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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ヒョードルが闘う日に。和良コウイチ「ロシアとサンボ」

さてそんなヒョードルのバックボーンとなり、プーチンもたしなむことで有名なロシアの格闘技「サンボ」の紀元や、社会にもたらした影響について描いた本です。

ロシアとサンボ -国家権力に魅入られた格闘技秘史-

ロシアとサンボ -国家権力に魅入られた格闘技秘史-

私は前書きで、これがサンボ史に挑むものと聞き、果たしてどうなるかと思ったものだった。というのは格闘技の歴史というのはなぜか「伝説」を引き寄せ、ハッタリや幻想に満ち満ちてしまい、結局ほんとの歴史が分からなくなってしまうという例が多いからだ。立って三角…ごほごほ。だからナイトスクープ北野誠の調査じゃないけど「調べたけど結局分かりませんでした」というような展開のノンフィクションになってしまうのですはないかとね。

だが結論からいうと、相当程度に「鉄のカーテン」の向こうを本書は覗き込み、隠された真実に迫っている。これはかつてのソ連が秘密主義の国家であるけれども、同時に官僚主義の中で記録や書類は膨大に残す体質だったからかもしれない。(また戦前の日本のように、敗戦という節目があってそこで書類が焼却破棄されていたところと違い、旧ソ連の崩壊がそのままロシアに移行するという独特のものであることも挙げられよう)
それではこの本が暴く、サンボの裏面史を見てみよう。

創立者は「人民の敵」? 偽史と真実と

「サンボはロシア各地に散らばる格闘技が総合されて生まれた」「日本の柔道が伝わった。廣瀬武夫によってである」など、80年代や90年代の格闘技本にはいろいろな話が載ってたのだが、さっくり結論をいうとロシア正教会御茶ノ水ニコライ堂)の寄宿舎に住んでいた留学生が講道館で学んだ柔道が元の元だということであった。
ワシーリ・オシェプコフ。まだ黎明期の講道館で黒帯を取得した。
おもしろいのは、畑違いの宣教師ニコライの日記をつぶさにみていくと、この少年の記述があるということだ。こういう資料のクロスチェックで、新しい事実が分かるというのはよくあることで、ある作家がエッセイで「プレーボーイで知られる某作家が銀座で…」とぼかして書いたことが、別の作家が断片的に書いた事実と一致して吉行淳之介だとばれたことがある(笑)。
ニコライの日記にサンボの開祖が出てくることは以前から知られていたのかな。夏休みに富士山に登るなど楽しい思い出もたくさんあったようだ。


その後、革命の荒波の中で日本の人脈やスキルを生かした諜報員にもなったオシェプコフ。彼は、軍との関わりが生まれる中で柔道をそこに伝えていったのである!
これがサンボの大本になったようなのだ。
じゃあ、それでいいじゃん。
と、なるかというとそーはいかないのである。
なぜなら彼は1937年10月、「日本のスパイ」「人民の敵」として逮捕され、そのまま獄死したからだ・・・

ハッタリのライバル、剽窃の弟子…格闘技の起源に、伝説の霞がかかる時

サンボという名称を考えたのはオプシェコフではない。
ビクトル・スピリドノフという”柔術家”だそうだ。
これはヨーロッパの「柔術ブーム」の影響を受けて、書籍などで学んだ人だった同書にはあり、谷幸雄や”バリツ”など、このブログ読者限定で(笑)おなじみの記述もあり興味深い。
欧州経由なので英仏のレスリングやボクシングの体系も入っていたという。


これを「あやしげな流派を創作したくわせもの」とするのも簡単だが「情報の乏しい時代、わずかな情報で試行錯誤した黎明期の開拓者」とみることもできよう。手塚治虫をあがめつつ、田舎で少年漫画の新たな道を試行錯誤した漫画少年もそうだろうし、例えば15年前にグレイシーに追いつき追い越せ、とやっていたパンクラスUインターの道場だって「今のような技術を昔から知っていればよかったよな」と回想するような状況だった。いやまだ発足10年もしない「チーム黒船」だって「設立時の練習メニュー、ありゃただの虐待だな(笑)」と言ってるぐらい。
わずかな資料も当時ならやむをえない話だし、それを組み合わせたり個人の考えで体系を補足するのは悪いことだとはいえない。


だがその後、オプシェコフとスピリドノフは、政府内部の役所の縄張り争いも絡んで対立を深めていく。「貴方は本で学んだ抱き絵で本質を知らない」「立ち関節を教えているようだが、あの技はめったに極まらないのだ」というコッポウ批判…いやいや(笑)。そんな議論がありましてね。
実はこの後、コンバットサンボとスポーツサンボに体系が分かれていくきっかけにもこの二人の確執はなっている。
つまりあれだ、北斗と南斗、陸奥圓明流と不破圓明流(違う)


さてそこでややこしいことに第三の人物が登場する。三国志でもなんでも、三つになると面白くなるのだが…

オシェフコプの弟子、ハルランピエフと言う男。プーチンの著書など、現在のオフィシャルサンボ史でも、「創立者」ということになっている。
どんな人物か…というかどういう状況で生きた人かは、この言葉の引用で換えよう

私たちは共産党の指導するソ連邦に住んでいるからこそ、私たちにはスターリンがいるからこそ、<ソ連式フリースタイルレスリング>という素晴らしいスポーツをつくることができました!

