972年)もヒットし、このコンビは互いを高めていった。
だけどさ、正直いって「作者は仕事場にこもっているが自分は毎晩飲み歩く」マネジャーなんて成立したんだろうか(笑)
もひとつ。『「魔太郎がくる!」の映画化、アニメ化企画はすべて断っている』
これは後で書く。
たくさんの同先生のトークショーや文章に接しているid:koikesan などにとっては、けっこう以前から聞いていた話なのだろうか。