朝日新聞の書評より。評者は中島岳志だっ。
http://book.asahi.com/review/TKY201004270165.html
[著]田中悟[掲載]2010年4月25日会津という神話―“二つの戦後”をめぐる“死者の政治学” (MINERVA人文・社会科学叢書)
- 作者: 田中悟
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2010/03/01
- メディア: 単行本
- クリック: 27回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)■呼び戻された「悲劇」の死者
「いまだに長州への怨念(おんねん)を抱いている」
お酒の席でそんな思いを吐露する会津の人と、私はこれまで何度も出会ってきた。幕末の戊辰戦争で長州軍にさんざん痛めつけられた会津は、いまでもその時の恨みを忘れていないというのである。
しかし、本書の著者はそのような感情は戦後になって高揚したもので、戦前・戦中の会津では、長州人と同じ「勤皇精神」の持ち主だという思いが大勢を占めていたという。
(略)会津の人たちは勝者による物語の独占に異を唱え、自分たちこそが真の勤皇の志士だったと主張する。そして、国民の物語への
…(略)…1928年に会津松平家の節子(勢津子)と秩父宮雍仁(やすひと)の縁組が実現することで果たされる。さらに30年代後半、徳富蘇峰が各地で行った講演で、「会津は逆賊などではない」と強調し、その「尊王の大精神」を称揚・・・(略)…は「大東亜戦争」中に国民が見習うべき規範という地位を確立し、絶頂期を迎える。しかし・・・(略)・・・司馬遼太郎による「悲劇の会津」という新たな物語に飛びついた。会津人は「軍国主義の寵児(ちょうじ)」という側面を「忘却の淵(ふち)に沈め」、好都合な「司馬史観」に乗り換えたのである。その過程で白虎隊の「非業」や「純粋さ」が神話として再設定され、会津の観光化の中で利用されていったと著者は・・・(略)
全部読んで欲しいのでリンクも活用してね。
「XXXには・・・というイメージがあるが、そのイメージ自体が・・・に作られたもので、実際には・・・ごろは・・・というイメージで論じられた」という感じで「イメージ」史の変遷自体を論じるという本はけっこうあって、それは一種の常識を覆してしまうから面白い。
たとえばこれとか。
- 作者: 井上章一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/06/10
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
勝っても負けても甲子園を取り巻く空気は熱い。なにが阪神ファンをおどらせているのか。阪神への幻想はいつどのようにしてつくられてきたのか。気鋭の批評家であり熱烈な阪神ファンでもある著者が、その正体を歴史的につきとめようとし、独自の視点から浮かびあがらせた愛すべき関西球団の知られざる真実と伝説。知的興奮にみちた野球文化史の好著。
ただ、どうだろう。「旧幕府軍も立場は違えど尊王精神は変わらない。共に陛下の赤子である」というのは岩手出身の原敬が首相になったころも既に公式見解だったけど、あおれはあくまで「公式」だからね。「しょせん、あの人のご出身は陛下に指引いた逆賊の出どころだから・・・」というのは”ひそひそ話”として残ったんじゃないだろうか。
「被差別部落やその住民を穢れたものとして扱う意識は、資料を見る限り・・・年には消えている」と公式資料で見たらそんな議論になるのでは。徳富蘇峰が講演してまわったのも、そういう意識があるからこそわざわざ言ったのかもしれない。
まあそのへんは実際に読むと目配りがされているのかもしれんがね。
あと、もしも実際に「会津こそ忠義の鑑」といった意識が戦前にすでに確立されていたなら・・・「へぇ、内戦の亀裂を修復しての国民和合に明治−戦前の政府は成功していたのか?」と驚き、逆に日本近代の権力の意識の高さに個人的には感心してしまうのだ。
南アフリカ、セルビア、ルワンダ、アフガン、イラク・・・内戦や対立の一応の収束後の、国民和合が課題となる中、逆にこの成功体験を誇れるなぁと(もちろん民族や宗教まで違うから、まねしろ!とは言えないが)そういう点では面白そうな本なんだが、何しろお高い!
原田久仁信風に言うなら
「タ・・・タケエ!!」
図書館で購入をリクエストするのが吉のようです。