いやいや。
スターリンの時代に発せられた言葉というのは、その本心かどうかは分かるわけがない。だからさっき「どういう人物か」を「どんな状況で生きたのか」と言い換えたのだ。とまれ、彼はかつての師匠で「人民の敵」であるオシェフコプの資料をこっそりその奥さんから引き継ぎ、その上で軍国主義日本の柔道の影響ではなく「偉大なるソ連諸民族の格闘技を統合した新スポーツ」サンボの創始者として登場するのである。
人民の敵が生んだ武道体系が、本人が粛清されたあとも生き残ったのは、その技術自体の有効性を認める人も多かったからだろうが、ハルランピエフの「明哲保身」ぶりも大きい。

20世紀が生んだ左右の全体主義は、多くの人間ドラマと哲学的な課題を生んだ。作者が指摘するように

その時代においては<人民の敵>との関係を表すものを自宅に運び出すこと自体、勇気ある行動だ。もし発見されれば、自分も逮捕されかねない

のである。
だが。

逆に想像してほしい。
創始者の師匠は既に社会的にも肉体的にも抹殺され、その体系を記した資料は自分だけが持っている。
また創始者の名前を出せば、この体系自体がふたたび抹殺され、自分の身も危ない。

そこで生き残るために体制と妥協する。創始者の名を隠す。外国の影響も否定する。むしろ自分が創始者になる・・・
(実際、ソ連流公式サンボ史は「ハルランピエフは長距離列車の中で、国民的な格闘技の数々を集めた新しい格闘技の創設を決断したのであった!」という、へんなディテールまで作られていたそうだ。どこの梶原一騎だよ(笑))


その結果として栄光と名誉、権力を一身に背負う。
恐怖政治の嵐が吹き荒れた時代が終わり、いまなら真実をあきらかにできる、という時代がやってくる。
そのとき、「さあ、真実をいえる時代が来た。実は私は創始者ではなく……」と言えたら、この物語は美しく感動的な英雄譚として完結していただろう。

だが、結果的にハルランピエフは沈黙を続け、あるいは捏造した歴史も語り、今はその息子が父の名誉を守ろうとその神話をさらに大きな声で語り続けるのである。


彼の行動の動機や真意は測りがたく、それに時期によって変化もしているのだろう。
ただ、サンボの”創始者”をめぐるこの挿話は、格闘技の歴史をめぐるエピソードに留まらず、もっと普遍的な人生の、人間の苦味として受け取られるべきだと思う。例えば時代や状況を変えた、別の物語(フィクション)として仕立てても面白いんじゃないだろうか。


たとえばこんな話がある。
幕末の佐久間象山が蟄居中、ある卓見を考えつつもそれを公表できない状態だった時に弟子の一人が・・・


弟子の行動ももっとものような気もするし、ひょっとして象山の怒りは弟子の真意を見抜いていたのかもしれないし。

風雲児たち 幕末編 15 (SPコミックス)

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実は今「モーニング」で連載中のかわぐちかいじ「僕はビートルズ」をちょっと思い出したんだよな。ビートルズのカバーバンドをしている日本の少年バンドが昭和30年代にタイムスリップ。ビートルズの曲を「自分たちの歌」として発表するのだ、バンド仲間には躊躇も葛藤もあるが、逆に「俺たちが先にビートルズ・ナンバーを発表することで、ホンモノのビートルズがどう変わるのか見たい!もっとすごい曲ができるのかもしれない!」みたいな好奇心、リスペクトも確かにある。そんな話を連想した。

開発者とか創立者、第一発見者をめぐる名誉や虚栄心の攻防、という話にもつながっていくかもね。

背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)

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書ききれなかった話

インターネットのブログには字数制限がないというのはよしあしで、特に私の場合、本格書評はこうやって書いても書いてもまだ終わらない(笑)。


書き残した話の候補
■「廣瀬武夫が伝えた柔道がサンボになった」説の検証

■「ロシアの格闘技に関節や絞め技は無い」…かつて松浪健四郎が語った「裸体格闘技は神事、着衣格闘技は戦闘技術」「関節技は遊牧民の家畜制御術」などの理論はいまやトンデモか?
■ルールをつくれば技術が変わる
■どこから「オリジナル」を主張できるか(テコンドーや琉球唐手もあわせて考えたい)
■柔道の夜郎自大、技術吸収の無さ。「マナー」「正しい柔道」が進化を止める


などを本来書きたかったのだが、そりゃ物理的、肉体的にムリ(笑)。
ただ廣瀬話は歴史の真実としてネット上でも資料を残しておきたい。
とりあえず、こんなところで筆をおきます。


同書の関連ブログ
http://www.tomabechi.jp/archives/51040883.html
苫米地英人の祖父が登場しているんだって)
http://btbrasil.livedoor.biz/archives/55387009.html
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20100612
http://d.hatena.ne.jp/Dersu/20100622/p1