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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ちょっとプロレスな昔話「悪役日系レスラーは祖国の不名誉」と・・・

ときどきプロレスのネタもないではない毎日新聞「発信箱」。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20100302ddm008070007000c.html

1980年代、レーガン米大統領は「日本を見習え」と教育改革で強調した。信頼性の高い優れた日本車が目覚ましい進出をしていたころだ。

 教育もさることながら、もっと素朴な「懸命な責任感」の成果ではないかと思う。戦後間もない50年代「安かろう悪かろう」と悪評の日本製品が年を追って信用を得た要因の一つには、セールスマンの靴底減らす売り込みがあった。それにつけて思うのは草分けの一人から聞いた話だ。

 現地のプロレスの日本人レスラーがすごい悪役で、憎まれていた。セールスマン仲間で話になった。「何とかしないと、こっちの仕事に差し支える。金を出し合って、彼に悪役をやめさせようか」

 結局レスラーがよそへ転戦したか、渡す機会はなかったが、彼らはこんなことにまで神経を払っていた。車を売った後も遠方の一軒一軒をアフターケアで回り、どんな小さな部品でも取り寄せ、小石を積むように信用と好感を築いていたのである。その上に日本車や日本製品のシェアと信頼はそびえてきた。

 ちなみに、当時渡米した日本人レスラーは残忍、卑劣な悪役をさせられ、客席の憎悪をかき立ててリングを盛り上げた。きちんと演じるから信用され、仕事もあった

 もし、くだんのレスラーが金で悪役をやめるよう申し込まれていたら、どうしただろう。断ったと思う。「これが契約だ」と。そして共にアメリカで体を張るセールスマンを「戦友」とし、肝胆相照らしていたのではないかと。

 そこは夢想だが、いずれにせよ自分が信用を失うと後に続く者に道がなくなるという思いは共通していたろう。

 そういう素朴な原点が昨今揺らいでないか。(論説室)

これは「グッド・オールド・デイズ」のお話である。
いま、日系レスラーの卑劣、スニーキーな振る舞いに対し、そのまま「国辱だ」と関係者が眉をひそめる時代がいいか悪いか、といえばあまりよくないし、そもそも戻れない。それはポスト「ミスター高橋本」ということもあるし、私が以前書いたように、プロレスはナショナリズムをあおると同時にパロディ化していくという部分もある。
日系レスラーにゲラゲラわらって「おお伝統芸!」となるほうがいい部分というのはあるのだろう。


ただ、製品の品質に限らず「私の努力、勝利(例:メダル獲得)が、そのまま祖国を高めることにつながる」という・・・昨年の「坂の上の雲」の第1回のタイトルだった、いわゆる”少年の国”の人々の行動は、青春時代が気恥ずかしくも楽しく、懐かしいようになんとも複雑な感情を抱かせる。

上の「悪役日系レスラーは国辱だ、どうしようか?」と悩む輸出品セールスマンの姿に、「坊ちゃんの時代」のこんなくだりを思い出した。




『坊っちゃん』の時代 (第2部) (双葉文庫)

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